594,偽物聖女は空気を壊す
入学した当初、自分が誕生日を祝われる事があるなんて考えてもいなかった。リーフィの一件から、自分で避けてきたいつものメンバーに囲まれて、リファラルから祝われる。祖父の『友人』。ずっと忘れていた祖父の最期と共に思い出した記憶が、そうであると教えるのだ。後ろめたさから肩を縮こまらせながら、皆の表情を盗み見る。ソラの仏頂面とは対照的なテルの笑顔。セイリンとディオンは互いに顔を見合わせてから、微笑んでくる。シャーリーはオウカに引っ張られて、空のカップを人数分持ってきてくれる。リティアを連れてきたハルドは扉の前に戻り、「CLOSE」の札をかける。それに合わせて、センとスズランを脇に抱えたラドが入店した。リンノは、顔を出さないようだ。ハルドは内側から鍵を閉めると、手を一回叩き、
「リティ。朝も祝ったけど、改めて。誕生日、おめでとう。今は凄く大変な時だけど、あるべき日常は忘れてはいけないよ。」
音頭を取った。リティアは、リファラルにエスコートされて立ち上がると、
「このような場を用意してくださり、ありがとうございます。自分の誕生日なんて、失念してました。もし来年があるなら、その時は絶対にフィーさん達とも一緒に過ごしたいです。」
皆を軽く見渡してからお辞儀をする。セイリンの唇が一本線になる中、
「…だとさ。」
「馬鹿か、ここで言うな。」
後ろからラドとハルドの小声が聞こえる。2人にも振り返って頭を下げると、ハルドがニコニコっと笑顔を向けてくれて、
「大丈夫。君の願いは届くから。」
先程のラドに向けた「馬鹿」という発言は、聞き間違いだったのか。それにしては、ラドの鋭い瞳がハルドに注がれた。リティアが首を傾げながらテーブルへと向き直れば、リファラルが椅子を引いてくれる。リティアは促させるままに座ると、セイリンが無理やり笑顔を作って向けてきた。顔に力を入れた違和感は、リティアにも分かるのだが、
「リティ、水臭いじゃないか。といえど、私も自分の誕生日を忘れていたのだから、リティの事を言えた柄ではないけどな。」
「セイリン様は、いつもの事です。誕生日に訪問の予定を入れて、住民達が慌てて馬車を追いかけて来た事もしばしば…」
明るく振る舞う彼女に合わせるように、ディオンが肩を竦める。セイリンの失敗談を聞いたオウカが声出して笑えば、
「仕方ないだろ!忙しいんだから!」
顔を赤くするセイリン。オウカは、笑いながらシャーリーの背中をバンバンと叩き、シャーリーの拳が飛ぶ。といえど、オウカの身体は簡単に躱していたが。
「事前に従者に教えてもらえば、そうならなかったですよね?」
「口酸っぱく言いましたが、聞き入れては頂けず…」
笑いが止まらないオウカと、セイリンに眉を下げて微笑むディオン。ソラの表情は変わりがないが、テルの表情は緩んだ。場を和ませる為に、セイリンは…。リティアは、自分の不甲斐なさに背中を丸めた。膝の上で拳を密かに握り締め、改めて皆をこの視界に入れる。
「折角のご馳走です。冷める前に食べましょう。」
「こちらがおめでとうと祝う前に、食事になってしまうぞ。」
リティアが微笑んでみせれば、セイリンが慌てるようにテルとディオンの肩を叩いた。テルは、更に隣のソラを肘で突き、4人が顔を互いに見合わせてから、何となく揃って、厳密にはソラが出遅れる。こちら側に座ったオウカは上手い具合にハモって、シャーリーはかなり遅れて早口になった。
「おめでとう!」
それは、簡潔な祝いの言葉。されど、リティアの心には響く。大人達の控えめな拍手を添えられ、
「ありがとうございます。」
リティアの頬に涙が伝う。皆の本心は、ソラを見れば分かる。こちらが拒絶したのだから、当然だ。そうであっても、セイリン達は『優しい』。であれば、リティアは彼女達の優しさに応えるべきである。ただ、どこまで言うべきか。ハルドを振り返ると、既に彼らはリティアの真後ろまで来ていた。この距離ならば、こちらが言い過ぎた場合に止めてくれる筈だ。
「こ、今夜から寮室に戻ります。私の命が狙われている理由は、皆さんも少しだけ知っていると思います。ただ、今はそれに関して聞かないで頂きたいんです。それでも言える事があるならば、私の命を狙う側に連れて行かれたケルベロスさんとフィーさんを救い出したいんです。」
これ以外に、もう少しだけ伝えても良いだろうか?ハルドを何度も見上げれば、彼はニコニコと笑みを向けているだけ。リティアは不安を抱えながら、セイリンと目を合わせる。
「…リティ、まだ悪夢を見るんだろう?無理に伝えようとしなくて良いんだぞ。」
彼女の目が伏せられる。それは、リティアへの純粋な心配か。既に、スズランから聞いているのだ。リティアの寝言をセイリンが聞いていて、心配そうにリティアを見下ろしていたのだと。だから、何かを口走る前に寮室を去った。スズランから、セイリンが寮室に帰る度に「まだ帰ってこないのか」と漏らしているとも聞いている。リティアは一度唇に力を入れてから、
「この件に、皆さんを巻き込みたくないんですよ。これは、私と私の一族の在り方の問題です。普段それ程関わっていない先生に、私の居場所を聞かれたら、知らないって言って欲しいんです。少しでも知っていそうな素振りを見せて、皆さんが傷つけられるような事でもあったら…。恐らく、私はその先生を…します。」
最後は絞り出すように宣言した。小声になったが、恐らく皆の耳には届いている。ハルドの手が、肩に乗った。
「リティ。それは、君がやるべき事ではないよ。」
「相手はこちらを狙っているのですから、こちらだって同じか、それ以上で返します。これは、命を賭けた戦いです。」
ハルドの言葉の意味くらい分かっているが、それを皆に知られてはいけない。だからリティアは敢えて、別の意味で捉えた形で首を横に振った。セイリンとオウカの目が上へと一瞬だけ動いて、そして何事もなかったようにリティアを見据えてくる。
「先生の中にも居るんだな?同じ一族ってなるとリンノ先生だが、結構頻繁に一緒にいるよな?」
「リンノさんは校舎内で私の傍にいて、そういう先生達を牽制しているんです。」
セイリンは理解しただろうに、話をずらしてくれた。リティアもそれに応えると、
「…リティアさん、分かっているんだろ?こちらは教えてらわなければ、分からないぞ。」
リティアを快く思っていない筈のソラが、具体的に聞いてきた。リティアは、ハルドの手に縋り付くように手を伸ばし、
「確実と怪しい先生は居ますが、普段から皆さんが警戒する必要はないんです。」
「俺達じゃ、役にすら立てないの?リティちゃんが、辛がっているのに何もできない方が嫌だよ。」
こちらの意図を理解して欲しかった。巻き込みたくないというのに、ソラではなく、テルが落ち込むのだ。ソラは、テルの為に聞いたのかもしれない。リティアが迷いながらも、もう一度同じ事を言おうとした時、オウカの手がリティアの口の前で広がり、
「皆さん程、長く付き合ってませんけど。私から言わせてもらうと、下手に掻き回せばリティアさんの首が落ちるので、覚悟と実力が伴わない皆さんは関わらない事が賢明です。」
ソラとテルには効果的な文言だが、セイリンとディオンのプライドを傷つける喧嘩文句を放つオウカ。シャーリーがテーブルを殴るや否、オウカの胸ぐらを掴む。
「オウカ!てめぇ!」
「シャーリーは、食べたら勉強ね。」
オウカは、喧嘩腰のシャーリーを全く相手にする事なく、彼女の手首を捻って絶叫させた。オウカの冷めた瞳がテルに注がれ、テルは可哀想なくらいに肩を縮めていく。折角の誕生会だというのに、空気を重くしてしまった。リティアは、パチンと両手を合わせると、
「実は、とてもお腹が空いているんです。頂いても良いですか?」
今の空気を壊すように、ケーキに乗った林檎で作られた薔薇の花びらを1枚、口に運んだのであった。




