764,新米長は重ねる
ケーフィスに連れられて入った店は、野草と血の匂いが入り混じっていた。ソラの目が、子どものように輝く。カウンター越しのケッチャに、
「邪魔はしません。魔術薬の作成工程を見学させて下さい!」
「雪兎が来たらな。今は、飯を食え。」
身を乗り出すソラは、まだ切っていないバケットで頭を叩かれていた。ミカの目は彼らよりも、異様な薬瓶の棚に興味が向く。
「リティアさんが…?」
ソラの驚きの声が聞こえた気がしたが、それよりも遥かにドロドロの黒い薬液が、心を奪う。好奇心のままに手を伸ばすと、
「それは、悪夢を見る薬だ。主に針での戦闘に使用する。」
「中身は、何?」
ケッチャの低い声が、ミカの顔を振り向かせる。ソラが食い入るように棚の薬瓶を凝視し始め、ケッチャに耳を引っ張られた。
「…主材料は、魔女茸。そこに魔獣素材を混ぜている。」
「脳味噌?」
ため息を吐きながら説明するケッチャに、ミカが更に質問を重ねると、
「あんなでかいだけの物を使うか?何の毒が、それになるかを考えると自ずと見えてくる。」
彼は店の奥へと消えて、足音がしなくなった。男を担いだままで、仮面をつけたケーフィスが、
「会うつもりなら、ついてこい。俺は、行く。」
店を勝手に出て行く。棚の薬瓶を手に取るソラを放置して、ケーフィスの後を追いかけた。
魔法士団本部という建物に入ると、聖女になりたての聖女が、男達を引き連れて向かってくる。ミカの前で、お辞儀をする彼女の頭にクラゲが乗っかる。頭を上げられない彼女は、
「クラゲさん、少し浮いていて下さい…」
クラゲから伸びている紐のような何かを軽く引っ張った。クラゲは浮遊して、ミカの頭に触れてくる。その瞬間、映像が流れ込む。笑顔の君主が、聖女に贈り物をしている。その表情は、彼女にだけ注がれ、ミカの胸が締め付けられた。これは、自分達が都合の良いように幻覚を見せているだけだ、と言い聞かせてみるが、心は事実である、と突っぱねてくる。
「ミィリ先生の甥っ子さんのミカさんでしたね。私、リティアと言います。」
「おばさんの事、本当に知ってんのか。」
誰かに関係性を教えられたであろうリティアは、こちらに手を差し出してくるが、ミカは腕を組んで拒んだ。リティアは、仮面を外して微笑んでくる。取り巻きの男達が、ぎょっとしているようだが、本人は気にしてなさそうだ。
「はい、勿論です。ミィリ先生は体育の教師でして、学校を休んで寮にいた私の為に、お菓子を持ってきてくれたり、私が狙われているというのに、戦って下さいました。とても、優しい先生で」
「ふざけんな!」
綺麗事のようにツラツラと並べる彼女に、衝動が打ち勝った。怒鳴るミカを、男を門兵に預けて身軽になったケーフィスの拳が落ちてくる。しかし、クラゲの紐がケーフィスの手首を握って、痛みは襲って来なかったが。リティアは、瞬きをしながら首を傾げる。男達からの視線が刺さるミカ。身の危険をひしひしと感じていた。
「あ、いや。おばさんからは、事前にあんたについて聞いてるし、君主からも聞いているけど…。勿論、マークからも聞いているけど。お前は、俺の町を襲うように指示したんだよな?」
声を萎めて、男達の反応を伺うミカの前で、彼女は首を横に振る。
「どう思われているのかは知りませんが、私は誰かに命令する権力なんてありません。それに、そんなものがあっても放棄します。私は、誰の上にも立ちません。」
凛とした彼女の後ろから、赤い髪の男が躍り出てきた。男はミカに肩をぶつけ、指を立てる。不均等な左右の髪の隙間から見え隠れする、獣のような目は、ミカの闘争心を擽った。
「俺ちゃん達の女神様を貶すんだったら、ハル君のところの奴でも、肉塊ジューシーに仕上げてやんぞ!」
「ジャックに、料理なんて出来ないだろう。黒焦げの半生肉が、関の山だ。」
蔑む男にケーフィスの足が飛び出し、ジャックと呼ばれた男はバク転で避けて、リティアの隣に立つ。立ててた指を変えて、下瞼を引っ張るジャックは、
「この前の失敗で、懲りたんだな!良い子な俺ちゃんは、母さんから料理を教えてもらってるんだぜ!」
自慢気に言う。ただ、ミカの闘争心からしたら、どうでも良い情報だった。早く、拳をぶつけ合いたい。そう思う相手なのだが、
「まさか、あのジャックが!?もし、主観的に良い物が出来たとしても!リティアは、食べては駄目ですよ。」
リティアを抱きしめ、ジャックから距離を取らせるくすんだ青色の髪の男の声に、聞き覚えがあった。衝動に勝てず、床を蹴り出したミカだったが、
「りんりーん!!なんて事を言うんだよ!俺ちゃんだって、女神様に美味しいって言ってもらいたい!」
ジャックが両腕を広げて、一回転したタイミングに顔がぶつかって、尻餅をつく。丸い目のジャック、そしてリティア。リティアは男の腕から軽く屈んで、スルッと抜けると、再びミカに手を差し出してくる。
「大丈夫ですか?」
「…だ、大丈夫。くっそ!恥ずかしい!」
こんな女に心配される自分。床に転がって、身体のバネで立ち上がった時、バフィンの笑い声が耳を貫通する。階段を降りてきたバフィンと、団服のディオンが、ミカの事を目を細めて見ている。
「女の子の前で、子どもみたいに転がっちまったのかー。」
「子どもじゃなーい!バフィンさんの意地悪!」
顔が熱くなっても懸命に反発するミカだったが、バフィンに髪をぐちゃぐちゃにされるだけだ。リティアが、小走りでディオンに駆け寄り、
「ディオンさん!とてもお似合いです!この後、鎧は着けられますか?物語に出てくる騎士みたいで、かっこいいです!馬に乗られるなら、ユニコーンさんが良い絵になるかと思います!」
弾んだ早口で褒めた。周りの精霊が、ゆらゆらと踊り始め、クラゲが大きく成長した。顔が、赤くなるディオンの目が泳ぐ。ミカの傍で床を靴で鳴らすのは、くすんだ青髪の男。ジャックからは、ブワッと火の粉が飛び出した。先程から一言も話していない茶色の髪を縛っている男は、魔獣の絵が描かれたカードをちらつかせている。白銀の短髪の長身の男は、首を傾げてニコニコとしているが、水の精霊達は警戒状態だ。自分に向けられていないと分かっていながらも、ミカの背筋が凍る。
「り、リティア様!護衛の皆様が怖いので、それ以上はご勘弁下さい!」
「…様なんですか?何故です?私は、ディオンさんの上に立つ人間ではありませんよ?」
上体を反って、少しでもリティアから離れようとするディオンに、彼女の声色が変わった。弾んだ声は静まり、声が口の中で反響しているように不鮮明に聞こえてくる。ポトッ、と落ちた水は、ミカの目にも鮮やかに映し出された。気がつけば、自分とリティアを重ねる。大好きな長が死を選んだ時、誰もから除け者にされた気がした。ウインディアの皆の優しさといえど、受け入れられなかった。町の人間なんて、酷く顕著だった。ミカがミカである事は変わらないのに、態度を大きく変えた。変わらないマークに、どれだけ救われたか。彼女は今、彼らの無意識の内に独りぼっちにされている。ディオンが言い訳を並べる中で、ミカはナックルを手に着けた。戦闘慣れしている人間達の視線を、一斉に浴びせられたミカは、泣いているリティアのクラゲを撫でてから、自分と何ら変わらない彼女の頭を優しく撫でた。不思議そうに見上げる彼女の瞳は、まるでガラス細工だ。
「俺達は、何も変わらないのにさ。ただ、形だけでも地位を得ざるを得なくなっただけの人間に、こういう奴らは態度を変えすぎて、本当に腹立つよな。」
「腹は立ちませんが、対等だった筈なのに…肩書きだけで距離を置かれて、悲しいんです。」
ナックルを着けた手で、彼女の溢れる涙を拭き取ってやる。取り巻きの誰かから、汚い手で!と聞こえたが、気にしない。
「優しいなー。そんなもんで、良いのか?マークが、言ってた事が少し分かった気がする。リティア、俺はミカ。ミカ・フィート。馬鹿力が自慢の魔術士見習い兼、後天的に守り神様の心臓を得た半魔獣だ。これから、仲良くしていこうぜ。」
彼女にとびっきりの笑顔を見せて、半ば強引に小さな両手を握るのであった。




