618,劣等魔法士は耳に残る
テルがソラの世話をする為、一時的にセセリがディオンとルームメイトになっていた。彼であれば、下手に嘘で塗り固めなくても夜中に寮を抜け出せる。センは2つの部屋を行き来している為、夕飯時にはテルの方らしく、今はこの部屋に居ない。
「夢のお告げでリティア様を見ましたよ。巨大な白い鳥の足に頬擦りをしておりました。」
「魔獣ですよね?」
ディオンの目の前で魔法の練習をしているセセリは、グラスに汲むことができた水を満足そうに眺めながら、夢の話を教えてくれる。ただの夢物語ではなく、本当は『未来視』というものらしい。だから、リティアにその未来が起き得るという事だ。
「でしょうね。そうやって仲良くなれる魔獣が存在するという事が、彼女の偉業そのものですよ。」
セセリは自分で汲んだ水を口に含むと、首を傾げた。ディオンも一緒になって首を傾げる。
「如何しました?」
「水が美味しくなくて…。ハルド様が淹れてくれる珈琲の味を考えると、水も美味しくないとできないのですが…」
彼に一口飲みますか、と渡されて、とりあえず飲んでみる。これは、無味。水分補給にはなるが、決して好んで飲めるものではない。ディオンも彼の真似をして、自分のグラスに意識を集中させる。このグラスに水を汲むように念じるが、1滴2滴が関の山。それでも、以前よりはできるのだ。セセリの目が丸くなったが、彼はぶんぶんと顔を横に振り、
「そろそろ、食堂も空いてきているでしょうし、行きませんか?」
「はい。そうしましょう。」
彼に連れられて、夕飯に向かう。本来ならば、カルファスと共に居るべき彼だが、筋力と体力の問題でカルファスによって、ソラの手助け側から外されたのだ。テル達がこちらの部屋に帰ってくるまでは、ディオンと一緒に魔法を練習する仲間である。食堂で大盛りのチキンを頂き、おかずが多い食事を摂る。この後はリンノと合流して、魔法の訓練を受けなくてはいけない。レインは戦闘訓練のみ相手をしてくれるが、基礎的な魔法や座学はリンノしか教えてくれない。聞いた事は翌朝にセセリに教えて、そこから2人で練習をする。セセリは飲み込みが早く、ディオンが全くできなくても、数回の練習でモノにしてしまう。
「どうしてでしょうかね?」
「分かれば良いんですがね。」
セセリがチキンとパンに手を翳すと、湯気が上がった。何となく、チキンに手を翳して温めたつもりになるディオン。これで温まったのかは、全く分からない。なるべく早く食べ終えて、寮から出なくてはいけない。しかし、チキンの量が多過ぎる。食べても食べても減らない、というか、配膳係が追加を持ってきてしまう。リンノを待たせるわけにはいかないが、配膳係の厚意を無碍にするわけにもいかない。板挟みのディオンの背後に、知っている気配を感じた。今の彼は、別に気配を消していないのだろう。ディオンは振り返りながら、
「ラド先生も食べましょう?」
肉好きの教師に手を振る。彼の後ろからもう1人、教師がついてきていた。リンノの冷めた眼差しがこちらに注がれる。
「何ですか、その量は。育ち盛りでも食べませんよ。」
「要らんのであれば貰いましょう。実を言うと、馴染の店が休店してましてね。非常に助かります。」
リンノの小言と、ラドの弾んだ声が重なった。ラドの声を拾った配膳係は、黄色い悲鳴をあげながら調理師達に伝えに行く。それはもう興奮気味に。慌ただしくなった調理場から運ばれてきたのは、2人分のトレー。リンノの目が、可哀想なくらいに丸くなった。恐らく、彼は軽く済ませている。ラドとは異なり、自炊をするリンノは何かと職員室の調理台で軽食を作っているのだ。つい最近まではリティアの分も用意していて、自分の弁当よりも彼女の弁当の方が大きかった。傍から見ている分には楽しいが、リティア当人には多過ぎる量だったと思う。ラドがディオンの隣に腰を掛けて、早速食べ始める。出遅れたリンノは、ため息を漏らしながらセセリの隣に座った。リンノは、胸ポケットからヘアピンを4本取り出して、前髪を留めていく。わざわざ、ヘアピンをクロスさせる理由が分からないが。ラドの大口とは対照的に、リンノは細かく分けて口に運んでいて、お育ちの良さが覗える。
「油が切れてませんね。」
「文句があるなら、食うな。」
増えるリンノの小言に噛みつくラド。そのやり取りを苦笑いで観察するセセリとディオン。この2人は、仲があまりよろしくはない。けれども、こうやって2人で行動をしているのだから、上からの命令には忠実な2人なのだと感心する。リンノが食事の最中でフォークを皿に置くと、
「では、ラド先生はごゆっくり。ディオン殿は、巡回に行きますよ。」
「は、はい。」
リンノは食べかけの状態で、食堂を出て行く。慌ててディオンが追いかける中、セセリが呆気にとられ、ラドは黙々と食べていた。あれでは、食事を作った婦人達に失礼ではないか。彼を注意しようと口を開けた時、
「私達が、こうやって下らない一般庶民の生活に溶け込んでいる間も、あの子は怖い思いをしているのです。」
リンノは、表情を歪ませて吐き出す。その拳は強く握られ、
「幸い、あの子を狙う者の中に、氷や水を得意とする魔法士はいません。当面の間は、あの子を視界に入れる事すらできないでしょう。」
彼は唇を噛んだ。ディオンは静かに金剛剣を手元に呼び、彼に誘われる形で旧校舎に降りていった。
旧校舎のホールで、ソルレットを装備したリンノに追いかけ回される。普段の丁寧な教授とはかけ離れた荒療治に、ラドやレインを想起させる。それ程に彼は焦っているのだ。光の蝶が飛び回り、ディオンの視界を遮る為、彼の猛攻に反応が遅れる。寸のところで彼の蹴り技を金剛剣で捕らえたが、剣の方が負けて飛ばされた。すぐに手元に戻るように命令して戻したが、その一瞬でソルレットの足底を腹部に受けた。ディオンの身体まで飛ばされる。腹には力を入れたが、それでも激痛は免れない。壁に打ち付けられた身体を捻り、追撃前に立ち上がった。魔法が使えたら、対等に戦えるのであろうか?今のリンノが、魔法を発動させる時間をくれるとは思えない。彼の足という武器を金剛剣で凌ぎながら、魔石を金剛剣にぶつけた。ブワッと広がる炎を纏った剣は、リンノの水の蝶の発動によって打ち消されてしまう。全く手も足も出ない。ディオンは次なる魔石を握り、そして1つの可能性に辿り着く。この魔石の力を自分に回せさえすれば、魔法での攻撃ができるのではないだろうか?手の中で輝く黄色の魔石を確かめ、
「可能ならば!」
俺の糧になれ!と強く握ると、魔石が皮膚という膜を越えてきた。激痛に苛まれるディオンを攻撃の手を止めたリンノが、瞳を揺らして見つめている。愚か者と罵られるのかもしれないが、焦る気持ちは同じである。胸の辺りが熱いが、耐えられないわけではない。視界に広がり始めた様々な色。蝶にも何色かの色があった。金剛剣に集まる色にもだ。リンノを睨みつけ、彼の足を斬り落とせ、と身体に入れた魔石に命じた時、ディオンの足が床から離れた。視界に映るものが一変し、背中を見せているリンノ目掛けて光の輪が何重にも重なって飛ぶ。はあ…と、彼のため息1つ。もう一度、ディオンの視界が変わった。彼の背後を取った筈が、彼に壁へと押し付けられている状態になる。首を肘で押さえられ、息が苦しい。
「ディオン殿。それでは、魔石中毒者です。」
リンノがこの首を押し上げると、ディオンの口から黄色の魔石が転がり落ちた。見えていた色が格段に減少したが、見えなかった頃と異なり、それでも数色だけ漂っている色が見える。遠退く意識の中、リンノの深いため息だけが耳に残った。




