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603,劣等魔法士は落ちる

 こんな夜更けに聞こえたテルとリティアの声に、隣を歩いているリンノが瞼を閉じる。

「彼女に加担しているのは、レインですね…。」

「そういう事が、分かるのですか?」

生徒用玄関前で、わんわんと泣くテルの大声を聞きながらディオンが質問をすると、

「魔法士は、所謂精霊の動きが目で見えますから、レインによって構成される精霊の色が残るのです。それはまるで香りが消えていくようになくなるので、我々は『残り香』と呼んでいます。」

若干、眉を顰めながらも答えてくれるリンノ。質問相手が自分ではなくリティアであったのなら、彼は嬉々とした声で答えるのだろう。まあ、魔法士から答えてもらえるだけで有り難く思うべきか。ディオンが、気取られないように扉よりもかなり前で立ち止まり、

「残り香ですか…。あ、彼女達が居なくなってから鍵開けの練習しますね。」

「いえ。リティアはこちらに気がついてますので、やってください。テルには、私が開けたと言ってくれれば良いんです。」

こちらは声を潜めるが、リンノは普段通りの声量で話す。泣いているテルに不審がられなければ良いのか。一度止めた足をもう一度動かし、鍵穴を覗く。

「ま、まあ、開けられないかもしれませんが…」

真っ暗な鍵穴に人差し指を触れて、精霊の動きをイメージし始めるディオン。自分が魔法士である、と知ってから、1度も成功していない魔法。鍵穴を開ける事は、魔法の中でも初歩中の初歩らしいが、全く出来やしない。彼らのように精霊が見えていれば、もう少し違うのだろうが、残念ながら何も見えない。はぁ…とため息が降ってきて、

「開けなさい。」

「は、はい。」

冷たく言い放たれれば、ディオンでもリンノの圧力に勝てない。ディオンがイメージしている丸い精霊達が、あちこちを飛び回ってしまう。鍵穴に入ってくれないのだ。実際、イメージ通りに精霊が動いているのかすら分からないというのに。鍵を開けろ、鍵を開けろ、と何度も頭の中で言い続けていると、向こう側から鍵に触れる微かな振動が伝わってきてしまう。リンノからお小言をもらうだろうな、と彼を見上げると、

「リティア…?何をしているのですか?」

何故か彼の目は大きく見開かれ、次の瞬間には扉を殴っていた。驚くのは、ディオンだけではない。向こう側にいるテルの悲鳴が轟き、リティアの傘が開く音が聞こえた気がした。リンノが鍵穴を叩くと、解錠の音と共に扉を乱暴に開き、

「テル!リティアから離れなさい!」

「え、え!ごめんなさい!」

リンノの怒鳴り声で、テルが尻から転がった。リティアは、開いた傘をこちらに向けて防御の体勢になっている。彼女がこちらに気がついているというのは、本当らしい。リンノにしては珍しい大股で、テルとリティアの間を遮るように立つ。

「リティア!何でもかんでも受け入れるのではありません!彼が子どもっぽく振る舞っていても、成人間近の男性です!襲われたら、どうするおつもりですか!」

リティアに背を見せる彼は、ジャケットの内側から小剣を抜いて、テルへ剣先を向けた。ブルブルと震えるテルがあまりにも可哀想ではあるが、リティアはキスや肌に触れられたのか、と邪推してしまう。だとしたら、ディオンもテルの首根っこを押さえなくてはいけない。

「ええええ!?やらない!やらないですよ!リティちゃんが嫌がる事をしたくないです!」

「クラゲさん。帰りましょうか。」

必死に首を横に振るテルに比べて、リティアは至って冷静だ。この感じを見るに、どうも異なるようだ。リティアだって、恥ずかしい時は頬を染める。乙女らしいその姿を、ディオンはよく知っている。

「リティア!」

「ほらほら、そんなに怒らなくても良いだろ。俺も先程叱ったところだし。パジャマで現れた時は、追い返す勢いだったぞ。」

徐々に距離を取り始めるリティアに手を伸ばすリンノの阻むのは傘ではなく、何処からともなく現れたレインだった。この光景に、テルから感嘆の声があがる。魔法を目の前で見せられているのだから仕方ない。ヤレヤレと肩を竦めるレインを見たリンノの拳が震える。

「リティア!?何をしているんですか!」

「セイリンちゃんにバレないように着替えられませんよ…。では、お休みなさい。白昼夢に呑まれないようにお気をつけて下さい。」

リティアは全く反省の色を見せず、傘を閉じる。その手は、何の躊躇もなくレインの手を握る。ディオンの中で、荒波立つ感情。恐らくリンノもであろうが、彼は先程よりも鼻息が落ち着いていた。

「白昼夢なんて、生温い。ソラにかけられた魔法は、それ以上のものです。」

「大丈夫です。私は、彼女の悪巧みに屈しませんから。」

異常なくらいに優しい口調で話すリンノに、リティアは自信に満ちた表情で微笑むのであった。


 彼女と別れた後、誤解を解こうと必死に説明するテルから耳を疑う話を聞いてしまい、彼を寮室に送ってから寮を再び飛び出す。。ため息混じりのリンノに、わざわざ待っててもらった。

「では、行きますか。」

「よろしくお願いします。」

窓を開けて、中庭へと降り立つリンノの後ろをついていくディオン。噴水に飛び込み、身体が回転する感覚に襲われながら旧校舎の玄関へと到着した。頭に血が上るわけではないが、変な感覚は残ったまま。何回か来ていたのだが、以前よりも酷く感じるようになった。

「リティアさんが、魔法を使ったのでしょうか?」

「悪い冗談は、お止め下さい。呻いているソラと手を握っただけで、何が治るというのですか。」

階段を駆け上がっていくリンノを追いかけながらテルの話を質問すると、彼はピリピリとした緊張感を放ち、早口になっている。

「彼女の義母が魔法士だというのは頷けますから、白昼夢の魔法は納得できます。けれど」

「義母…?」

通路を浮いて通過する彼を走って追いかけて質問を続けると、突然彼は止まった。眉間にシワを寄せて睨みながら振り返るリンノ。ディオンは、無意識に金剛剣を呼び寄せる。彼から目を離しては駄目だ。何処まで踏み込んで良いのかを探る。

「え、そういう事ですよね?リティアさんは、魔術士の家系出身で、サンニィール家に養子として…」

「絶対に、リティアの前でそのような話はしないで下さい。彼女が、親の事で傷つく姿を見たくありません。」

リンノは、ハルドのように嘘が上手くない。ディオンの質問への明言を避けるところから、嫌でも推測が広がっていく。リンノの足にソルレットが現れ、一触即発の危機。けれど、知るならば今しかない。そう、ディオンの心が叫ぶ。

「リティアさんの実母だとしたならば、リティアさんは魔法が使える事になります。」

「生まれながらに魔法を持ち得ぬ子の話は、この歴史を辿るといくらか出てきます。あの子に絶対に言わないように。」

黄金のフルメイルをこちらも身体に纏わせ、彼の口から真実を得た。巻き込まれたのは、サンニィール家の跡取り問題。聖女の地位に座る彼女の実兄は、リルド・サンニィールという事が確定した事になる。だから彼がダンスパーティーで手を差し伸べた時、彼女はあんなに嬉しそうに手を取ったのか。色々と腑に落ちる。

「…承知致しました。となりますと…」

戦意はない事を示す為に彼の前で剣を置き、武装を外す。彼も理解したようで、ソルレットが消えた。

「答えませんから、聞かない事。他人に言いふらしてリティアを傷つける気があるのでしたら、ここで首をもぎます。」

彼の武器は消えたものの、脅しではない敵意が向けられている。

「絶対に言いません。それで話は戻りますが…」

「精霊の下らん戯れだろ?リティアならば、先に帰したぞ。」

ディオンからリンノへの質問が終わらぬまま、レインの声が聞こえて真っ逆さまに地上へと落ちていった。

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