632,劣等魔法士は見たことがない
センを膝に乗せながら、御者席で風を浴びるディオンは、女性2人の会話を静かに聞いていた。オウカの挑発的な態度に、セイリンが耐え兼ねるような事は決してないとは思っていたが、彼女はディオンの想像の上を行った。オウカを上手く掌で転がしているのだ。オウカもオウカで、自分の思い通りにセイリンが反応しない事を悔しがり、彼女を口で負かそうとしている。長い移動でも退屈しなさそうな程面白い2人の会話は、ディオンのちょっとした息抜きになった。
「アテスラ、顔が緩んでる。」
「し、失礼しました。」
センが足をばたつかせてきて、ディオンは謝る。馬車に乗ってからずっと構わなかった事で、彼の機嫌を損ねたかもしれない。彼の頭を撫でると、その腕を掴まれた。駄目だったか。どうしたら機嫌を直してくれるのかを聞くしかない。ちょうどその時、ルーシェ領近くの草原の小道に馬車が差し掛かった。ここからルーシェ領に入らず、背の高い草原の道なき道を行けばブルドールの里がある。けれども、まずはルーシェ家の奥様に挨拶をして、荷物を置いてこなければいけない。今はここを素通りする予定になっている。しかし、
「降りますよ。馬車を停めて下さい。」
オウカが小窓から声をかけてきた。セイリンもスズランを膝から降ろしている。
「お伝えしてあったように、里の跡地探索は明日ですよ。」
セイリンが予定を守らない事はよくある。だからオウカにも伝えたというのに、彼女まで守る気はなさそうだ。センが勝手に手綱を引っ張るものだから、片方の馬だけ止まろうとして、馬車が曲がってしまう。急いで御者がもう片方も停止させた。ここから方向転換をさせるのに、ぐるっと大きく回ってもらわなければいけなさそうだ。ディオンがオウカを嗜めたが、
「目の前にあって、わざわざ回り道はしませんよ。それに、ここからそれ程遠くありませんでしょう?」
「ああ。もう目と鼻の先だ。それ程、時間は要らないだろう。先に行ってから、シャーリーへの土産を探そう。」
セイリンと互いに微笑み合い、目の前で仲良くしてくれる。こういう時は利害一致で、手を組むという事なのか。いくら奥様といえど、先方との約束である事は変わりがない。迷惑をかけてしまうが、
「セイリン様まで…。分かりました。では、必要な荷物以外は邸宅に運んでもらいましょう。そちらから迎えの兵達をお願いします。」
ディオンが折れて、御者に頼む。彼女達を守るのは自分だ。セイリンと共に武装をして、スズランにセンを渡す。スズランはパタパタと飛び、ディオンの肩の付近まで上がってきた。オウカは、これといった準備をせずに誰より先に草を分けていく。セイリンが後ろを続き、ディオンは馬車を見送ってから2人を追いかけた。
この草原は、女性の胸くらいまで伸びているものばかりだ。何処に魔獣が潜んでいるかが、見つけ辛い。背が高いオウカでも、みぞおち辺りまで草がきている。手元に事前に金剛剣を呼んでおいて、警戒しながら進むディオンと対照的に、オウカは桜の花びらを散らして小さな爆発音を立てながら進んでいく。威嚇のつもりかもしれないが、音に引き寄せられて魔獣がくる可能性だってある。セイリンは特に何も言わずに彼女の後ろを歩き、その傍をスズランが飛んでいる。ぶら下げられたセンが周りを見渡してから、
「オウカ、緊張しているみたいだから言うけど…、そっちは居住区だから、もっと左に逸れて。君の用事は、座敷牢に使われた離れでしょ。」
センの指摘に、ビクッとオウカの肩が上がった。そこから小走りで指摘通りの方向へ急ぐオウカを、セイリンと共に追いかけた。普段の彼女からは想像ができないが、どうも緊張しているらしい。これから、何が起きるのだろうか?ディオンは己の出生を知れる良い機会だと信じ、木造で所々腐ちているちっぽけな平屋へと足を踏み入れる。スズランがセンを床に降ろし、彼女は首を傾げた。広い床の間から1段昇ると、長方形の緑色の絨毯がいくつも敷かれた格子の部屋。ディオンは、初めて見る事になる。オウカが深呼吸をしてから、こちらを振り返り、
「ディオンさん、ここに来た事はないと仰ってましたが、今もその意見は変わりませんか?」
「ええ。あの龍の頭も初めて見ましたし、来た事はありませんね。」
この話が出た時に聞かれた事を再確認されたが、ディオンの言葉は変わらない。以前、ハルドに言われたように、記憶は『消去』されたという事だ。オウカの表情が曇る。彼女が格子の鍵を開けると、微細な色がディオンへと飛んできた。
「セイリンさんには分からないかもしれませんが、残留思念がディオンさんへと向かいました。」
「何故、それが分かる?」
ディオンの目の周りで黄色が跳ねる中、オウカがセイリンを小突き、セイリンがオウカとディオンを見比べた。
「魔法士だからです。センさんもスズランも、分かっているでしょう。」
「そうか。私だけが仲間外れか。」
フフンと鼻を鳴らすオウカに、セイリンが1人頷くと、
「あら?何故、自分だけなんですか?ディオンさんだって…」
オウカの言葉が続かないように、セイリンが人差し指で彼女の唇を押さえる。そしてセイリンは、下を歩くスズランを抱き上げた。
「オウカ。良い機会だから言っておく。私は、そこまで鈍くない。お前が玉の輿を目指しながらも
、わざわざ血筋を優先してディオンを…と言われて、辿り着く答えがあるわけだ。」
「シャーリーの阿呆。余計な事を言ったのね。」
セイリンが匂わすだけの言葉に、オウカが悪態をつく。実は、セイリンに鎌をかけられただけだと気が付かなかったらしい。オウカの反応で、セイリンの中にある疑惑は確信に変わっただろう。
「いや、テルから聞いたぞ。お前目当てでくる男性客をそう言ってフリ続けていると。」
セイリンが具体的にオウカの台詞を披露し始め、オウカが盛大なため息を吐く。ため息を聞いても続ける程の性格の悪さを持ち合わせていないセイリンが止めると、
「…ブルドールは、魔法士の血筋です。それは事実です。けれども、ディオンさんは魔法が使えません。これが、どういう事を意味するかが分かりますか?」
オウカは手を震わせながら、格子の中へと足を進める。センも彼女に続いて内側へ入ると、龍の頭の下に置かれた鎖を持ち上げた。セイリンに篭手を引っ張られ、ディオンが先に格子を潜ると、
「私が聞いて良いものなのかは知らないが、例えば封じられているとか、消されたとか、ディオンが自ら閉じてしまった、なんてどうだろうか?リティから読ませてもらった旅行戦記に記載があったんだ。」
セイリンは扉を振り返り、ドンっとランスの尖端を床に刺してから片足を軽く開く。スズランが、丸い目でセイリンの横顔を見ていた。オウカは絨毯を1つ1つ目繰り上げながら、
「まあ、粗方そうなんでしょうけど。今回の話、それだけでは済まないんです。テラの記録によると、ブルドールは15年前に『神子アテスラ』に贄に儀式を執り行ったんです。」
「それなのに、ディオンが生きているという不自然さか。赤ん坊の入れ替えなんて簡単にできるだろ。」
セイリンはこちらを振り返る事なく、扉の先を静かに警戒する。オウカが、センが乗っている絨毯に手を伸ばし、
「テラの記録ではディオンさんの年齢は19歳なので、既に替え玉は難しいくらいに顔が出来上がっている筈です。」
ね、センさん?と、センを先に持ち上げた。その時のセンの表情は、ディオンが見た事がない程に憎しみに満ちていた。




