554,偽物聖女は見当たらない
少しだけ背が高くなった気分だ。普段履くことがない底上げされたブーツでは、歩幅が小さくなっていくのだが。髪が銀色に見えるように光の精霊を頭に配置したリンノのエスコートを受けながら、セイリンとは顔を合わせないように市場とは真逆の方向、住宅街を歩く。大怪我している人を優先して手に触れれば、精霊が手伝ってくれる。完治にはいかないくらいでリンノに止められ、次の怪我人を探す。街の人達が、
「聖女様!」
と喜び、リティアの心は締め付けられた。ショルダーバッグをリンノの異空間に仕舞われてしまい、応急処置は出来ないリティアは、言葉通りの『手当て』をするのだ。リンノが、軽症者に手を翳す。リティアみたいに触れる事なく、癒えていく傷口。これこそ、魔法だ。リティアは、精霊が手伝ってくれなければ魔法の真似事はできない。
「せ、聖者。」
呼び慣れない呼び名で、リンノに声を掛ける。スインキーを出る前に、様付けしないように念を押されて、少しぎこちない。
「我等が聖女様。如何がなさいましたか?」
リンノからはスラスラ出てくる嘘に、リティアは唇を強く閉じた。首を傾げるリンノ。偽物の聖女が、街を闊歩する罪悪感に押し潰されそうだ。リンノにそれ以上話しかけなかったリティアの前に、頭から血を流した赤ん坊を抱えた女性が一心不乱に走ってくる。
「聖女様でございますね!?ど、どうか!ララをお助け下さい!」
彼女が差し出す赤ん坊をリティアよりも先にリンノが抱え、鼻に手を当てる。そして、
「事切れております。」
縋り付く彼女に赤ん坊を返すのだ。震える瞳がリティアを貫く。リティアなんかに、出来もしない事を望まれている。その期待に応える事なんて…
「聖女様!お願い致します!」
「お言葉ですが、聖女様は全能の神ではございません。死者の蘇りは、命の交換となります。聖女様に死ねと申すのですか?」
藁にも縋る思いであろう女性をリティアの代わりにリンノが断り、圧力をかける。ぶるぶると震える女性はその場に泣き崩れ、リティアはダメ元で赤ん坊の頭に触れた。リンノの手が伸びてきたが、リティアは仮面のままで彼を見つめて耐えてもらう。精霊達に傷口を塞いでもらい、白いハンカチで顔を汚す血を拭う。赤ん坊が動く様子はない。瞳が大きく揺れた女性に、
「お母様の手で、可愛いドレスを着せてあげて欲しいんです。私達の女神が、ララさんの姿をいち早く見つけられるように。」
静かな口調で語りかける。彼女の大粒の涙が赤ん坊の髪を濡らし、こびりついた血を洗い流す。彼女の頭を優しく撫でてから一礼して、リンノと共にその場を離れた。
リティアが行く先々で人集りができる。リンノが治療の優占度が高い人を目視だけで探し出し、軽症者は断るか、リンノが手を翳すだけ。リティアが手を出そうものなら、彼に握られてしまうのだ。そして、この手に血が付着すると、
「聖女様。お手を。」
リンノが従者らしく、柔らかいハンカチを魔法で湿らせて拭ってくれる。彼の隣を歩きながら小さな路地を覗き、他に怪我人がいないかを確認していた時、リティアは呆然と立ち止まった。裏の路地。誰かがやったとしか思えない大きなガラスが壁に突き刺さった、その上にある、あの首は?リティアは堪らず走り出し、ガラスの下に転がる身体に触れる。ドクン、ドクン、リティアの心音が煩く喚く。蛇が血溜まりをズッたような跡がある。心臓があるべき場所が抉られている。リンノの手が頭をあるべき場所に戻すと、リティアはすぐさま首をくっつけるように精霊達に頼む。そして、見た目だけは綺麗な状態の男性の遺体に祈りを捧げた。
「聖者よ。ここに、ディオン・ラグリードを。彼にオギィスさんが亡くなったとお伝え下さい。」
「連絡を取れる者に伝えます。」
溢れんばかりの怒りが込み上げる。悲しみなんて感情は、今はどこにも見当たらない。ハルドの知り合いで、ディオンの大切な親戚のオギィスが殺された。あんなにディオンが顔を出しに行っている大切な相手を、何者かに。やったであろう精霊の断片は、リティアの目に映っている。少しでも相手が精霊を操作すれば、リティアは見つけられる気がするのだ。
「蛇型魔獣か、またはそれを使う魔法士を目撃した場合、私はその者を問い詰めます。」
「それは、あまりにも危険です。おやめ下さい。」
リンノを振り返って宣言すると、予想通りの答えしか返ってこない。ハルドが知ったら、やった奴を許せないに決まっている。それでも彼も止めろと言うだろうけど。
「嫌です。もしここにある死体が貴方だったら、私は問い詰める事はせずに、犯人の首を刎ねますから。」
リティアが路地の奥へと足を進めると、リンノに肩を押さえられる。彼の手は微かに震え、
「貴女らしくありません。不適切な言動はお控え下さい。」
「そのくらいに、怒っているんですよ。」
かき消えそうな力のない声でリティアを注意するが、リティアは譲る気はない。全身で彼の手を払おうとした時、
「あそこ見ろ!聖女様だ!」
助けを求める街の人が、こちらに向かってきてしまう。仕方なく小さな路地から抜け出し、
「行きましょう。今は、相手の動向を伺うだけです。」
「仰せのままに。我等が心優しき聖女よ。」
折れるつもりはない、と意思表示すれば、リンノは不可解な発言と共に深々と頭を下げたのだ。リティアがこの地区を離れる際に、血相を変えて走ってきたディオンは、こちらとすれ違った事なんぞ知らないだろう。
目まぐるしい1日を過ごしたディオンは、魔石ランタンを付けて誰もいない店を訪れる。今夜は、雲が多くて月が見えない。
「まさか、貴方様が気にかけて下さるなんて夢にも思いませんでした。ハルド先生には、反対されたのですよ。」
「それは知ってます。あの後、リティアがハルド殿と私に何度も頭を下げたのです。結果、ハルド殿が折れました。」
魔石ランタンをテーブルに置いたディオンは、後から扉を開けたリンノに頭を下げた。リンノが鍵をかけた後に指を鳴らすと、光り輝く蝶達が照明代わりに天井で舞い踊る。オギィスの遺体は、この店にはない。共同安置所を仮設して、そちらで眠っている。必死に応急処置を手伝うセイリンに心配され、どうも事情を聞きつけたカルファス達までもが手伝いに来てくれ、あの時のディオンは笑顔を貼り付ける余裕なんかなかった。聖女からの呼び出し。それであるだけで、全ての治療行為を免除され、何ふり構わずに呻きと悲鳴の不協和音の街を走り抜けた。そして見つけた叔父の遺体は、手を腹の上に乗せてもらって、瞼を閉じられていた。得体が知れないが、聖女に感謝すると同時に、
「彼女に感謝しなくてはいけませんね。」
「であれば、犯人を探し出して殺すしかありません。」
リティアへの思いを述べれば、リンノが勝手に資材置き場から木箱を運び出してきた。その中には、先祖のミイラがある筈だ。リティアの感謝を人殺しで伝えろ、とは何て話だろうか?
「リティアさんが、喜ぶとお思いですか?」
ディオンが木箱の蓋を開けながら、眉間にシワを寄せると、
「リティアは、酷く怒りを抱えています。その犯人を見つけ出して問い詰めるとまで言っているんです。」
彼は手で触れる事なく、魔法でミイラを浮かせ、
「教えて頂きたい。ブルドールの守り神よ。占い師は何者に殺められたのですか?」
《そのような些細な事に囚われるな。神子の師よ。その命尽きるまでに神子を育てあげよ。》
ディオンが考えるより先にリンノが問うたが、そのミイラは答えを与えてはくれなかった。オギィスと過ごしたこの店は、彼の存在を色濃く残し、
「些細な事ではありません!私の大切な家族でごさいます!」
ブルドールとして何も持っていなかったディオンの唯一の存在証明だった。親を知らぬ己に、それに近しい存在として関わってくれた彼を奪われた苦しみと憎しみが絡み合う中、
「ディオン殿。異国の神には、我々の心は分からぬと言う事です。女神と崇められる聖女は、共に笑い、共に泣く。彼女の尊さを再認識させてくれますね。しかし、ブルドールの守り神よ。最後の信仰者が命を落としたのです。貴方様も、先は永くないのではないですか?それでも、謎かけのみを遺すのでしょうか?」
リンノが、ディオンの頭を子どもをあやすように撫でると、
《なーに。既にやるべき事は終えたのだ。》
ミイラはそれだけ言い残して、ディオンの目の前で砕け散ったのであった。




