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654,偽物聖女は願う

 身体は呼吸をしているが、全く目を覚まさない。幼い頃のお嬢よりも遥か上を撫でていたリティアを精霊が取り囲み、彼女は瞼を閉じたまま倒れ込んだ。背後にいた魔獣達は、悲鳴のような甲高い声で鳴きながら逃げていき、残されたリーキーとピース。ピースは、リティアの肩を揺らしながら、

「帰ってきて!帰ってきてよ!」

必死に話しかける。彼女に何があったのかが、全く分からないリーキーにとって、町に戻る事が最善かと思ったが、

「リティアは、この馬の中に入れられたの!」

ピースに怒られた。どうも、リーキーが幼い頃のお嬢に見える幻影は、馬らしい。そうなると、リティアは馬の頭でも撫でていたのか。ここから動かない幻影の傍で結界を張り、簡易的な天幕を立てる。リティアの身体が冷えないように焚き火をして、彼女を毛布で包む。ピースの毛布も用意してから、自分も馬の中に入って彼女を助けられれば、と幻影に触れてみた。


 最初は、空間転移をされたのだと思った。幻覚の雪原に戻されたんだと。しかし、

「雪が冷たくない…?」

冷気を感じない。雪に触れても冷たくない。これは、夢を見せられているだけ?不思議な感覚に囚われながら足を動かすが、進まない。額が透明な壁にぶつかっているような感じだ。試しに傘を手元に呼ぼうとするが、何も来る事はなく。

「例えば、オルトロスさんとか…来てくれたりしないですかね…」

夢だとしたら来てくれそうなんて軽く考えると、

《私の精神世界に異物を入れないで。》

透き通ったような女性の声が響く。雪の役目を担う精霊が一斉に舞い上がり、リティアを空に飛ばしてしまう。ふわふわな白くて丸い物が一面を飛び交い、リティアは空中散歩をしながら楽しむ。丸い物を1つ掴むと、雲が馬を模る。次に狼になる。リティアの周囲は、雲の動物に埋め尽くされて、存在しない瞳達がこちらを注視する。精霊達のものだ。リティアは彼らに微笑み、

「怖くないですよ。私は、傷つける為にいるのではありません。」

敵意はないと伝えたが、

《嘘》

《侵入者のくせに》

《乗っ取る気だ》

精霊達は信じてくれない。どうしたら、信じてくれるのだろうか?空を泳ぎながら、最初に形を成した馬へと近づく。逃げる素振りを見せない馬の顔を撫でると、その姿は消えてしまった。

《殺した》

一気に精霊が震え上がる。害を加えようとしたわけではないのだが、リティアは既に敵として認定されてしまった。どうしよう…と思いながらも、他の子に手を伸ばす。本当に敵意はないんだと、分かってほしい。しかし、その子も消えてしまう。リティアの手には何も残らない。リティアを外敵とした精霊達が、一斉に押し寄せてきた。彼らを抱きしめる為に両手を広げ、今も尚敵ではない、そう伝えたい。皆が、跡形も無く消えていく。リティアの心が届かないままに。空気を抱きしめて涙を溢した時、空から地上へと身体が突き落とされた。

「お嬢!」

その声は、リティアの心細さを一瞬で拭う力強さ。リティアは身体を捻り、

「リーキーさん!」

空気の抵抗を全身に受けて速度を落とす為に両手両足を広げて、何処かに居る彼を探す。ブワッと広がる雪の形を変えていない精霊達が、リティアの涙を掬い、キラキラと弾けた。リーキーへの道筋を光の川になって見せてくれる。彼に受け止めて欲しい!と願えば、リティアの身体は風に運ばれ、安全に彼の胸に飛び込めた。温もりは感じないが、ここに触れても消えない彼がいる。その胸に安心して涙を流す。

「精霊さん達に触れると、皆消えてしまったんです。私は、消したいわけではないんです…」

「それは、貴女様の配下となったという事ではないでしょうか。貴女様を害せないように姿を消したのでは?精霊に死の概念はない筈です。」

彼にゆっくりと地面へと降ろされる。その瞳は、リルドのように優しいものだ。諭すように言われても、

「そんな事ありません。私が、私が殺したって、言われたんですから!」

リティアの心が震える。精霊達を傷つけたいわけではない。しかし、結果的に傷つけたのだ。彼らに負の感情を持った事など、今まで1度もないというのに。彼の手がリティアの頭を撫でる。これは、リティアを慰めているのだろうか?

「誰にですか?」

「精霊さん達に。」

彼の優しい声色とは反対に、リティアは自分のコートにシワを作る。彼の瞳に映るリティアは、きっと泣きじゃくる聞き分けのない子どもだろうか。これがリグレスならば、分かってくれると思ってしまう。

「精霊が、人間の言葉を話せるとでも言うのですか?」

「…意思の疎通できますよ。」

彼の眉間に軽くシワが寄り、リティアは確信を得る。彼は、リティアという子どもが言う事を信じていないのだ。ああ…まるで、リルドと話しているみたいだ。悔しくて唇を噛むと、

「そうなのですね。聖女ルナ様にできた事が、リティア様にもできると。これは、由々しき事態です。なるほど、あの愚父が陥れてでも欲しいわけだ。」

リティアが予想していない言葉が返ってくる。聖女ルナと同じ事が、『魔法が使えない』自分にできている、と?それが何故、こちらを殺そうとしているリダクトが、欲するという話になるのか?リティアが堪らず口を開こうとした時、

《ルナ?ルナは、何処に居る?》

先程の女性の声が響き、再び雪が舞い上がった。


 先日の地震では、王都が激しく震え上がった。非番であった王国団団員は、誰であろうが街の為に駆り出され、ジャックもその1人だった。学園都市に行く任務をケーフィスに譲ったジャックは、足元に炎を纏わりつかせながら空を飛ぶ。予期せぬ魔獣化からの帰還は、ジャックの魔力値を引き上げた。今まで出来なかった事が出来るようになっていて、この空をゆっくりと飛ぶのもその1つだ。猛スピードで飛ぶ事の方が簡単だった。瞬間的に爆発を起こしていれば良かったからだ。今の動きは、風の精霊を使いつつの浮遊。燃え上がっている建物にジャックが触れるだけで、火の精霊は小さくなり、火事は収まった。そうやって中央区の建物を救った後は、東区に移動する。西区に行くと、母がいる。彼女が、何もせずにいるわけがない。だから、工場や畑が多い地区をジャックが周る。バフィンの道場前では、彼の弟子が集まって炊き出しをしている。彼の道場は結界が張ってあり、無傷そうだが、他の家々とは異なる。その他の家は焼け跡はあれど、現在進行形で燃えているのは1軒くらいだった。この地区の人が自分達で消化したにしては、精霊が縮こまっている。ジャックが不審がりながら火事現場に向かうと、家の傍に降り立つ前に火が消えた。パチパチと拍手が聞こえる中心に、見知った赤色の髪が見える。理性はぶっ飛び、本能のままに彼に短剣を投げつけた。一般人の悲鳴の中、中年男性は腕で払い退け、そして。

「ジャック。その行動力は、誰に似たんだ?ジェットは慎重な方だろう?」

父の名前を呼ぶ中年男性。瞼にある筈の傷が1つもない。

「ガルーダ伯父さん…本物?」

「…ああ。その1部分でしかない。リデッキ殿に伝えてくれ。あの道場付近で落ち合おうと。お渡しすべき亡骸がある。」

魔法でナイフを手元に戻して構えるジャックを、ガルーダは腕を後ろに組んで見据えるだけ。この罠に引っかかりに行きたくはないが、

「父さんと母さんも、一緒で良いなら呼んでくるよ。」

「分かった。今夜、来る事を心待ちにしているぞ。」

ジャックは彼との約束を取り付けると、真っ先に大聖堂から指示を飛ばす『聖者』としてのリグレスへと突進していくのであった。

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