78,少女は唸る
ギィダンが剣を仕舞い、リティアに駆け寄って抱き上げると、ケルベロスが吠えて、風を操っているハルドを牽制する。
《話せば分かる相手に無駄に力をひけらかすとは愚者の行いだぞ!》
《私とてこのような歪な身体でなければ、捻り潰せたぞ!弱体化したかのように嘲笑いおって。》
ケルベロスもハルドも脳内に響く声で、大声上げて言い合っていて、リティアは堪らず両手で耳を押さえてみるが、外からの音ではない為、無意味となった。
「お二人共!そこまでです。飛龍様は力を抑えてください。ケルベロス様はこれ以上喧嘩を売らない。この方に怪我でもさせるおつもりですか!」
《!?》
ギィダンに叱責されたハルドは暴風をそよ風まで抑えて、虫達を地面に叩きつけてからリティアに駆け寄ると、ギィダンがリティアを地面に降ろしてくれた。縮小したケルベロスがリティアの胸に飛び込むと、ハルドは咄嗟にはたき落とし、
《ウガアアア!》
地面に叩きつけられたケルベロスの悲鳴がリティアの脳内に響くが、やった本人であるハルドは、見向きもせずにリティアの手を取った。
《聖女、すまない。怪我はしてないか?》
まただ。以前も中庭のベンチで聖女と混同されたことを思い出す。聖堂内にあった壁画を見たから、似ているんだなと思えるが、幼い頃からの知り合いのハルドが、昔の存在でもある聖女ルナと間違えるなんて考えづらい。違和感を感じながら微笑んで、
「ハルさん、どこも痛くありませんよ。それと、私はリティアですよ。」
《いえ。貴女様は》
ハルドの目が酷く揺れて、リティアから手を離して両手で瞼を覆う。
「ごめん、リティ。恥ずかしながら、人格乗っ取られてしまったんだよ。」
ゆっくりとその手を下ろすと、いつもの笑顔を浮かべるハルドが、口から言葉を発した。ハルドの発言に、今度はリティアが驚く番だ。唇をきつく閉ざし、今まで聞いてきた事を頭の中で整理する。リティアが、馬車の中でハルドを意識してしまったときにハルドは、
「俺の後ろに飛龍でも見えた?」
と言った。ケルベロスは戦闘中のハルドに向かって、
《生温いことをして遊んでいるのか、飛龍?》
そう、ハルドのことを飛龍と言った。そして今、
「恥ずかしながら、人格を乗っ取られてしまったんだよ。」
ハルドのこの発言。理解をしてしまったリティアは、無意識にハルドの手を両手で包み込み、一度深呼吸してから、ハルドの目を見つめ、
「ハルさんの中に、飛龍さんもいることを知らなくてすみません。きっと何度もハルさんだって思って話していたこともあったと思います。」
謝罪した。リティアは知らず識らずの間に飛龍を傷つけていたと考える。
「リティ、良いんだよ。彼は」
ハルドが口を挟むと、リティアは顔を横に振り、
「ハルさんはそのまま何も言わずに聞いてて下さい。飛龍さんに話しかけてます。飛龍さんは私を聖女と呼んでくれますが、聖女ではないので、リティアと呼んでほしいのです。それと、お二人が入れ替わった事に気がつかないことがあるので、名乗ってくださると助かります。今後ともどうぞよろしくお願いします、飛龍さん。」
ハルドの言葉を最後まで聞かなかったリティアは、絶対に飛龍の存在を拒否も否定もしたくない一心だ。どうしてそうなっているのか分からないが、この私に罵声を浴びせた人間達のようになりたくないと…そう思った。
《承知した、リティア。》
優しい声が脳内に届く。それはハルドの中にいる飛龍が微笑んだように思えた。
夕暮れに染まった帰りの馬車では、ケルベロスを抱っこしたまま熟睡したようで、校門に着いた頃にハルドが肩を揺すって起こしてくれた。
「今日はお疲れ様。リルが探していた精霊人形ではなかったけれど、ケルベロスの力を借りられることはリティのおかげだよ。」
「そんなそんな。ケルベロスさんが優しい人なんです。」
良い子良い子とケルベロスの頭を順番に撫でると、寝起きのケルベロスは欠伸をしている。
「そうかー…。リティ、今夜はご馳走するから、シャワー浴びて着替えて寮のロビーで待っていて。」
何食べたい?と聞かれると、リティアは浮き足立ち、声が大きくなる。
「え、良いんですか!?」
「勿論。あ、少しの間、ケルベロスと話がしたいから借りるね。」
ひょいっと小さなケルベロスをハルドが抱き上げると、外からギィダンが扉を開けてエスコートされて校舎に戻る。玄関に入る際に馬車の方を振り向くと、ハルドがケルベロスを肩に乗せて職員用玄関へ向かっている最中だったようで、こちらに気がついたハルドは、にこやかに手を振る。リティアも手を振り返してから寮へ戻ると、
「リティ、おかえり!怪我はないか!?」
ロビーで帰りを待っていたセイリンは、顔や手に怪我がないか確かめるようにそっと触れてくる。
「ただいま、セイリンちゃん。怪我はしてないので大丈夫です!」
「よかった…今から夕飯食べに食堂へどうだ?」
ホッとしたセイリンが、手を引いてくれそうになったが、リティアはサッと手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい。ハルさんがご馳走してくれるというので、準備してまた外出します。」
「…若い男性とディナーデートか。」
何か面白いことがあったのか、口角を上げるセイリンに、
「ハルさんに恋人は居ないようですよ?セイリンちゃん頑張って下さい。」
にこーっとしながら首を傾げると、口をパクパクさせたセイリンの顔がみるみる間に赤くなっていった。
先に食事を済ませたセイリンとは、シャワーの時間がずれた為、ロビーのソファに1人で座っていた。この後迎えに来てくれるハルドを楽しみに待ちつつ、シャーヌが居ないかキョロキョロと確認してみるが、あの黒髪の少女は見つからない。ふぅと小さく息を吐くと、この後の予定を教えていた寮母さんが声をかけてくれて、小走りで寮を飛び出すと、ストライプ柄の青いシャツの袖を捲くってプレゼントした白いブレスレットを引き立たせているハルドが、軽く手を挙げて立っていて、
「リティ、凄く似合っているよ。」
兄から贈られた藤色のレースワンピースを身に纏ったリティアの頭を優しく撫でてから、暗い夜道で躓かないようにと馬車までエスコートされて乗り込んだ。
「リティ、食べたいもの決まったかい?」
「んー。どんなお店があるか分からなくて…」
目的地の指示なしに馬車が動き始めている中、悩むリティアを見て、ハルドは眉を下げる。
「なるほどね。では、ちょっと珍しいところにでも案内しようか。」
「魔獣のお肉ですか?」
ハルドの含みのある言い方に、ピンときたリティアは目を輝かせるが、ハルドに苦笑された。
「いやいや、それは君が小さい頃に食卓に上がっていたでしょうよ。」
ハルドは振り返って御者用小窓から、大通りを進んでいるギィダンに指示を出す。
「ギィダン、マナファホテルまでお願い。」
「ホテルで食事をするのですか??」
リティアは一度もホテルを利用したことが無い為、きょとんと真ん丸な瞳をハルドに向ける。
「そうだよ。リティはしたことないでしょ?口に運ぶだけではなく、目でも楽しめるから、喜んでもらえると思うよ。」
「どんなものが出てくるのでしょう…オオガエルの串焼き?コオロギクッキー?人面と」
以前、祖母から聞いた森の民の料理をイメージするとリティアの心が楽しそうに躍るが、ピシャリと指摘が入った。
「そんなゲテモノ料理は出ないから。いずれ好きな人ができても、それを振る舞わないように。」
「…っ!」
ボロボロと涙が勝手に溢れたリティアに、ハルドの血の気が引き、慌ててポケットから出したハンカチで涙を拭う。
「ええ…そういうの食べられるお店はこの街にないよ。あるなら、恐らくササラの街じゃないか?」
「うー。」
困り果てるハルドに、リティアは小さく唸ることしかできない。ハルドは作っても食べないと言っているのと同義だった。