619,偽物聖女は止める
リティアが雪の精霊達に声を掛けると、彼らは踊りながら案内をしてくれた。幻覚の雪原から抜け出せてはいないが、彼らのおかげで雪大兎の巣穴の中で夜を越すことができた。大兎は肉食ではない為、こちらが戦う意志を見せなければ良き隣人になれる。彼女のふかふかの毛に包まれて眠ったリティアは、朝から彼女の上に乗せて貰っていた。馬のように大きな兎の足も人間の身長くらいの長さがある。1つの蹴りで遠くまで跳んでしまうから、この雪原を簡単に抜けられそうだ。昨日見た景色と色を変えた雪原は、リティアの冒険心をくすぐるのだ。
「兎さん、ありがとうございました!」
感謝を込めて、彼女を抱きしめる。頭を下げる仕草は、人間の文化。動物と魔獣は、その文化には属さない。だから、心が通い合うようにスキンシップを取る。彼女の身体に入るように精霊に頼むと、彼女は嬉しそうに目を細めた。彼女が、リティアを降ろした地点は雪原の終わり、大森林の入り口だ。ここは、幻覚の雪原とオーロラの森の間にある森の1つ。雪玉ヒルが闊歩する、通称エメラルドの森だ。良き隣人と別れて、森へと踏み込む。本に闊歩すると書いてあっただけあって、あちらこちらでヒルが落下しては餌に喰い付こうとしている。リティアは傘を開き、傘で穴が開いている所に頭を置かないように気をつける。案の定ボタボタと落ちてくるヒルは、ブーツを這い上がろうとしてバタつき、他のヒルの餌にされていた。リティアの両手を添えても足りないくらいに大きなヒル達。こんな物が落ちてくる森の生態系は寧ろ気になってしまうが、探索道具を持っていないのでお預けだ。日が暮れる前に森を抜けたいリティアは、ヒルを踏みながら進む。下手に雪を踏むと、コブラやモグラが隠れているのだ。ヒルは彼らを主食にする為、彼らから近づいてくる事はない。なので、腹を踏んでいく。ブニューッとした沈み方は気持ちが良くはないが、早く歩く為でもある。スキップするように、彼らの上を歩けば、誰かの野営跡が目に入った。ここにそぐわない青色と黄緑の精霊が、リティアに触れてくる。
「ほら、空を飛んでみたいんだろ?」
この声はリンノよりも低く、リーフィと同じくらいに柔らかい。一瞬見えた景色の中には、白銀の髪を束ねた男性とハーピーの小さな男の子がいた。優しい彼の瞳は青紫色で、リティアの記憶が揺さぶられる。
「り、リガさん?」
リーキーだとしたら外見が若過ぎるのだ。魔法士団団員の彼が、どうしてここに?聞きたくても、聞く相手がいない。リティアに触れてきた精霊に声をかけてみる事にした。彼らは、まるで急ぐようにリティアを案内する。ものすごく速く移動してしまう為、リティアは置いて行かれないようにヒルをどんどん踏んで走った。スキップなんかしていられない。ヒルの生息地を越えた先に、街が見えた。日も暮れ始めているので、できればあそこに泊まりたい。リティアは、もう一度精霊に声を掛ける。そうすると、彼らはブルッと震えて、リティアの髪にくっついた。リンリンリンと音が鳴る。不思議に思い、ハルドからの贈り物のブローチピンだけを取り外すと、その中に彼らは入っていった。今日はここで休んでくれるという事だろうか。リティアは、もう一度ピンをつけ直してから、まだまだ距離がある街へと駆け出し、どれだけ走っても一向に到着する気配を感じないくらいに夜が更ける。傘を光らせて夜を照らしながら走っても、リティアの目に映る街が近づいて来ない。まさか、ここも幻覚の雪原なのか、と肩を落とした時、リティアの視界の左側から光が注がれた。突然の光に驚いて振り向くと、山から降りてきた馬車だろうか。魔石ランプを眩しい程に輝かせる馬車から、誰かが手を大きく振っている。リティアは身体ごと馬車に向けて、ブンッと灯らせた傘を振ると、馬車の方からも魔石ランプが振られた。ずんぐりむっくりした馬達が引っ張る馬車が、こちらへと近づいてきてくれる。ファーがついたフードを深く被った男性が、わざわざフードを外してリティアを見下ろす。ランプで照らされた目は、どんどん丸くなっていく。
「あんた、何で薄着なんだ!?」
「え、えっと、魔法士と魔獣の戦いに巻き込まれて、王都の近くから飛ばされたんです…」
適当な理由をサラッと作り上げてしまえば、彼の目は極限まで見開いた。
「はあ!?こんな子どもを巻き込んだ騎士様は、今頃探しているに違いないな!ただ他の人だと思うが、魔法を使う騎士様だったら、先々月まで宿に泊めてたから山を越えた先にいるかもだな…」
顎を触りながら眉間にシワを寄せる男性。それを聞いたリティアのベルに入った精霊達が、リティアの周りを踊り出す。そういう事か。
「まさか、リガさんですか!?」
「え!?知り合いかい?」
リティアは笑顔で彼に迫ると、彼は目尻にシワを増やした。どうも、リガとは良い関係を築いていたらしい。
「はい!近所のお兄ちゃんです!」
リティアが弾ませた声を出して大きく頷けば、
「そうかそうか!そりゃあ、神のお導きだな。ほら、乗りな。俺の母さんが待っている宿に一緒に帰ろうか。」
彼はニコニコと隣の御者席を叩く。リティアは、乗り上げながら、
「ありがとうございます!」
小首を傾げて可愛らしく見えるようにお礼を伝えた。
暖かな家の中で、美味しいシチューを頂く事が出来たリティアは、お礼に老婦人の手伝いをしていた。と言っても、リティアは身長があまり高くない。高い棚には、馬車に乗せてくれた老婦人の息子さんが、調理器具を戻していた。
「リガ様もね、ここでじゃがいもの皮剥きとか手伝ってくれてねー。」
「リガさんは、優しいですからね!」
明日使うじゃがいものバケツを一緒に運ぶ老婦人が微笑むと、リティアは彼女の話に合わせる。幼い頃に会って以来、全く関わっていない相手をそれ程憶えているわけはなく、精霊が見せた記憶の欠片から推測するだけだ。ある程度の明日の準備が終わってから、老婦人の寝室でセーターを編んでもらえる事になった。リティアは、ホットミルクを頂きながら、彼女の手先を眺める。自分の祖母の手によく似ていて、何だかホッとするのだ。
「そのリガ様が、ピース君っていう男の子を連れてたんだけど、リティアちゃんのお友達かい?」
「いえ…、ちょっと、その子は分からないです。ごめんなさい。」
手際が良く編んでいく彼女に聞かれたが、リティアは首を傾げる事にした。恐らく記憶の欠片に見えた子どもの事だと思うが、下手に答えられない。
「あら、良いのよ!気にしないで!それにしても、リティアちゃんのご両親も心配しているでしょうね…。ここから手紙でも書く?」
慌てた老婦人が手を止めて、机の引き出しから便箋と封筒、それにインクボトルまで出してくれた。その粋な計らいに、リティアはぴょんぴょんと跳ねる。入学当初はよくやっていた仕草だが、自分以外には全く見なくて止めていたのだ。こういう老婦人に喜びを体現して見せる事は、悪くないと思う。
「本当ですか!?でしたら、歳が離れたお兄ちゃんに書きたいです!」
リティアが笑顔を作れば、彼女もしわしわな笑顔になる。
「勿論よ!書いてあげなさい。安心するわ。」
彼女から貰った便箋に、これからリティアが向かう先、出会うつもりの相手について書き込み、そして裏側に精霊文字を綴っていく。デーティやリーズダンに言われた事や、精霊達に見せられた物など。この情報が、彼の役に少しでも立ってくれる事を願って。




