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694,偽物聖女は舌を出す

 淑女としての恥じらいはないのか、とリーキーに叱られても、スカートの下には防具である黒タイツを履いているわけで、誰にも何も見えないと思う。球状のクラゲの中に入れられて運ばれるリティアは、リーキーよりも速く動く事も可能だ。それをしたらしたで怒られるわけで、このまま隣を浮遊するしかない。

「すげー!」

「氷の花畑だ!」

吊り橋の方面から男達の歓喜が聞こえてくる。うずうずとする密かなる心の動きを感じ取ってしまったクラゲが速度を上げ、リーキーの爆走が始まる。到着したら、また説教だろう、と半ば諦めて吊り橋へと急ぐ。鮫達が空を舞い、蜥蜴は地面を這うように逃げていく。彼らの生息地である渓谷を埋め尽くす程の大量の薔薇が、咲き誇っているのだ。リティアは、堪らず声を上げて喜ぶ。

「魔法士スインキーの薔薇ですね!」

「お、お嬢?」

何故か、たじろぐリーキーは放置して、薔薇園に足を踏み入れれば、対岸から手を振る老婦人が居た。彼女の笑顔に誘われるように、リティアが薔薇園を進んでいく。その足元を支えるように、氷の絨毯が広がり、リティアは更に喜んだ。

「スインキーは、実在したんですね!」

「お嬢、確実に他の魔法士の力ですので、危ないですから戻って下さい!」

スキップするリティアを止めようと、氷のブロックを飛ばすリーキー。リティアの行く道をブロックで塞いでしまう。ぷくーっ、と頬が膨らんでいく。こんなに幸せなのに、邪魔された。リーキーを振り返って睨むと、

「泣いても駄目です!戻りなさい!その婦人に、見覚えはありますか!?」

「私は知らない方ですが、見るからに悪い人じゃありません!」

泣いてないのに泣いた事にされるだけでなく、

「見た目で判断してはいけません!」

更に追加で怒られた。尚更、戻りたくはない。この幻想を堪能したい。ジリジリと寄ってくるブロックをどうやって回避するかを考えていると、クラゲがリティアをブロックより上に運んでくれた。怒鳴るリーキーに、べーっと舌を出し、リティアは再び薔薇園を散歩する。氷の薔薇は、リティアの足の行く先を少しだけ避けるように移動してくれて、とても歩きやすい。飛ばされた鮫が落下してくる時間になったようで、リティアが身を翻して、その口から逃げれば、薔薇が鮫を弾いていく。スインキーに会いたい!鮫は、リティアに当たらないと確信して、溢れる想いを優先する。老婦人がニコニコして、リティアに両手を広げる。その姿は、大好きな祖母と重なった。知りもしない相手の胸の中に飛び込み、彼女からも抱き締められる。

「なんて可愛いのかしら!ねえ!私の愛しのファラル!ほんとに、ほんと!?私達の孫じゃないの!?」

彼女がリティアに頬擦りしてから、後ろを振り返る。そこには、雪の地面に両手を置いた見知った人が座っていた。

「リティアお嬢様は、私達の友人の孫娘様ですよ。愛らしきカーナ。薔薇が暴走してますから、興奮を抑えて下さい。」

「リファラルさん!」

柔らかく微笑む彼に、リティアの瞳が輝く。まさか、まさか!そういう事だったなんて!

「遅くなってしまって申し訳ございません。たった今、お迎えにあがりました。」

彼から手を差し出され、リティアはそれに応える。ガー!と、怒号が聞こえるが、そんなの気にならない。リティアの興味は、たった1つ。

「魔法士スインキーは、リファラルさんだったんですね!」

彼の胸にも飛び込み、彼に支えてもらう。2人に抱き締められる中、

「ええ。私が、あのスインキーです。そして物語よりも先に、手紙の主と再会出来たので御座います。」

彼が目を細めると、婦人の手を掬い上げ、彼女の指先に口吻をした。リティアは頬を薔薇色に染める婦人と彼を見比べ、

「凄いですね!まるで、小説の中に飛び込んだ気分です!」

物語の終盤を今、目の前で繰り広げられる興奮を止められない。顔がにやけているだろうな、と理解しつつ、背後から氷のブロックが飛んできても気にしない。

「お、嬢!良い加減に」

「おや、リーキー殿ですか?御父上にはあまり似られず、彼を飛び越えるかのように、リザン様の若かれし頃にそっくりになりましたね。」

リーキーの怒号を遮るリファラルは、その穏やかな笑みでリーキーの大股を止めさせる。両足をきっちりと揃えるリーキー。

「…失礼ながら、どちら様でしょうか?」

「自己紹介が遅れて申し訳御座いません。リファラル・サンニィールと申します。こちらは、我が妻のリカーナで御座います。」

彼の怪訝そうな表情に、リファラルは深々と頭を下げてから、隣の婦人を紹介する。リティアは、初めてお会いした女性だ。彼の伴侶のリカーナと微笑み合う。リーキーの瞳が大きく見開くと、彼も深く礼をし、

「これはこれは…。こちらこそ、突然の無礼をお許し下さい。特に、リティア様の!」

突然、リティアが立っている地面から氷のブロックを発現させて、誰よりも高くなった。クラゲの口腕を掴み、

「私は、悪い事をしてません!」

ブロックの上から飛び降りるリティアに、更に畳み掛けるようにブロックが飛び、リーキーの隣まで追いやられた。怒る彼に手首を掴まれ、リティアは地面に戻される。おやまぁ、と苦笑するリファラルが、

「リティアお嬢様は、少々お転婆姫ですからね。私も、小説の一節の再現を致しましたから…」

「まるで、リルド様を見ているようで不安になりす!」

リカーナの手を取って、ゆっくりと近づいてくる。リーキーは額に手を当てて、リティアの真横でため息を吐いてくれる。

「どうか、リティアお嬢様のお手を離されて下さい。彼女が、そうやって生き生きとしている姿は、何にも代え難い尊き物です。長らく…床に伏せておりましたから。」

リファラルの言葉で、その頃のリティアの記憶がぶり返される。パッ、パッ、と紙芝居のように場面が変わる。必死に足に力を入れて、立っていられるように耐えた。リーフィは、今何処にいるのか。ハルドは、どうなったのか。学校の皆はどうしているのか。現実への不安が、押し寄せてくる。

「…どういう事ですか?いえ、ここで立ち話は止めましょう。少し遠くにありますが、我が家にいらして下さい。リティア様は、先に帰りますよ。」

リーキーの手が離れ、少しよろけるリティアは、

「はい!夕飯を作って待ってますね!」

自分の心境を諭されないように明るく振る舞って、薔薇園へと駆け出し、

「あっ、こら!走らない!」

リーキーが鬼の形相で追いかけてきて、すぐに脇に抱えられてしまった。

「愛しきカーナ。氷の薔薇の道を渡りましょうか。」

「是非!」

後ろからは、仲の良い夫婦が散歩デートをしているかのように、楽しそうに薔薇園を歩くのであった。


 家に帰ると、リガとリカーナは知り合いだったようで、夕飯を作っている間も談笑している。リティアはピースと共にサラダを用意して、リファラルがメイン料理の煮込みハンバーグを作ってくれた。ワイン瓶を抱えて帰ってきたリーキーは、リビングにグラスを配置し、ピースとナック、そしてリティアに林檎のジュースを注ぐ。切り分けたバケットを両手で鷲掴むピースに、目を細めるリファラル。

「バケットをそのまま食べるのも良いですが、煮込みハンバーグのソースを乗せて食べても美味しいですよ。」

ピースの興味をハンバーグに向けさせると、ナックを見つめ、

「リティアお嬢様の2人目の精霊人形が、誕生したようですね。リティア様、公言は控えるようにお願い致します。」

リティアに頭を下げて頼んでくる。リティアが首を傾げると、

「ピース、ナック。絶対に、この町の人以外の誰にと自慢するなよ。」

リガからの牽制のような発言に、ピースの背筋が伸び、ナックはニコニコと笑顔を浮かべた。

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