629,姫騎士は予定を話す
学校から開放されて1ヶ月弱の春季休暇は、やる事が山積みだ。セイリンは、怪我をしているソラと、看病しているテルに気をかけたが、それは事前にカルファスが2人を王都に連れて行く事になっていた。早朝から寮室で、ランスと袋詰めした防具一式を抱えると、ショルダーバッグを首にかけたスズランが鳴きながら抱きついてくる。可愛い彼女に声をかけてから、
「ソラは私の事も見えていないのだから、ここはカルファス殿が適任か。」
ボソッと呟くのは、自分に言い聞かせる為の言い訳。あの双子が心配だというのに何もしてやれない歯痒さが、セイリンにため息を吐かせる。ドンッ!と足にトートバッグをぶつけられて振り向くと、
「私をどうするの?こんな大荷物を用意させて。まさか、連れて帰ろうって言わないわよね?」
「是非、ルーシェ家で羽根を伸ばされて下さい。」
頬を膨らますルナに、セイリンは微笑む。彼女を屋敷で保護したら、リティア捜しに馬を飛ばす予定だ。ハルドの件だって気掛かりだが、ラドにすごまれてしまった。相手は、精霊人形アリシア。その主であるルナがこちらにいるが、彼女の本物の身体はアリシアの手元にあるという。要は、
「人質が2人か…」
頭を抱えるセイリンの後ろを何か言いながらついてきているルナに目を向ける余裕はなく、生徒用玄関でディオンと落ち合う。今日は、彼の隈が落ち着いているように思えた。
「昨晩は、よく眠れたか?」
「はい。リンノ先生が、放課後には帰省されたので。旧校舎に向かう事が出来ず、身体を休める事に尽力しました。」
それでも力無く笑むディオンが心配になるセイリン。彼に肩車されたセンが、彼の頭を撫でている姿を見て、それ以上言及する事を止めた。
「セイリン!いつまで無視するの!」
「はい?」
後ろから怒鳴られてルナを振り返ると、彼女の頬がリスのようだった。ディオンが、こちらから防具袋を受け取り、
「ルナ様は、このままラド先生宅にお連れすればよろしいですか?」
ルナの荷物も受け取った。セイリンは不思議に思い、首を傾げる。
「え?何故ですか?我が邸宅では、休めませんか?」
「この地に縛り付けられているのよ!いい加減、分かりなさい!」
何処からともなく出現した氷の礫が、セイリンの頭に落とされるのであった。
怒るルナを宥めるディオンと共に、開店準備中の喫茶スインキーに入れば、先客がいた。想いを寄せている彼に、こんな早朝から会えるという喜びを何処にぶつけようか。心が踊り出すセイリンよりも先に、スズランが飛び出した。ラドの隣に座るバフィンの胸に飛び込み、2人の前に座るケーフィスの膝の上に座るカノンと微笑み合う。
「おっと…。元気だなー!」
「きゅう!!」
顔を綻ばせるバフィンは、スズランの鱗の顔をグリグリと手のひらで撫でている。セイリンは、ランスを壁に立て掛けてから、2人の魔法士とラドに駆け寄り、
「おはようございます。カノンの可愛いヘアアレンジは、誰かがやってくれたのか?」
ディオンと共に挨拶をした。カノンのサラサラな髪が、左右の団子スタイルになっていて可愛らしい。魔法士は器用だな、と率直な感想を浮かべていると、厨房から珈琲とトーストを運んできたオウカが肩を竦める。
「私ですよ。ケーフィスさんが、髪を綺麗に整えてくれた後でしたから簡単にできました。セイリンさんもやりましょうか?」
「いや、遠慮しよう。ルナ様、本当にこちらでよろしいのですか?」
意地悪そうに口元を引き上げる彼女と、一定の距離を取るセイリンは、機嫌が直りかけているルナに視線を向ける事にした。
「ええ、そうね。貴方方、しっかり守るのよ。」
「…との事だ。ケーフィス。」
肩を竦めるルナの命令を、ラドは他人事のようにケーフィスに投げる。ケーフィスは、オウカから珈琲を受け取りながら明らかに眉を顰め、
「ラド。お前も信徒じゃないように、ここは3人とも信仰していないだろう。」
「ケーフィスは、しっかりしてくれよ。お前の一族は、歴史的に改宗されたろ。俺は、ハルと一緒で気にしないっすから、街内の護衛を任せて下さい。」
バフィンが苦笑いをルナへ向けた。王都で世話になった道場の親方が魔法士であった事には驚いたが、それとは関係なく彼は優しい人だ。ルナは、3人の様子に小さくため息を吐く。
「ありがとう。いつから貴方の一族と袂を分かつたのかは、知らないのだけど。山を越えれば、敵だらけなのね。」
「聖龍っていう邪龍の討伐を拒否した時点ですよ。その時既にレイン・クレバスも、ルナ・サンニィールも行方知れずでしてね。お二人はご存知ないかと思います。」
セイリンが知り得ない歴史にルナが首を振り、バフィンは瞼を閉じて顎をかいた。魔法士同士でも、一族間の闘争があるのだろう。貴族間でも小競り合いは存在する。人間の成す事は、どこも同じであるようだ。
「…いや、あいつは知ってる筈よ。ねえ、カノン?」
「どうだろう?拷問を受けた時期と、ルナちゃんが封印された時期は被ると思うから…。推測はするけど、実経験はないかもしれない。」
ルナが眉を顰めると、カノンは目を丸くする。セイリンはカノンの言葉に驚いて、ディオンを振り返るが、彼は首を横に振った。彼も知らない歴史の一面か。セイリンの驚きを余所に、ルナが両手で頭を抱える。
「え…あいつが、拷問を?何で?共謀して、私を陥れたのに!?」
「…ルナちゃん、今はそこに誰か居る?家に帰ってからゆっくり話そう?」
目が飛び出すのではないかと思うくらいに見開くルナの瞳を覗き込むカノンは、首を傾げる。ルナが取り乱す程の衝撃的な発言だったのだが、彼女は理解していないのか?セイリンは、キッと睨んできたルナから後退りしながら、
「こちらに、気を使われなくても良いですよ。」
「噂が尾ビレを生やすでしょ。アリシアをしょっぴいてやろうかしら。」
貴族らしく微笑んだが、彼女の敵視に近い眼差しは向けられたままだ。何故、アリシアの話が出てくるのかも分からないのだが。こちらが冷や汗をかく中、バフィンが大きく手を叩く。
「まあまあ。折角の美人顔が台無しだから、美味しいもの食べて笑顔になろうや。」
「そうね。リティアが、好きな料理をお願いしようかしら。」
ルナを宥め、彼女もまた自分の中で折り合いをつけたようで、近場の椅子に腰掛けた。セイリンはぐるっと見渡すと、良い笑顔のディオンと目が合う。
「オムライスですかね?」
リティアが好きな本を指差すオウカ。
「うちが作るホットサンドだろ!」
厨房から顔を出すシャーリー。
「ビーフシチューも、よく食べておられた。」
トーストを二口で食べるラド。
「ディオンの手料理とか?」
ディオンの笑顔に根負けして代わりに答えるのが、セイリン。ルナが盛大にため息を吐き、
「纏まらないわね…」
「ふふっ。時間はあるから、色々食べたら良いんだよ。」
カノンがジャムで頬を汚しながら、笑顔を浮かべた。
「そうね、そうさせてもらう。ほら、セイリン達はオウカと出掛けるのでしょ?何か作ってもらいなさいよ。」
表情が穏やかになったルナが、こちら2人を手招きする。ディオンを引き連れるように、彼女の前へと座る事にした。こちらが座った瞬間、オウカがシャーリーを厨房に押し込んでいく。注文を取らずに何をしているのだろうか?とりあえず彼女達が帰ってくるまでは、ルナの相手だ。
「ディオンも行きたいと言ってますので、ブルドールの故郷に向かいますが…。私は単独で、リティアを探しに行くつもりです。」
「阿呆。リファラル殿が既に向かわれているというのに、行方不明者を増やすな。」
今後の予定を話しただけで、既に食べ終わったラドに呆れられる。すぐに厨房から出てきたオウカは、人数分の珈琲をテーブルに置きながら笑い、
「なるほど。セイリンさんが迷子になると…。」
「な、何でですか!?」
声を張り上げたセイリンが、そのテーブルを大きく揺らした。




