766,現聖女は隠蔽する
ホテルから、大聖堂の居住スペースに荷物が運ばれた夕方。リーフィの手伝いをするセイリンに、レイピアを手渡した。ぎょっとする彼女に、
「ジェスダ様の百面相は、退屈しませんでした。」
団服から着替えたディオンが、微笑む。騎士団への挨拶回りには、ディオンが同行してくれて、朝はセイリンの手元にあったレイピアを大切そうに抱える男性に、リティアが声をかけた瞬間から、ディオンの笑い声が漏れ始めた。所持理由を聞こうにも、しどろもどろの男性の代わりに、ディオンが説明してくれ、リティアが預かろうとすると、
「こ、これは!自分で返します!」
必死に守ろうとする男性。リティアが首を傾げる。
「でも、この後、セイリンちゃんと合流しますので、私の方が早いですよ?」
「彼女の彼女だったとしても!俺が、渡したいんです!」
よく分からない発言をされて、場に沈黙が流れた。リンノの咳払いで、沈黙は破られたが。リンノの捲し立てるような説教を受ける事になった男性は、段々と起立の状態から正座に変わり、最後は土下座になった。リティアに差し出されたレイピアは、今ここでセイリンの手に戻る。
「…投げてしまったんだ。すまない。」
「珍しいですね。嫌な事でもありましたか?」
セイリンが、サーベルベルトにレイピアを戻すと、帰宅前の子ども達が喜ぶ。触ろうとする男児達を、リーフィが事前に声をかけて、辞めさせていた。リーフィは子ども達を礼拝堂へと誘導し、リンノに案内されたリティアは螺旋階段を昇る。セイリンの手が宙を泳いでいた為、何となく握ってみた。彼女の指に過度な力がかかり、リティアの手が赤くなっていく。それをリンノが見逃すわけはなく、
「セイリン!いくら思い通りにならないからと、リティアを虐めてはいけません!」
「い、虐めてません!驚いてしまっただけです!」
静かな通路に2人の声が轟く。ディオンが肩を竦める中、
「煩い…ね。おかえりなさい。俺達のリティア様。」
「リティアーー!寂しかったー!」
近くの部屋の扉が開かれ、リガの微笑みと共にピースが飛び出した。ピースのハグを受け止めるリティアは、
「お二人共、ただいま戻りました!」
離れない手をぶんぶんと振りながら、2人に笑顔を見せる。リンノは腰に手を置き、
「貴方は小さくても、男です。リティアに触れないで下さい。」
「何でよ!?」
子どものピースにまで叱り始めるリンノに、リティアはリガに助けを求めようと見つめてみたが、
「もう、ピースも大きくなったからさ。異性との過度なスキンシップは、誤解を招く。」
リガはリンノを止める事はなく、嫌がるピースを抱き上げた。その間も外れない、セイリンとの手繋ぎに、リンノの蝶が手に乗ってくる。クラゲも、レースを巻いた口腕で触れてくる。何かを察知したであろうセイリンは、慌てて手を離した。少し手が痛むが、リティアはもう一度手を握る。不思議そうに目が丸くなる彼女に、
「学校ではよくこうしていたんですから、おかしい事はないですよね?」
仮面を外して、いたずらっぽく微笑んでみた。セイリンの目が、泳ぐ。
「あー…。それは、それで、これは、これ…」
歯切れが悪いだけでなく、何を言っているのか分からない呟きをする彼女。リティアが手を離すと、彼女の手は空間を彷徨う。彼女がどうしたいのか分からないまま、もう一度繋ぎ直して部屋に戻った。
王都の地図をテーブルに広げたリンノは、地図の上にボードゲームの黒い駒をいくつも置いていく。
「リティア、ここが屍人形や不審者の目撃情報があった場所です。」
王都の居住区ばかりに置かれた駒は、特に人が多く住む場所での目撃情報が多いらしい。何をするわけではない屍人形や不審者達も居れば、既に殺しを行って死体を持ち去った輩も居るようで、一緒に聞いていたセイリンから、ひしひしと殺気を感じる。駒の1つが、彼女の額に投げられ、
「どうせ、何もできない弱者なのだから、弁えなさい。」
「何も始まってませんけど?」
セイリンの睨みが、リンノに向けられた。怖じ気付くわけがない彼は、肩を竦める。
「あれは魔法士ですら、手を焼く敵です。鉛を振るだけの者では、倒せません。それで、リティア。」
「え、はい?」
セイリンに説教を始めると思っていた為、リンノの矛先がこちらに向くと思っていなかったリティアは、声が裏返った。彼を見上げて、首を傾げる。
「聞きたくないかもしれませんが、ここにあるゼロンデ家の別荘には近づかないように。既に、リルド様が訪れたようですが、門は固く閉じられ、女の恨み辛みが流れてきたようです。」
聞きたくない、と、その後の言葉が繋がらない。リンノは無意識かもしれないが、その女はというのは、リティアに伝えたくない存在なのだろう。そうなると、
「リンノさんは何となく濁してますけど、その女は私のお母さんで合ってますか?」
これしかない。リティアは、膝の上で拳を握る。知らずに関わってしまわないように、という優しさからの忠告だろう。リンノの深いため息が漏れる。
「…ええ。リリィ夫人です。土を操る魔法を行使して、屍人形を作り出してます。」
「そうですか。良かったです。まだ、生きていたんですね。」
まるで他人事のような反応をするリティアの前で、目頭を押さえるリンノのため息が、止まらない。セイリンの瞳が、リティアを見下ろしている。
「リティア。お願いですから、あの夫人を説得しようと思わないで下さい。リーフィの命を狙った女です。貴女が、信頼におけるような人間ではありません。」
「…リンノさんは、私がお母さんに抱きついたら、受け入れてもらえるものと思ってますか?もしそうだとしたら、その方がまだ夢を見ていられたかもしれません。私、彼女に何の感情も抱けないんです。気がついたら、こうでした。あくまで、他人です。それ以外の何者でもありません。」
リンノが指をさしていた箇所を、ペンでバツ印をつけるリティア。見方によっては、目的地の目印になる記号を言葉で隠蔽する。ここに、『居る』。リティアの中の幼いリティアが、愛されたいと望んだ相手。今は、まだ誰も知らなくて良い。
「そうですか。それで良いと思います。あんな女は、親ではないと考えますからね。それを聞いて、安心しました。リティアに手を出したら、リダクト殿が帰還する前に撲殺する可能性がありしたらからね。」
「お兄ちゃんが、ですか?リンノさんがですか?」
肩の力を抜くリンノに、リティアは可愛らしくとぼけてみる。
「集団かもしれませんね。今は、暫く泳がせておく事になっていますから、くれぐれも行かないように。」
「この後、リンノさんは仕事に戻られますか?もし良ければ…」
軽く頷きながら、駒を片付け始めるリンノ。ソファから手を伸ばして、彼の袖を引っ張る。彼の眉が下がって、リティアの頭を撫でてきた。
「リティアの護衛として立つ為、四番隊をリグレスに押し付けてきました。セドロン殿達とも話をつけ、リティアの護衛にディオンを。セイリンを世話役としました。これで、久々に独りではないかと。」
何かと心配をしてくれて、夜を1人で過ごさないように手配してくれたらしい。結界も張ってくれてある為、ゆっくりと眠れそうだ。笑みを浮かべるリティアの真横で、
「そ、そのような話を父からは聞いていません!ディオンは、知っていたのか!?」
「私は…つい先程、リルド隊長からお聞きしました。」
セイリンが顔を青くし、ディオンは苦笑いをする。セイリンの反応がリティアの想像と異なり、彼女に首を傾げてしまった。セイリンの瞳が揺れ、瞬きが多い。その2人の間を遮るように、クラゲが浮遊する。
「私から伝えるように言ってあるので、貴女は知らない筈です。まさか、リティアと一緒にいる事に不都合でも?」
リンノの抑えた声に合わせて、セイリンの肩に蝶が降りてくる。彼女の肩が大きく上がって、忙しなく目が泳ぐ。
「王都に、ソラが来てます。ルーシェ家として連れてきていて、ご厚意でキリン様のお宅に泊めて貰っていますが、あまりご迷惑をかけるわけにはいかないのです。それに、ハルド先生のところのミカっていう、少しばかりの問題児が…」
歯切れが悪いセイリン。一般庶民のソラを、大聖堂に呼ぶ事は難しい。宿を取らずに、シェクレが面倒を見てくれているという事は、キリン達にも話が通じているのだろう。それであれば、気にするところではない。ミカといえば、魔法士団本部でリティアの頭を撫でて、バフィンのげんこつを受けていて、
「ミカさんは、先程バフィンさんと一緒に、出掛けられましたよ。一緒にお酒を飲むそうです。」
本当に飲むかは知らないが、リティアは聞いた事をセイリンに伝えると、
「酒盛りするには、時間が早すぎるだろ!」
珍しいくらいに行儀悪く、テーブルを蹴り上げるのであった。




