636,姫騎士は跨る
オウカの作品へのお礼としてだろう。朝食が、いつもより豪華だった。こちらと一緒に食事していたオウカが、
「野郎ではないんですから、山盛りを食べきれません!」
と怒りながら、まだ満腹になっていないスズランの口に放り込むくらいだ。給仕係に撤するディオンは、セイリンの皿に次々と盛っていくと、
「本日のお嬢様は、我々と共に行動せずにスズランさんと空を飛んでは如何でしょう?」
耳元で提案してくるが、
「試着はさせるが、まだ子どものスズランに装着できるとは思えないな。それに、付け方がいまいち分かっていない。事故でも起こしたら、危ないだろう。」
セイリンは譲らない。彼の口にステーキを押し込み、少しでも食事を摂らせれば、何処からか母の視線を感じる。まさか、我が家に隠し窓でもあるのだろうか?後ほど調べる事にして、オウカに視線を動かせば、彼女が大窓のカーテンを一瞥してから、
「今や、空の民はディオンさんのみです。バンドの中のセンさんに聞いてみて下さい。」
「声をかけても、反応がないんですよ…」
何もなかったかのようにディオンと話をする。なるほど、あそこにいるのか。セイリンは、スズランを隣の席に座らせてから立ち上がり、カーテンを捲る。正確にはカーテンの向こう、中庭から侍女に混ざる母が居て、頭を抱えた。大方予想はつく。ディオンとの仲の良さを確認したいのだ。元々が悪くない。恋仲に見えるかどうかは知らないが、早朝から無駄な時間を過ごす母に辟易した。
護衛として町を守る私兵達を連れてブルドールの集落に再び訪れたセイリンは、絶対に叫ぶな、と念を押してから、
「スズラン、昨日のこれを試してみよう。」
可愛いスズランに龍装具を見せ、彼女に大きくなってもらう。それでもやはり数人の声が漏れ、キッと睨む。スズランが怖がって逃げ出したら、悪い連中に追いかけられてしまう。真っ青になる兵に睨みを効かせていると、きゅう!と可愛い声が頭の上で聞こえ、勝手に膝当てを背負って背中を滑らせてしまう。オウカのため息が聞こえてきて、
「スズランさん、姿勢を低くして下さい。」
彼女の指示が飛ぶ。スズランはお利口にも言われた通りに伏せて、オウカが靴を脱いで背中に乗った。
「ほら、セイリン様も。自分でできないと困りますでしょう?」
「ああ、そうだな。」
オウカに続くように乗って鐙を引き上げるが、鐙がなくても安定して乗れる程にスズランが大きい。セイリンが背中に座るも、余裕でオウカも並べている状態。多分、これは正解ではない。ディオンを見下ろせば、彼の眉が下がっていた。きゅう…と残念がるスズランを慰めようと、背中から降りた際に、
「セイリン様、この子は色々な大きさになりますか?」
「…ああ!以前は、複数人入れる大きな籠を抱き上げられる程大きくなったぞ。」
オウカに声をかけられて、降りずに振り返った。彼女は暫しの思案顔からの、
「わかりました。身体のサイズ感を掴めていないんですね。」
セイリンよりも先に地面に降り、スズランの頬を撫でにいく。セイリンが降りようとすると、オウカに制止されて、そのまま膝当ての上に鞍を乗せて待つ事にした。オウカが両手を広げているのか、スズランの首横から指が見え隠れする。
「スズランさん、セイリン様を乗せたままで、オウカが顔を抱きしめられる大きさに変われますか?」
きゅう!と弾んだ声で鳴くスズランは、格段と小さくなり、慌ててセイリンは落ちないように彼女の首に跨る。馬の頭を撫でる仕草をするオウカが、はっきりと見える程になった。
「上出来ですね!それでは、改めて龍装具をつけてみましょう!」
膝当てを翼にぶつからないように首から肩につけて胸下にベルトを回し、その上から鐙と鞍をつける。セイリンが鞍に腰を掛けると、スズランの顔に回すようにベルトが送られてくる。セイリンは、それを受け取り、他の龍装具に緩みがないかを左手で確かめてから、
「スズラン、歩いてみてくれ。」
可愛いスズランに声を掛ける。鐙に足をかけて軽く前傾姿勢になった時、スズランの身体が大きく沈み、空へと跳ね上がった。彼女の顔を抱きしめていたオウカがしがみつく事ができずに落下し、セイリンが咄嗟に手を伸ばすが、落下位置までディオンが移動して事無きを得た。が、スズランは空から降りる気配がない。彼女の右肩を軽く叩いて戻るように言うが、彼女は可愛く鳴くだけで集落の周囲を飛び回る。彼女が満足するまで付き合おうと、普段は見ることができない上空からの景色を楽しんだ。黄金の龍が視界に映った気がして振り返るが、視線の先には大河が広がっているだけだった。慣れ親しんだ町々が見える。スズランと一緒に挨拶に行けるように、徐々に皆に周知しなくてはいけない。
「きゅう!!」
彼女の弾んだ声に、オウカとディオンが手を振っている。兵達の中には腰を抜かした者もいるようだが、こんな事で倒れていられるか、と思ってしまう。スズランに気をつけて降りるように伝えて、手綱の加減でエスコートする。人を巻き込まないように、居住区よりも離れた側に降りてもらう。彼女の頭を撫でて鐙から足を外すと、
《空は美しいよね。》
センの声が聞こえた気がした。バッと振り向くと、座敷牢と言っていた離れしかない。スズランが、その空耳に応えるようにリズミカルに鳴くのであった。
スズランの空中散歩の後は、ディオン達が居住区で探し物をする間、彼らを守る為に私兵達と周辺の巡回をしていた。スズランから龍装具を外した時に鱗を傷つけてしまったようで、折角の綺麗な銀色がくすんでいた。本人は気にしていないようだが、こちらは申し訳なくて仕方ない。隣をついてくる大きくなった彼女の鱗を撫でると、
「姫様は、怖いと思わないのですか?」
父と同年代の私兵長に話しかけられた。何について言っているのかは、ご丁寧に言われなくても理解できる。円な瞳を向けるスズランに頬擦りして、彼に視線を流す。
「何をだ?英雄レインは、龍に跨って戦うタペストリーが現存し、聖女ルナは魔獣達を従える伝承が残るというのに、心を通わせられないというのか?」
「…変わられましたね。あれほど、魔獣を憎まれていたというのに。」
どういう心情なのかまでは読み取れないが、彼は目を細めてきた。セイリンは、とりあえず良い方へと考える事にして、
「そうだな。私の偏った思考に、何度もぶつかって下さった先生と、私の前で魔獣と仲良くして疑問を呈し続けた友人のお陰だ。あの2人がいなければ、今だって凝り固まった偏見のままだっただろう。」
「ま、魔獣と仲が良い…人間が居たのですか?」
スズランの頬にキスすると、震えた声が後ろから聞こえてきた。セイリンより歳上の兵だ。
「ああ。聖獣ケルベロスを連れて帰ってきた時は、驚愕したな。あの3つの頭を順番に撫でて微笑む彼女は、大型犬に愛情を注ぐ飼い主達と何ら変わらなかった。ケルベロスが私の顔を舐めようものなら、彼女は寂しがっていたし。」
会いたい。ケルベロスにもリティアにも。自然と拳に力が入り、お、お嬢様?と兵を不安にさせてしまう中、スズランが拳に顔を擦り寄せてきた。
「ケルベロスを攫った賊だけでも…捕縛と討伐ができれば!私の大切な日常を奪った騎士団の腐敗物め!」
ワナワナと震える拳を優しく舐めるスズランのおかげで、なんとか爆発しそうになる感情に耐える事ができた。怖ず怖ずとする兵長に、
「お、お嬢様…。近々、魔術士団の詰め所が完成して招きますので、その際に協力を要請しましょう?」
提案されたが、セイリンは頭を縦に振る事はしない。集落から離れ過ぎた事に気がついたセイリンは、少々足早に踵を返し、且つ早口で、
「彼らは私が頭を下げた、ルーシェ領周辺を守る魔術士だ。友の奪還は頼めない。これだけ広大な土地を守る戦力を削ぎたくない。お前達の無駄死は許さんし、泥臭くともみっともなくとも、生きろ。それが全てだ。潔さなんぞ、求めるものか。」
私兵全員の顔を見ながら、集落へと戻る。おお…、と感嘆な声が聞こえた気がするが、振り返る事はせずに木造の家の壁に触れる。ガタッと音が聞こえ、スズランを手で制止させてから、ランスを構える。兵達もガチャガチャと金属の音を立たせる中、桜の花びらがセイリンの傍にふらりと流れ、小爆発を起こした。家の中に居たのはオウカだったようで、扉から彼女が顔を出す。すぐにランスを下げて、頭も下げた。
「すまない!2人だったか!」
「スズランさんが警戒していない時点で、気がついて下さい!ディオンさんは、気がついておりましたよ!」
全く、脳筋姫は!、と罵声を浴びせられたが、反論する事なく、オウカに謝るのであった。




