65,隊長は客を招く
リグレスが単独調査から帰ってきた時間は、深夜2時。基本残業している隊長なので、いつものように灯りが扉の隙間から漏れている隊長室へ入ると、珍しい客人がソファに座っていた。客人と話し込んでいるリルドが、リグレスに気が付いて軽く手を振る。リグレスも会釈をしてから、リルドが座っているソファの後ろに立つ。
「リグレス兄さん、お久しぶりです。」
「リグレス、横に座って。楽にしていいよ。」
リルドの前に座る中性的な顔立ちの青年は、ブルーグレーの髪色で顔の右側が隠れるほど長い前髪を持ち、ボブとなっている後ろ髪の内側には、同じ一族の証でもある銀髪がチラつき、ツートンの髪となっていて、パッと見は身内とは思われにくかった。
「ありがとうございます。フィ、お元気でしたか?なかなかお会いする機会もなく、四番隊でどうしているのか気になっておりましたよ。」
リグレスは客人に微笑みながら、その隣にゆったりと腰掛け、客人の頭を優しく撫でる。
「俺の横のつもりで言ったのに、リーフィの隣に座るのかー。」
「良いではないですか、貴方様も含め旧知の仲ですよ。」
ぶーたれるリルドに、リグレスはわざとらしく肩を竦めてため息をついた。
「僕もお会いできて嬉しいです。四番隊ではやはり父が怖くていつも怯えていますよ。リグレス兄さんにフィって呼んでいただくの、本当に懐かしくて、頑張って起きててよかった!」
「リゾンドさんは、基本的に誰に対しても厳しい方だからね。フィって確かに懐かしいな。リティがまだよちよち歩きの時に、リーフィを呼んだら、呼ばれたと思ったリティが頑張って長い距離歩いてきたんだよね。」
パチンと両手を合わせて顔が綻ぶリーフィを微笑ましそうに眺めるリルドが、思い出話を始めた。
「ありましたねー、それで聞き間違えしないようにリーフィはフィ、何故かリグレス兄さんもグレスって呼ぶようにしましたものね。」
クスクスと、リーフィもリグレスも懐かしみながら笑いを溢す。2人に目を細めるリルドは、魔法で棚を開けて3人分のグラスと、赤ワインを一本、そしてコルク抜きをテーブルの上に並べる。それを自然な動作で、リグレスがワインのコルクを抜いてからグラスに均等になるように注いでいき、リルドとリーフィの前に置いた。
「リーフィ、どうぞ。」
「ありがとうございます!ワインなんて高級なもの、久しぶりに飲みます!」
「そうなのかい?明日もあるから開けるのは一本だけね。では乾杯。」
コツンと3人でグラスを軽くぶつけてから、同時に口に含む。嬉々としているリーフィは一口ずつ舌に乗せて香りを楽しんでいるようで、他の2人よりも減りが遅く、リルドはテーブルにまだ空にしていないグラスを置いた。
「そろそろ、本題に入っても良いかな?」
「はい、お願いします。」
「…。」
リグレスも、忙しい身のリルドが談笑のために時間を割くことは、珍しいこととは分かっていた為、今は静かに次の言葉を待つ。
「まず、リゾンドさんには許可は取ってある。7月25日から8月2日までリーフィには行ってほしいところがあるんだ。」
「…ということはそれなりに遠方なのですね。しかし一番隊の隊員ではなく、何故自分なのですか?」
「夏休暇中のリティの護衛を頼めるのが君しか居ないんだ。これは誰にも言ってはいけないよ、リゾンドさん含め。」
それを聞いてリグレスは、ブフォっとワインを口から吹き出してしまう。幸い、吹き出したものはグラスに戻っただけで済んだが。
「リグレス…。」
「も、申し訳ございません。」
リルドからの冷たい視線を受けつつ、リグレスは軽く頭を下げた。
「その役目は僕で良いのですか?あの父に何て伝えたのですか?」
「ああ、リゾンドさんはリティを快く思っていないのは承知の上。海底を歩くことができるリーフィに海底遺跡の調査をお願いしたいと言って、一時的に一番隊同等に調査権限を持てるように、手続きもしてきた。」
「リティア様の護衛ついでに海底遺跡調査ということでしょうか。」
リゾンドが、リティアを恥晒しと罵ったあの日から、次期長であるリルド筆頭に一族内でも密かに戦っている。要はリーフィの父親は、リルド達は敵対勢力と言っても過言ではない。また、中立的な立場を取る者も多く、リグレスの父は中立でリグレスにもそれを強要していた。
「リティは馬車移動なので、到着日は7月29日前後になるかと。そこに少しゆとりがあるから、そこで深部まで行かないで良いから、様子を見てほしい。」
リゾンドとの関係性を分かっていて、それでもリーフィをこちらに取り込もうとしているリルドの手元は、まるでチェス盤でも広げているようにも見える。
「…流石ですね、リルド様。」
「先程から何なのかな?なんなら、中盤くらいからリグレスも行ってもらうけど?」
リグレスが感心していることに気がついていないリルドは、むくれながらリグレスのスケジュールを無理やり埋めようとする。そしてそれを聞いたリーフィの表情が明るくなったことも、気がついていたが、
「ああああ…お慈悲を。夏季の予定は仕事で埋まっておりますので、リルド様より先に過労死するわけにはいきません。」
「…やはり向こうで厄介事があったようだね。それは明日にでも。」
慌てて頭を下げたリグレスのグラスにワインを注ぎ、リルドは一瞬だけ目配せし、リグレスも顔だけで頷く。
「えっと。では、リティア様の護衛をしかと務めさせて頂きます。そして、海底遺跡の調査ですね。」
少し視線が落ち気味のリーフィは、2人の会話が終わってから、再度これからのことを確認をする。
「現段階での報告をまとめてある海底遺跡の資料は、後日リグレスに持って行かせるからね。…リーフィ、君が一番隊に異動希望出してくれることを楽しみにしているからね。」
「一番隊になんて、出来損ないの自分にはもったいないお言葉です!」
「どうして…?」
リルドの言葉を聞いて、今にも泣き出しそうなリーフィに、リルドは不思議そうに首を傾げた。その2人の表情は、本当にリティアによく似ていると勝手に考えていたリグレスだった。
リルドはまだ仕事が残っているとのことで、リグレスとリーフィは先に寮へ帰ってきていた。王国団の寮は3棟あり、所属する団によって棟が異なる。リーフィが先に、魔法士団の寮の扉に手を伸ばす。
「あ、あの!お忙しいところ、申し訳ないのですが少しお話よろしいでしょうか!」
「おや。魔術士団員さん、如何しました?」
わざわざ魔術士団員が、魔法士団の寮の傍で待つことは珍しい。気難しい魔法士と出会った場合、相手を気絶させてしまうこともある。気合の入った真剣な眼差しを向けてくる顔に火傷跡の残る魔術士に、リグレスは微笑みながら振り返る。
「も、もし『聖者の手』を持つ者をご存知でしたら、こちらをお渡し願いたいのです。」
魔術士はペコペコと頭を下げながら、自分の後ろに置いていた大きな籠をリグレスに手渡す。その手も水ぶくれ箇所が目立った。
「これは…オレンジ?」
「は、はい!自分の出身の農村で収穫されたもので!農村の皆が、自分を助けてくれたお礼に渡してほしいって…。ご、ご迷惑ではなか」
「分かりました。一番隊隊員リグレスがしかと受け取りましたので、該当の者に責任持って渡します。助かって本当に良かったですね。」
受け取ったのが自分で良かったと、リグレスは内心ホッとした。本当に下手な相手に出くわすと、目の前で彼の大切なものが燃やされかねない。籠ごと燃やされて、絶望する顔が目に浮かぶ。
「あああ…ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
「いえいえ、あの飛行型相手に勇敢に戦ったと報告を受けております。今後も貴方の活躍を期待しておりますからね。」
「死にかけた自分に勿体ないお言葉です!でも、ありがとうございます!これからも鍛錬に励みます!」
では失礼しますと、最敬礼をして駆け足で自分の寮へと戻っていった。