661,偽物聖女は手招く
女性の声が聞こえてから何度も話しかけるが、返事は返ってこない。向こうから聞いてきたが、聞く気がないという事なのか。
「聖女ルナ様の意思を継ぐ者です。」
なんて、リーキーが言ってくれるが何の反応もなく、リティアが見渡しても姿は見えない。当てもなく歩き続けて、女性を探す。空を飛ぼうものなら、精霊達が動物の姿になって囲みに来てしまう。リティアは、傷つけたいわけではない。極力触れないように、雪の絨毯に降りた。
「私達だけでは、ここから出られない気がします。どうにか接触できたら良いのですが…」
リーフィだったら帰り方を知っている。しかし、リティアもリーキーも知らない。ここにオルトロスや祖父を呼べたなら、きっと状況を打破できる。リーズダンでも可能だろうが、取引を持ち出された時に断る術がない。胸を押さえて、応えてくれる存在がないかを確かめる。
「どこか痛みますか?」
リーキーが心配してくれるが、こちらは怪我をしているわけではない。ニコニコと、笑顔で首を横に振った。
《異物は許さない!》
「私達は、貴女からしたら異物です。だから、元の場所に帰しては頂けませんか?」
やっと聞こえた女性の声に話しかけてみるが、精霊がリティア達を取り囲むだけで、彼女からの反応はそれ以上はなかった。リティアの胸が燃えるように熱くなり、白い獣が胸から飛び出した。
「オルトロスさん!」
リーキーが退治しようとする前に、オルトロスを抱きしめる。オルトロスが、リティアの声に応えてくれた。それだけで、どれだけ嬉しいか。ポンポンと2本の尻尾が頭を撫でてくれる。
《ここ、ユニコーン姐さんの中かな?》
「ユニコーンさんの心の中なんですね?」
オルトロスが一吠えするだけで、精霊が飛び散った。リティアが彼の2つの頭を撫でに行くと、ピタッとリーキーが隣を移動してくる。警戒している緊張感が、リティアにも伝わっているのだ。
「リティア様、どうやって呼んだのですか?」
「オルトロスさんは、私の心の中に住んでますから、お願いして出てきてもらったんです。」
声を潜めるリーキーの前で、オルトロスとのスキンシップをしてみせた。オルトロスも大きな舌で顔を舐めてくれる。リーキーの眉間にシワが寄り、
「リティア様の心が、侵蝕されているのではなく?」
「オルトロスさんはそんな事しません。他の人達は、どうしてますか?こちらに来てから、声が聞こえなくて。」
悪い方に話を持っていこうとするリーキーに、リティアは頬を膨らませながら、オルトロスに小首を傾げる。
《この地域のヌシに闘志を燃やしているみたいだけど、その場で磔されてて動けないみたい。あのおじさんも地面で藻掻いてた。》
「おじいちゃんは?」
容易に想像できる光景に、リティアの唇が震える。皆の為に、ここの豪雪地帯から抜け出さなくては駄目だ。戦いを求めて欲しくないだけでなく、磔では幸せに暮らせていない。
《リザンと自分達は、彼等よりも更に階層が下がるから、そんなに影響を受けてないや。ココアを淹れながら、ずっと聖女の心配してる。》
「ありがとうございます。私は、元気に冒険してますよ。」
教えてくれたオルトロスの2人分の頬にキスをして、頬を擦り寄せたリティアの傍で、
「リティア様の心の中に何人の人間が居るんだ?しかも、祖父まで…?」
リーキーの呻きに近い声が呟かれ、彼は両手で頭を抱えた。どこまで何を伝えるべきなのだろうか?リティアには判断がつかない。悩んでいると、オルトロスが遠吠えを上げてリーキーを驚かせる。この空間内に漂う精霊達が、悲鳴を上げた。そして、身を寄せ合って形を作り上げる。白い馬は、四肢がしっかりと太さがあり、身体もがっちりとしている。よく馬車で見かける馬達よりも一回りは大きい。それでもヒメよりは、小さめに見える。ヒメは、マテンポニーの中では小柄だが、それでも大きいという事だ。リティアが触れた時のように、角は折れたまま。オルトロスが白馬を見つめ、
《姐さん、分かる?オルトロスだよ。》
オルトロスが優しく話しかけたが、彼女は前脚を持ち上げて嘶く。
《異物め!精霊殺しめ!》
《姐さんだって、ここからしたら異物でしょ。僕達、皆異物同士だよ。》
オルトロスの非情な言葉が、彼女にぶつかった。彼女は足を降ろし、長い首を稲穂のように垂らす。ビリビリと紙が破ける音と共に、緑が生い茂る大草原が姿を現した。白馬達が楽しそうに駆けている。グリフォンが空の風を切って泳ぐ。飛龍が、巨大な玉座で昼寝をしている。リティアが心が弾むままに飛び跳ねると、
《今は見る事がない理想郷よ。ずっと会いたかったの、リティア。貴女がここに来るのをずっと、待ってた。水龍に声をかけておいて正解だった。彼の眷属が作り上げたクラゲは、貴女と共にある。》
ユニコーンの傍に、白馬達が寄り添ってきた。水龍の話が出てきて、リティアは声を弾ませる。
「水龍さんとも、お知り合いなんですね!クピアの町で、とっても素敵な物を見させて頂きまして、わた」
《リティア。》
けれども、それは遮られて、ユニコーンがリティアに近づいてきた。優しい瞳が、リティアの瞳を覗く。
「はい、何でしょう?」
そんな彼女に微笑む。オルトロスの尻尾が激しく振られて、その痛みに耐えながらではあるが。
《眠りから醒まして欲しい人がいるのよ。それは貴女にしか、出来ない。》
「私で良ければ、頑張ります。」
そんな事ないだろう、って思う。リーキーに出来る事だ。寧ろ、魔法を使えないリティアにしか出来ない事なんて存在しない。そうは思えど、快諾する。頼られたのだ。応えねば。ユニコーンが、リティアの髪をハムハムと口で遊び始め、
《ありがとう。やっと、『認識』できた。鉄鉱龍の坊やが覚醒めた事で、精霊を狂わされてしまった。オル、今は心臓だけ?》
《そ。心臓だけ。姐さんも、こっち来る?》
何だかくすぐったい中、ユニコーンはオルトロスとも頬を合わせて、仲が良さそうだ。リーキーの鋭い視線に気が付かないわけではないだろうが、彼女は完全に無視をしている。
《いえ、遠慮する。最後の身体が朽ちるまでは、これで動くつもりなの。》
そう笑う彼女が、また現実で、と踵を返す。リティアの目の前で精霊が大噴水の如く溢れ、眩しさに何も見えなくなった。
ピースがリティアの身体の上に乗って、めそめそと泣いている。その身体をギューッと抱きしめ、
「ピースさん、ただいま帰りましたよ。」
微笑んだ。目を真っ赤にした彼は、何度も何度もリティアの小さな胸に頬擦りをして、リーキーに引き剥がされる。ギャーギャーと泣き叫ぶピースに、鼻をつけるユニコーン。角はないままで、リティアが触れに行くと、
《このままで良いのよ。ありがとう、リティア。》
彼女に断られてしまった。丸い目のピースに、
《グリフォンちゃんの息子君、馬の背中に乗ってみたい?》
「乗るー!」
彼女が背中を差し出せば、ピースも喜んで飛びつく。そんなピースを微笑ましく思っているリティアの身体が軽々と持ち上げられ、
「では、お嬢も頼みます。」
リーキーによって乗せられてしまった。ユニコーンがゆっくりと歩き始め、リーキーは広がっている天幕をそのままに隣を歩く。何処に連れて行かれるのか分からぬまま、静かな森を進んでいく。リーキーは、何も言わない。リティアは、ピースと楽しく談笑する。そして月が顔を出す頃、
「ベルが光っています?」
リティアのコートにつけたハルドからの贈り物が、リンリンと音を鳴らして、中に隠れていた精霊達が出てくる。氷の森で精霊がキラキラと反射し、背の高い針葉樹を越えるような虹のアーチが、組み上がった。ユニコーンが足を乗せ、
《その精霊が作った橋は、渡れそうよ。獅子がこちらに気がつく前に昇ってしましょう。》
躊躇うリーキーを置いて空を歩く。ピースの瞳が輝き、リティアはリーキーに手招きをする。肩を竦める仕草を見せたと思ったら、彼は物凄い勢いで追いついてくるのであった。




