740,元狩人は空振りをする
祝!740話!
リティアは、しっかり帰ってきました。リファラルは、氷の馬車と馬の顕現で疲れが溜まっているから、ゆっくり休ませて欲しいものです…
リティアの悪戯が、徐々にエスカレートしていると感じる。俺は、子どもか?それとも、新婚夫婦の新婦役か?何にしても、侍女に見られた以上は、酒の肴に使われる。リティアと仲が良さそうな、自分と大して年齢が変わらない侍女は、リコとリファラルには、酒を注ぐ。リティアが、アスパラガスをもう一本、フォークに刺したところで、
「お嬢様、お行儀が悪いですから、大人しく自席でお食べ下さい。」
リーキーにではなく、その侍女に叱られて、
「リーキーさんが、しっかりと完食してくれるのでしたら、離れます。」
リーキーに対して、微笑んでくる。ナックのニヤニヤが止まらず、リーキーが頭を叩く。
「八つ当たりすんなよ!お前が、リティアを困らせたんだろ!?そんなのだと、可愛い娘に愛想を尽かされるぞ!」
「娘じゃない!」
人形であるが為に痛くないくせに痛がるナックに、リーキーは反射的に否定する。リファラルの静かな視線が、突き刺さる。後で確実に、説教を受ける事になると理解した。そんな事を知らないリティアは、
「あ、そうでしたね。そんな話も…」
シャークの卵は、孵化してませんか?、なんて言い始め、一気に青ざめるリーキー。この話って、まさか…
「待て待て!お前、何故知ってる!?」
「酒場で、ポーカーして連勝するリティアが、助けを求めた時に、『お父さん』ってねえ?」
具体的な事をこちらが言わなくても、ナックの口からは該当の件を滑らせた。リティアも、流石に不思議に思ったのか、
「ナックさん、長らく眠っていたんですよね?夢の中で、見てましたか?」
首を傾げ、ワインクーラーをテーブルに戻した侍女に、皿とフォークを持っていかれている。ナックが腹を抱えて笑い、
「いくら何でも夢に落ちてたら、現実は見えないよ。クラゲが、その時の記憶を見せてくれたのさ。」
「お嬢!クラゲをこちらに!」
リーキーは告げ口をした犯人を、リティアの傍を浮遊するクラゲに手を伸ばすが、
「駄目です!私の大切なクラゲさんですから、虐める人には渡しません!」
リティアによって躱されてしまう。くるん、と回る彼女の滑らかな動きに、また何も掴めずに空振りをするリーキーの手。リティアは、クラゲを両手で抱き上げて席に戻った。侍女から新しいフォークを渡されて、あどけない笑顔を浮かべる。彼女から聞いてた話と異なり、本当は内側に味方がいるようだ。食事を中断してこちらを見ていたリコが突然、コホコホッと咳をし始め、侍女もリティアも青ざめた。グラスに水を注いでリコに勧めるリファラルと、彼女の背中を擦るリカーナ。侍女とリティアまで駆け寄るから、居心地が悪い。リティアに関しては、寄ってやる必要がない相手だ。咳き込むリコは、やるかやらないかも親の気分次第であった、形骸化していた御披露目会なんぞを企画した輩だ。リティアが、なかなか魔法を使わない事は分かっていた筈だというのに。それを無理矢理使わせようとした。そして案の定、リティアを攻撃する者が増えただけに終わった。それでも、リティアはリコなんぞに懐いている。
「…その目は、何ですか?」
リティアの波紋のように広がる声に、ハッと我に返った。リーキーは、リティアの真っ直ぐな瞳に捕らえられている。慌てて目を逸らしても、今更だ。リティアはこれ以上の言及はせず、リコを心配している。それでも、言いたい事は嫌でも分かる。居た堪れなくなったリーキーは、
「兄さん、何処に行くんだ?」
「もう、休む。」
リガの鋭い声で牽制されても、足を止める事なく広間を出るのであった。
久々の自分1人だけの部屋で、ソファに腰を下ろす。酒は、自分の物を呑めば良い。だが、やけ酒用の安いものなんて何もなく、全て祝いや礼として町の人間から頂戴した物ばかり。ひとつひとつに思い出が詰まっている。そんな無価値な呑み方が、できるわけがなかった。リティアとの関係性を公にした時も、薄い桃色のワインを贈られた。彼女に渡すか迷ったが、世間的には未成年である。一族の慣習上、幼い頃から儀式の際には酒を口に含んできているとしても、だ。そのワインボトルから月を覗く。大きく歪む月の姿は、今のサンニィール家そのものに思えてくる。リティアが男として生まれていれば、この歪みが表立つ事はなかっただろう。ため息が漏れる中、扉が叩かれた。リガでもリファラルでもない。勿論、リティアでもない。比率的に風属性の精霊が多い人間は、先程の者か。
「何の用だ。」
ソファに座ったまま、扉を睨む。萎縮して服が擦れるような音は何もなく、
「お嬢様からの差し入れでございます。彼女の手料理を捨てたいのでしたら、そう仰って下さい。曖昧な反応をなさった場合、捨てて欲しいと」
「彼女に脅しはやめろ、と叱ってくる!」
淡々と話す侍女に腹立ち、大きな音を立てて扉を開けたリーキーの目の前には、リティアと仲が良かった先程の侍女の鋭い眼差しが刃を向けていた。
「優しさだけでは貴方が動かないと、お嬢様は理解しております。こんな乱暴な侍女の命にすら、涙したお嬢様を傷つけないで下さいますか?」
「…何が言いたい?」
サンドイッチが乗ったトレーが音を立てる程震える侍女の腕に、若干の驚きを隠せないリーキー。恐怖を前にする怯えではない。これは、明らかな怒り。それも、リーキーに対するものだ。
「お嬢様の気持ちなんて、貴方には理解出来ませんよ。貴方は、無意識に他人の命の取捨選択をし続けるのですから。」
「…。」
彼女から吐き出される言葉はあまりにも抽象的で、リーキーが腕を組んで思考を巡らせても、糸口が分からなかった。
「失礼承知で言いますけど、貴方がお嬢様に、父親と呼ばれる事に些か納得がいきません。先程、私めに対して母を求めた彼女の父親役には、相応しくありません!」
「俺は、親ではない!」
理由が分からん事で怒鳴る侍女に、こちらも声を荒げる。他の貴族ならば、この侍女の喧嘩口は極刑である。しかし、リーキー含め極刑にする者はいないのだろう。今、この屋敷の中には。
「私めとて、同じでございます!分かっておられても、お嬢様は望まれた。あの方が、どれだけの歳月を親という恐怖に苛まれながら過ごされたとお思いですか!恐怖の対象であった筈の親を、今になって別の人間に求めたのですよ!?代わりにならないって分かっておられるから、それ以上の戯れはしてこられません。今、その健気なお嬢様を傷つけておられるのは、リーキー様です!」
早口で捲し立てる侍女に、呆気に取られる。この侍女は、これだけリティアの味方だというのに、彼女の口からは侍女との思い出話はなかった。一体、何者なのだろうか。
「やっと…、やっと奥様がいなくなって、表立ってお守りできるようになったというのに…。身代わり人形と幼いお嬢様を取り替えた大馬鹿者だけが、未だ見つからず。今でも、腸が煮えくり返って仕方ありません。」
そう言う侍女からトレーを乱暴に押し付けられて、サンドイッチが皿から落ちた。
「まあ、お嬢様は人形と変わらないですね。一族が続く限り、お嬢様は『人形』としての役割を強いられています。」
リーキーが彼女の勢いに戸惑っている間に、彼女の中では話が進んで、忌々しそうに唇を噛む。リーキーに言葉を発する隙があっただろうか、と思う程に彼女の激情は、リーキーの身を固くさせた。リーキーは咳払いをして、侍女の勢いを殺してこちらに注目させる。その瞳は、今にも燃え上がりそうな程に強さを秘めている。
「…お嬢は、貴女の話はしていなかった。いつから、仕えている?」
「お嬢様の生まれ年、専属として招集された侍女の中で、最後の1人です。皆、奥様の度重なる嫌がらせを受けるか。はたまた、奥様側について、私に嫌味を言って辞めるかの2択でした。」
リティアとの関係の洗い出しとして、軽く質問をすると、この侍女は即答してくる。慌てて考えたふうには見えず、事実なのだろう、と推測はできる。リーキーはトレーの上のサンドイッチを掴み、
「成る程。心が折れる事なく、長く仕えていたというのか。それだけ強い事も頷ける。」
彼女を評価しつつも、それ以上話させないように、彼女の口に押し込んだ。




