526,教師は揺らす
キリンが捌く書類の山をハルドが手伝う。ある程度はマーサとリグレスがやっていても、キリンでなくては判断に時間を要する書類もあるようだ。キリンが積み重なるボックスに書類を次から次へと差し込み、
「ハルド、こちらが至急案件です。すぐに運んで下さい。」
「分かった。緊急ではない書類も一緒に持っていこうか?」
1番上に乗っているボックスを指差す。魔術士団への書類のようだ。ハルドが魔術士団宛の別のボックスも持ち上げると、
「いえ。それをすると、相手が緊急性を理解できないので、その箱だけで大丈夫です。」
速攻で断られた。至急の書類には判子を押しているが、それでも相手を信用できないという事だ。これが、魔法士団の有能な書記官の姿。只管、敵対して、疑ってかかって、そんな風に仕事をこなす。まあ、リグレスも似たようなものかとも思ったが、彼は人当たりの良いふりをするのだ。魔法士団本部を出る前に仮面をつけて、魔術士団本部へと飛んだ。魔術士達が目を丸くしてざわつく中、堂々と本部の通路を飛んで団長室の扉を叩く。部屋の前に門番として立つ魔術士に邪魔されないように、風圧で押さえ付けてだ。
「何だ?」
「魔法士団一番隊隊員、ハルドが至急の書類をお持ちしました。計5枚となります。ここで読み上げましょうか?」
扉の向こうからマグルの声。ハルドは、もう1人の気配を感じながら、書類を握り潰されないように目撃者がいる通路で読み上げ始めた時、扉が開いた。開けたのは、目を見開いたアーティオ。魔術士団の書記官だ。カーキ色の短髪で大きな丸眼鏡をかけた冴えない顔の男だ。この顔、マグルの記憶以外の何処かで見た事がある。すぐに思い出せないところから、ほんの一瞬だけ視界に入れただけかもしれない。表に出てくる事が少ない相手だ。自分の記憶に残りにくい可能性は高い。
「ハルド殿、わざわざ読み上げなくてもゴミ箱に捨てるような事はしない。アーティオ、受け取ってくれ。」
「は、はい。ご足労いただきありがとうございました…」
机に向かったままのマグルの指示で、アーティオがヘコヘコしながら手を差し出してくる。その指は骨張っていて、食事をまともに摂っていないように見受けられた。ハルドは書類をその手に乗せて、首を傾げてみせる。仮面で表情が使えないなら、それ以外でアプローチする。
「君が、アーティオ君ね。何だ、まだ若いんだ。代替わりでもしたかな?」
「いえ。書記官として5年は勤めております。」
ハルドの上が歳上である事が分かるように言葉遣いを教師の時と同じようにして、生徒に話しかけるように。目をキョロキョロと動かすアーティオは、ハルドが話しかけてきた事に困っているようだ。ポンと肩を叩き、
「そう。じゃあ、こちらの書記官と変わらないか。聖女様は、君をどう『見る』だろうね。くれぐれも迷惑をかけないで欲しい。」
「え。あ、はい…」
クスッと笑って、更に困らせた。精霊を1つ、その首元に潜ませて。
書類を分別し続けるキリンの邪魔になるとは思うが、帰ってきたハルドが珈琲を淹れて机に置く。
「置かれたら、溢します。」
「じゃあ、今飲みなよ。ところで、アーティオって知ってるかい?」
紙の束を机の上で整えるキリンがムスッとしたが、ハルドはわざわざ仮面を外して微笑んでやった。折れた彼は、紙の束を1番右下のボックスに差し込んでから珈琲を手に取り、
「ええ。魔術士団の書記官の1人ですね。」
それだけ言うと、まだ湯気立つ珈琲を飲んでいく。引っかかる言い方に、ハルドは自分の異空間から取り出したクッキー缶を開ける事を止めた。
「1人?あそこは複数人いるのかい?」
「アーティオは三つ子ですので、日々そのうちの誰かがいます。」
キリンは、ある程度飲み進めたカップを揺らしながら、ハルドを見上げる。他人と交流してなさそうな彼が有益な情報を知っている事に驚かされた。どこまで知っているのか。
「見分け方は?」
「1番痩せ細っているのがアーティオ。彼よりも僅かに血色が良いのがラティオ、唐突に睨んでくるのがセリティオです。」
ハルドが更に質問を重ねると、彼は考える素振りもなく、口を開くのだ。これは、その三つ子と関わりがあると見て良い。
「悪いんだけどさ。リティを守る為に一肌脱いでくれない?」
餌を吊るせば、視線をカップに落として口をつけかけたキリンの動きが、ピタッと止まり、
「…分かりました。仕事後にじっくりと我が家で。」
「ありがとう。リティが、夜食を作ってくれているみたいだから楽しみだね。」
カップを見下ろした状態で悩んだ後でも、こちらの欲しい応えを持ってきた彼にご褒美もチラつかせると、
「えっ!?さ、最速で終わらせます!」
「よろしくー。」
一気に珈琲を飲み干して、先程のボックスから紙の束を取り出すのであった。
キリンの頑張りで、朝日が顔を出す前に帰宅すると、
「シャワーを浴びに寮に戻りたい…」
珍しく傷心気味のラドが玄関を開けた。キリンが眉を顰め、
「この後、私達も使うのです。気にせずに、この家のシャワールームを使って下さい。」
「すまない。」
ラドは、この短距離でも走ってシャワーを浴びに行った。ハルド達は先に夜食を頂く事にして、キッチンに向かうと、リティアがまだ起きていた。いや、顔が寝起きに近い。何となく、ゆっくりと瞬きをするリティアが微笑む。
「お二人共、おかえりなさい。」
「ただいま、リティ。どうしたの?起きてしまったのかい?」
ハルドが可愛い妹分の頭を撫でると、
「は、はい。珈琲を淹れておく事を忘れてしまったので…」
少し俯く彼女。わざわざそこまでしなくて良いのだが、彼女としてはしておきたかったのだろう。ハルドの勘としては、他にもあると見た。心配事があって夜中に起きたとしても、珈琲如きで同室のセイリンにバレないように部屋から抜け出す必要はない。彼女が珈琲を淹れている中、
「それで、何があったの?」
ハルドは、キリンと共に皿のソーセージやライスボールを魔法で温める。彼女は瞼を閉じ、
「ラドさんの香水の香りをセイリンちゃんが気になるみたいで…。お兄ちゃん達もつけているって話をしたら、材料について凄く聞かれたんです。」
「え、リファラルさんの店で飲んだ事あるだろうに。なるほど、ラドがシャワーを浴びたかったのはそれか。昨日はずっと見張り番をしていたから、あいつは風呂に入ってない。香水を多めに乗せていたんだね。」
次に瞼を上げた時に揺れる瞳。ハルドは、彼女が危惧している事を手に取るように理解できた。彼女の頭をもう1度撫でて、安心させてから寝直してもらう。彼女が部屋に入った事を確認してから、出来上がった夜食はリビングで頂く事にし、
「一番隊は、仲がよろしいですね。」
「悪くないさ。セイリンは、全てを口にしないだけで鋭いところがある。リティの兄について勘付くと面倒だね。」
キリンが珈琲を飲みながらブツブツと呟く中、珈琲が少しでも冷めるように揺らすハルド。ハルドが笑い出したい気持ちを抑えながら、
「仕方ない。明日、俺はケッチャの店に行く。キリン、リティ達を頼むよ。テル達に土産を買いに行かせて。」
先にライスボールを食べて、本題を切り出す事にした。
ギィィィと開く古びた木造の教会の扉。その礼拝堂で立ち竦む青灰色の髪が揺れる。
「これから、どうすれば良いのか分からない…」
普段ならばポケットの中にいる筈の友人をいくら探しても、手に触れる物は何も無い。その場に膝を抱えて座り込むと、骨張った手が差し伸べられた。
「セリティオさん…?」
座り込んだまま、大精霊ルーナ教の聖職者である彼の手を取る事にした。藁にも縋る思いで…。




