622,黒少女は教わる
オウカが言った通り、今日は昼営業ができなかった。夕方近くまでオウカと、ケーフィスっていうオウカの一族の長が話し合っていて、シャーリーは蚊帳の外だ。仕方なく、厨房で夜の仕込みをやっていたら、ハルドの兄貴分のバフィンが声をかけてきて、ハルドの子どもの頃の話をたくさん聞かせてくれた為、時間自体はあっという間に過ぎたのだが。彼らが帰ってから、オウカはため息しか吐かない。
「おい。せめて、制服を部屋に運べよ。」
「わ、分かってる…。戦力外通告じゃなかっただけ、感謝すべき事なんだけど。それでも、重すぎる。」
恋患いには程遠い様子のオウカの背中を叩くが、彼女は避ける事も反撃もして来ない。何度も叩く事に気が引けてきて、
「何の話だよ?夜は時短で店を開けるぞ。」
パンパンと、彼女の目の前で手を叩いてみせる。こちらに注目させる為に。
「…長の代わりに、ディオンさんに一族の歴史を教える事になったの。しかも、魔法士団一番隊隊長から直々の手紙までもらって。辛い…」
シャーリーの思惑は外れ、彼女は頭を抱えてテーブルに額をつけてしまう。これは、ある程度傾聴してやらないと動かないかもしれない。何かと腹が立つオウカだが、本当の意味で嫌いにはなれないシャーリーにとって、彼女は友人の立ち位置なんだと思う。シャーリーは彼女の隣に腰を下ろして、頬杖をついた。
「何でだ?」
「ブルドールと袂を分かった一族がテラ。その分岐の決定打が、ディオンさんの存在を否定する事になるから…もうやだ。」
ブツブツと説明してくれるオウカだが、シャーリーには理解ができない。決定打って何だ?否定って何だ?
「全くわかんねーぞ?とりあえず、考えるのやめて仕事しろー!」
彼女の頬を指で突く。これでも、こちらに視線を動かさないオウカ。相当、堪えているのだろう。
「そ、そうね。神子は、生贄なのよ。ディオンさんが生きている事がおかしいって、私の口から言えって言うの?もう、何でよ…」
「偽物って話なのか?」
説明をわざわざしてくれなくて良いのに、まだまだ話すオウカに、シャーリーは首を傾げる。やっとオウカがこちらを見上げたと思ったら、その瞳から大粒の涙を落とし、力強く睨まれた。自然とシャーリーの背筋が伸びる。やばい、怒らせた。全然、傾聴できていないようだ。ダンッ!とテーブルを殴るオウカは、捲し立ててくる。
「それで事が済んだら、悩まない!生贄になった筈の本人なんだから!そこまでは、私も知らなかった!一番最近の贄の儀式が執り行われた年を考えると、ディオンさんの子どもの頃になるって長は言ってた!彼の幼名は、その生贄の名前なの!ど、どう説明すれば、角が立たないのかしら…?」
捲し立てはしたが、最後は涙の勢いに負けてオウカの勢いは失速した。また、シャーリーから視線が外れる。テーブルへと落とされた瞳は、雨を降らせ続ける。呆気にとられたシャーリーと、泣き続けるオウカの間には沈黙が流れる。シャーリーは、必死に悩んでいるオウカに気が利いた事を言える程の頭はない。普段は平気でシャーリー達を傷つけているオウカだが、それは日常生活の中の戯れ程度なのだろう。実際、シャーリーも彼女の言い方に慣れて、結構言い返しているのだ。口喧嘩した後に気まずい雰囲気になる事はなく、2人で夕方に市場に遊びに行く事だってある。どうやって言ってやれば良い?シャーリーの懸命な思考は、何も連れてきてはくれはしなかった。だから、
「…普通に言うしかないだろ?言わないって、選択肢もないんだろ?」
自分らしい返答をする。どれだけ悩んでも、何も見いだせないのだから。彼女は激怒するかと思ったが、丸い目で見上げるだけだった。そして大きく頷き、
「そ、そうよね。あら、やだ。シャーリーなんかに、こんな醜態を見せるなんて。本当に、どうかしてる。」
いつも通りの彼女が姿を現す。悩んでいた事が嘘のように首を傾げる彼女に、
「そっかー。早く荷物を仕舞ってこい。」
シャーリーは、彼女の頬を苛立ちを込めて抓ってやった。
夜の営業には、テルがいつも通りに働きに来てくれた。大方の客が帰った後にオウカが、フロアの片付けをしている彼に話しかけに行く。シャーリーは厨房で水を使っている為、会話の内容が何も聞こえない。何を話しているのかが気になるが、まだ閉店時間ではない。いつ客が来ても良いように、皿を洗わなければいけない。そう思っていると、テルがひょこっと厨房に顔を出してきた。
「ラド先生が来たよー。あと、オウカちゃんの知り合いの男性もー。」
「肉、焼かないとだな。」
テルが教えてくれた相手は客は客だが、身内に近しい存在だ。ハルドが居なくても、だ。そこに、オウカの知り合いが混ざったらしい。洗い物を途中にして、珈琲よりも先に鶏ももを油で揚げる。テルが、シャーリーの代わりに珈琲を淹れて配膳しに行けば、彼と交代するようにオウカが厨房に飛び込む。シャーリーが声を掛けるよりも早く、人参を微塵切りにして、煮込み終わっているビーフシチューに放り込んだ。あまりの早業に、シャーリーの目が点になる。
「な、何してるんだ?」
「長は…ケーフィスさんは人参が得意ではないから。ゴロゴロとした塊は、バフィンさんに押し付けるのよ。」
声を潜めるオウカは、肩を竦めた。シチューを木ベラで焦げないように混ぜつつ、鶏ももの焼き加減まで面倒を見るオウカに任せて、シャーリーは皿洗いを再開する。
「しゃ、シャーリー。」
「ああ?なんだ?」
歯切れの悪いオウカに首を傾げるシャーリー。次の瞬間には、長い足に脹脛を蹴られた。いってぇ!と叫ぶと、
「ば、馬鹿!」
オウカに何故か怒られ、テルが不思議そうに厨房を覗いてくる。オウカはため息を吐くと、先に出来上がったビーフシチューとパンのセットをテルに押し付けて、厨房から彼を追い返す。そして彼女はシャーリーを見下ろして、
「さ、さっきはありがとう…」
掻き消えそうな小声で、まさかの言葉が飛び出した。明日は槍でも降るのか、と口にしようとしたシャーリーだが、唇をきつく結んで涙をひと粒だけ溢した彼女に、その軽口は相応しくないと判断した。
「大した事は言ってないぞ?だって、何にも思い浮かばなかったし。」
チキンステーキ用の皿の水気を布巾で吸い取ってオウカに渡せば、
「それでも。いえ、それだけで良かった。逃げられないんだもの。彼にしっかりと語弊がないように伝える事が、私の役目なのよ。そこに一番隊隊長が何故関わっているのかも、裏を取っていかないと。」
彼女は微かに頬を紅潮させて、手際良く盛り付けていく。それだけでは腹が満たされないラドの為に、シャーリーは大盛りのビーフシチューをトレーに乗せた。ゴロゴロとした人参が余っている。これは今夜の夕飯だな、とシャーリーが1人納得していると、
「バフィンさんが酒をもらいたいって言うんだけど、どれにする?」
テルがグラスを取りに来た。どれにするも何も、飲んだ事がないシャーリーには味の良し悪しなんて分からない。シャーリーが低く唸ると、ラドのトレーを両手に持ったオウカが、
「私が出ます。」
わざわざ、シャーリーに余裕気な視線で一瞥を与えてからフロアに出て行く。グラスを持っているテルもオウカについて行くものだから、シャーリーだけ残されて嫌な気分だ。どうせ、まだ飲んで良い年齢ではないし、と自分に言い聞かせながら、こちら3人分のビーフシチューを盛り付ける。氷の魔石付き戸棚から、余り物のチーズケーキも取り出してデザートに貰ってしまおう。それと何を飲もうか、と茶筒を選んでいると、フロアからバフィンの陽気な声と、オウカの弾んだ声が襲ってくる。何で、オウカは惨めな気分を味わわせるのか。ぷくーっと膨れるシャーリーの頬をツンツンと突かれた。ムッとして振り向けば、オウカがグラスに入った淡い桃色の酒を傾けていた。どうも、グラスで突かれたようだ。
「ほら、女性好みで度が低めの甘いワインよ。バフィンさんにお願いして、開けてもらったの。」
綺麗でしょ、とグラスの中でワインを揺らすオウカ。確かに、ピンク色の濃淡が変わって綺麗だ。
「シャーリーも味見してごらん。こういう時にしか、お酒の勉強はできないのよ。」
何だか普段より優しい口調のオウカに、まずはグラスの持ち方から教わるのであった。




