61,少女は抜け出す
ここ最近、精霊だけでなく色んなものが目に映るようになったと思う。セイリンの周りへの気配り、ディオンの無駄のない動作、テルの感情の起伏、ソラの体力の限界とか、今までそれほど気にならなかったことが何もしてなくても目に飛び込んでくる。夕食も終わり、消灯時間になってから寮室のベッドで横になっているリティアは珍しく本を全てベッドから退けて、広くなったシーツの上でゴロゴロと転がっている。
「…ハルさん。」
あのお披露目会の再現になることを怖がっていたことを、ハルドは気がついて心配して言ってくれたことを理解した今、謝らなくてと思っているのだが、調合室に何度も足を運んでも、全く会えていない。そんなことを考えているとこのまま眠れないので、魔石ランプの灯りを消して、布団に包まり、柔らかく瞼を閉じる。瞼の裏に広がるのは本で読んだ内容だ。今日も皆で魂喰いセイレーンをどうすれば良いかを考えていたし、カルファスも再度温室植物園に向かってくれたようだが魔獣の姿が見つからなかったとのことだ。テルの報告によると、アギーはここ数日の間に何もおかしな行動がないようで、リティアの頭の中ではそこに引っかかった。
「いくら顕在的マーキングより潜在的マーキングの方がマインドコントロールの力が弱いと言っても身体の再生の糧にしたいはず。」
目を閉じながらも頭が冴えてしまう。マインドコントロールできない程弱っているか、またはマインドコントロールできる範囲に対象がいないのか。前者は既にアギーが噴水で頭を沈めていたため、切り捨てることができる。では、学校の敷地内から出たということ?あの敷地内でもかなり奥にある温室植物園から操れたのに。どこにいるの…
アアアアアア
聞こえてきたのは、セイレーンの歌だ。マインドコントロールが上手くできていれば、こんな大きい声で歌うことはないはず。特定の獲物が居ない時に、他の獲物でもおびき寄せるときに大きな声で歌うのだ。リティアは、ベッドから飛び起きて机の前にある窓を覗き込む。女子寮は、中庭側に小窓がある部屋と、体育館側にそれより大きな窓がある部屋があり、リティアの部屋は後者だ。グラウンドと違って、学校と同じ高さの地面に建てられている体育館をリティアの部屋から覗く。体育館の白い壁にあの花が貼り付いてるのが、リティアの目に飛び込んだ。しかも1つではなく、3つも。蔓は地面に刺さっているようで、逃げ道は確保されているようだ。反射的にオピネルナイフを机の引き出しから取り出したが、リティアにはこの距離から投げることは難しかった。寮内にいる生徒は窓を開けて飛び降りない限りは、近づくことが出来ないし、おびき寄せの場合、そのようなマインドコントロールはまだ発動出来ないため、急を要することはなさそうだった。
「…」
寮の扉は既に閉まって居るため、ここからなにすることもできない。ハルド達が倒してくれることを祈りながらもう一度布団に戻るしかなかった。
やはり気になりすぎて、4時には目を覚ます。リティアは、もう一度窓を覗くとやはりそこに貼り付いているのが分かる。逃走経路の蔓を切れば逃げることが遅れるし、リティアはあの歌が苦手だった。マインドコントロールを受けやすい獲物と、受けにくい者がいるということだと思う。身支度して1階の窓から出ようか、なんて考える。スティックがあれば火を起こせるが手元にない。んー。と頭を捻らせ、
「薪を使って、調理室の窯から火をもらおうかな。」
そうと決まれば、颯爽に身支度を済ませて部屋を飛び出した。こんな時間に寮内歩いている生徒は自分くらいなものかと思っていたら、ロビーで既に準備体操をしているセイリンがいた。セイリンはこちらに気が付いて手を振ってくれるので、こちらも笑顔で振り返す。
「セイリンちゃん、おはようございます。昨晩は魂喰いセイレーンの歌声が聞こえてきましたね。」
「おはよ、リティ。…いや、知らないが。」
「…」
2人の間に暫しの沈黙が流れてから、
「セイリンちゃん、体育館の壁にくっついているのを見たのです。手伝って頂けませんか?」
今までなら1人でやろうとしていたことをセイリンにも協力を仰ぐと、セイリンも快く承諾して、
「分かった、すぐにレイピアを持ってこよう。他に必要なものは?」
「火が必要になるはずなので、窯から火を頂戴してきます。今の時間は寮の扉が開きませんので、生徒用調理室の裏口か、1階の窓から出るつもりです。」
「承知した。では、火を手に入れやすい調理室で落ち合おう。」
コクリとリティアが頷くと、2人ともやるべきことをやりに散っていく。食堂の隣にある生徒が使用できる調理室に入ると、まだ窯に火は灯っていなく、薪が外に積まれたままのようだ。リティアが、調理室の裏口の鍵を開けて、積み上がっている薪を中に運び入れる時に体育館を目視すると、やはり奴等は貼り付いている。今は歌ってはいないようで、花を閉じて、壁になりきっていた。それだけを確認すると、調理室に戻って窯の中に薪を1つ残して放り込み、中に埋め込まれている魔石に触れると、一瞬で薪が燃えた。この魔石が取れれば、スティックの代わりに…と考えるが、埋め込まれている物を取るのは難しい。調理室の扉が開いてセイリンが軽装備で入ってきたため、リティアは残していた薪に火を移す。セイリンが裏口の扉を開けて、2人で寮を抜け出すように体育館へ走った。
「ああ、リティ。あの壁と擬態している蔓か!」
「そうです!」
まだ薄暗い中、女子寮の棟から離れて、職員用玄関前からまっすぐのところに体育館が建っている。セイリンは目を凝らしながら、近づいた体育館の壁を見上げた。
「こんなところに居たとはな。」
「彼らは仲良くはしないはずなのですが、既にそこに3体もくっついています。」
リティアが蔓より更に上を指差すと、セイリンも祖の指に釣られて視線を上げる。
「カルファス殿は、花を燃やしたと言っていたから、他にも沢山いたのか?」
「そこが分からないのですよ。痣、要はマーキングされていて症状が出ているのはアギーさんだけだというのに、こんなに数がいるのがおかしいんです。仲良く皆で1つの獲物を分けませんから。」
セイリンはそう話しながらもレイピアを引き抜き、腰を落として静かに近づいていく。
「今日のリティは、仲良くってワードが多いな。」
「本当にそう見えて、違和感があるのですよ。」
セイリンより数歩後ろを歩き、火のついた薪を持っていない右手でオピネルナイフを構えた。根を持たないのに、地面から生えているということは逃走経路を確保しているということ、魔石を取れなくても再生には5年はかかるということ。この話はセイリンにもしてあって、まずは倒せなくても再生に手間を取らせれば、その間は襲われることもなく、あわよくば本体にたどり着けるかもしれない。セイリンが大きく踏み込み、レイピアで横一線に斬りに行くと、1つの穴から出ている蔓は分断されて、花が目を覚ます。リティアは、間髪入れずに薪の火を分断した蔓に燃え広がらせる。魂喰いセイレーンは、土から水を得ないために身体は燃えやすい性質をもつ。案の定、壁に貼り付いている花まで炎が辿り着き、3つの花が壁から離れて、2人の上に落ちてきた。セイリンは次の攻撃に移るために既に体育館の壁から離れていて、リティアも薪を持ったままバッグステップをすると、その足を地面から伸びてきた蔓に絡まれて、体勢を崩す。慌てて、薪を落ちてくる花に投げつければ、口を開けてきた花に的中して燃え上がり、リティアはオピネルナイフで足に巻き付いた蔓を切り捨てて、燃えている花の落下位置から離れ…られなかった。花が意志を持って飛んでいる。セイリンは地面から更に伸びてくる蔓をきり、全力疾走で逃げるリティアは花達に追われる。燃え上がった花はまだ灰にならないで飛んでいた。