724,宿主魔法士は恐怖に身を任せる
男2人を氷の馬車に乗せて巣穴まで連れてくれば、巣穴の前で仁王立ちするリーキーの睨みに出迎えられる。リガが何かを話す前に、リティアが大兎から降りて、
「クラゲさんが、リーフォックさんの御友人を助けてくれたんです!」
「聖女様に2度も助けて頂き、更に温かな寝床まで間借りさせて頂けるとは、感謝で胸がはち切れそうです。」
彼女の笑顔に続くように、男達は深々と頭を下げる。リーキーの眉間のシワが深くなるが、
「リファラル殿は、それで良いのですか?」
「ええ。」
リファラルの短い返事に、巣穴への入り口を開けた。先に大兎が入り、男達が招かれ、リファラルも入る。リーキーに肩を持たれて逃げられなくなったリティアを、ナックが笑いながらユニコーンと巣穴に戻っていく。リガも2人を置いて戻るべきだったが、足が動かなかった。
「兄さん、リティア様を叱らないで欲しい。俺の我が儘を聞いてくれただけなんだ。」
リガが懇願するも、
「お嬢は、自らの意志で殺されに行った。守る者としては、このような単独行動を制限しなくてはいけない。」
リーキーの怒りの矛先は、リティアに向いたままである。彼女の優しさに甘えてしまったリガは、心苦しくなる。怒るも殴るも、自分にして欲しい。彼女ではないのだ。こういう時に限って、
「いくら怒られても、納得できない事はやりませんので。」
彼女は助けを求めるのではなく、ニコッとリガに笑顔を見せてくる。彼女は、強がりの域を越えている。元より動じにくく、更に肝が据わっているのだろう。
「いえ、怒るのではありません。魔法で制限をかけるのです。」
「いくらでもどうぞ。頑張って抜け出してみます。」
リーキーの手から魔力がリティアへと流れる中、彼女は笑みを絶やさずに彼を見上げた。リーキーの手がピクッと動き、
「これは、遊びではありません。」
声を抑える彼から葛藤を感じるが、
「私もふざけてませんよ。」
彼女も折れない。クラゲが、リティアの頭に降り立つと、彼女の身体に流れ込んだ魔力が逆流を始め、リーキーは呻いて雪の上に転がった。リティアもリガも、慌てて彼の傍で屈む。
「精霊さん、お願いですから傷つけないで下さい。」
リティアが、リーキーの手を握る。呻く彼の身体から、ブワッと氷の精霊が溢れ、リガの顔や胸にぶつかった。
…ぶつかった?
違和感は、違和感を呼ぶ。精霊は、触れられない存在だ。リティアにくっつくクラゲは、魔獣ではない。ナックから精霊の集合体と聞いている。確かに、クラゲとリティアの出会い方を聞いても、精霊だった物が形を成したようだ。リティアの手に複数色の精霊が集まり、リーキーへと流れる。リーキーの中から、また精霊が弾き出され、リガにぶつかる。何だ、この現象は?彼女は、何者だ?普通の魔法士とは異なる。呻いていたリーキーから大きな呼吸音が聞こえ、リガは自然と仰け反った。リティアに背中に手を添えられて、上体を起こしたリーキーと目が合う。
「リガ、どうした?何を怖がっている?」
「え、あ、そ、の…」
聞かれても、答えようがない。見えない恐怖が、リティアから襲ってくる。布選びの際の彼女の発言を思い出す。素材の構成を変えるならば、全属性の精霊を動かさなければいけない中、彼女は精霊の色の選定をしていた。それは、魔法士としての感覚ではない。構成変更の概念を持たない魔術士の感性でもない。彼女は一体?気がつけば、リガは身を翻して、走り出していた。彼女から逃げるように。何もされていない筈なのに、彼女が怖い。可愛い従兄弟である筈なのに、得体が知れない。がむしゃらに走り、恐怖に身を任せて空に飛び上がった時、
「リガ…?」
何処からともなく、ピースの震える声が聞こえた。咄嗟に振り返るが、彼はこの目に映らない。夜空から、嘲笑う声が降り注ぐ。そしてリガの内側から、
「殺せ。あの人ならざるモノを…」
吐き出された言葉の矛先には、小さな翼を広げる幼子の幻があった。
リーキーは、暗い向こうへと目を凝らす。ピースは、目を擦りながら巣穴から出てくる。リティアは、クラゲに手を取られる。
「リガ…?」
「何かを怖がっているようだった。何だ?」
2人を見下ろすリティアは、クラゲのエスコートで空へと送られる。ギョッとした表情で見上げるリーキーに手を振り、そのままクラゲに飲み込まれた。クラゲの中から、リガを探す。キラキラと精霊達が道を作る。その道の行き先を見ると、エメラルドの森へ逆戻りのようだ。クラゲに頼み、リガを追ってもらう。今の状況は、クラゲに海の中で助けてもらった事を思い出す。クラゲのおかげで、様々な場面で助けられた。何か、お礼をしたい、と考えている間に、森の上空を飛ぶ人の姿が目に飛び込み、無数の氷の羽根がクラゲを目掛けて放たれた。クラゲがブレて、一緒にリティアもずれる感覚を覚えたと思うと、羽根はクラゲもリティアもすり抜けていく。クラゲは、器用に空間の移動をしたらしい。何事も無かったように、クラゲは空中を浮遊して、攻撃を止めない人の形に近づく。白銀の髪を乱す彼は、クラゲの光に照らされて身震いする。
「リガさん、どうしたのですか?」
彼が手から羽根を出現させる為、その手を止めさせようと、リティアが手を伸ばすが、
「出来損ないが、ギャーギャーと喚くな!」
リガの口から、リティアへの罵声が飛んだ。再会してから、汚い言葉を彼から受けた事がなかったリティアは、力なく手を下げる。そして、只管彼を見つめる。瞳が揺れる様子はない。固定されていて、不自然だ。違和感を覚えたリティアの口が、勝手に開く。
「リダクトさん…?」
「貴様に名を呼ぶ事を許した覚えはない!母体として、または器としてしか使い道がないサンニィールの恥晒しが!」
やはり、リガではない。寄生したリダクトの心臓が、悪さをしているのだ。下の方で、白い雪が舞い上がる。泣きじゃくるピースを抱えたリーキーが、氷のブロックを積み上げて空に到着し、
「それは、リガの身体だ!この愚父が!出て行け!」
「生みの親に向かって、何たる口の聞き方だ!貴様が役目を放棄しなければ、聖龍様が荒ぶる事などなかったというのに!」
大金槌を片手で振り回すと、リガは羽根の攻撃を止めて、距離を取ってしまう。クラゲが背後に回ってくれて、とりあえずは挟む事ができた。リティアは、ここからどうするべきかを悩む。空間を戻してもらえれば、彼に手が届く。しかし、氷の攻撃は何処からともなく発射され、空間を戻ったところで刺さるかもしれないのだ。リティアは、タイミングを見計らうしかない。幸い、リガの注意はリーキーに向いている。リーキーが、大金槌に氷を纏わせ、
「お嬢に、謂れのないレッテルを貼った貴様が、何をほざく!彼女こそが、聖女の席に座るんだ!」
一振すると、氷の礫が放射線状に発射され、
「貴様が、そうやってガラクタに熱を出して、目を離したから!そのケダモノは、蘇った!首を落としておいたというのに、それは骸の山から頭を漁り、眠られていた聖龍様の血を啜った!」
リガは棍棒に氷を張って、盾とした。ギロッと、睨むリーキーの視線が、肩にしがみつくピースへと向けられ、
「ピースがだって…?」
普段ならば驚くピースだが、
「…」
何故か神妙な面持ちで、リーキーを見つめ返している。リティアは、咄嗟に自分の両頬を叩き、
「どういう事情があるかは知りませんし、リダクトさんみたいな酷い事を言ったりやったりする人の言葉に、耳を傾けるつもりはありません!ピースさんは、私達の家族です!私だけでなく、ピースさんも虐めるって言うんでしたら、クラゲさんと一緒に戦います!」
リーキーの耳に確実に届く声を張り上げる。ポーチから岩蛙の毒を練り込んだ軟膏を取り出して、針に纏わせて見せる。リガは、軽く振り返ったが、
「くだらん。」
リティアに、黒い泥を投げつけてくるのであった。




