524,少女は帰りを待つ
リビングに山積みになったソラの本を読むリティアは、ソファに座って付き合ってくれるセンの大欠伸を聞きながら、ソラと共に翌朝の日が昇るまで読み続けた。誰に声をかけられても、この目を、指を、止められなかった。朝日が出てきたというのにキリンが帰宅して来ない為、本に栞を挟んでキッチンに立ちながら、彼の帰りを待つ。ソラも疲れているだろうから、簡単に朝ご飯を作ろう。リティアは、眠っていない頭で卵を割って目玉焼きを作る。パンにバターを落として、珈琲を淹れて、そして。
「リティア様…!大丈夫ですか!?」
大きく肩を揺さぶられて、瞼が持ち上がった。キリンの顔が視界に映る。
「お…かえりなさい…」
ぼんやりとしながら微笑めば、珈琲の香りが鼻をくすぐった。そこでハッとして、
「目玉焼きっ!」
慌てて立ち上がってフライパンを確認すると、目玉焼きがない。まさか。リティアの血の気が引く。
「た、大変申し上げ難いのですが、目玉焼きは半分以上黒くなっていましたので、帰ってきてすぐに捨ててしまいました。」
「ご迷惑をおかけしました…」
キリンのおかげで事無きを得たのだと理解したリティアは、ペコペコと頭を下げて謝る。
「ご体調が優れませんか?」
「いえ、本に夢中になって眠らなかったので、料理中に寝てしまったんだと思います…」
心配してくれるキリンに申し訳ない。珈琲を淹れたら、フライパンの火を見ようと思ったところまでの記憶はある。そこら辺で、身体が限界を迎えて気を失ったのであろう。ヤレヤレと言わんばかりに額に手を当てるキリン。
「今、キリンさんの分を作り直しますね。」
「わ、私の、ですか?」
フライパンを紙で拭いてから、油をひいて卵を割るリティアの顔を覗き込むキリン。
「はい、そのつもりで作ってましたから。」
彼にもう1度微笑んでから、改めて目玉焼きを作ったのであった。
徹夜で本を読んだのだ。ハルドが苦笑いするのも分かる。シェクレやディオンが朝食の準備を手伝ってくれた後、皆で朝食を摂った。朝食が終わってハルドが家に訪れた時の第一声は、
「今すぐ、ソラ君とリティはベッドね。本の持ち込みは禁止するよ。」
彼の後ろにも欠伸をかく存在が居て、
「ラド、お前も寝ろ。」
ハルドのゲンコツが頭に落とされていた。キリンが額に手を当て、
「私も夜勤帰りですから、仮眠を取りますね。ラドは、兄の部屋をお使い下さい。」
誰よりも先に階段を昇っていってしまう。料理中に寝てしまったリティアも、肩を落としながら部屋に入る。ベッドの下に隠してある剣を確認してから、布団を被った。その途端、引き込まれるように深い眠りにつく。次に目を開けた先は、森の中ではなかった。窓から夕日が傾いている景色が見え、血の気が引く。大慌てで髪を直して、イヤーカフをつけ直して、バタバタと階段を降りると、
「これが鉄鋼ゴーレム素材、こっちはトレントの幹の上に鉄フレームをつけた物、それは龍素材だけど、何の龍かは分からない。あとこれは…」
リビングではランスが床に置いてあって、ハルドがセイリンに説明している最中だった。いつものようにラドが壁に寄りかかる。キリンが面倒そうに、ハルドが広げているランスを眺めている。テルとディオンは、読書を再開したソラの横でラグに座って本を借りて読んでいるのだ。
「おはよう、リティ。」
「お、おはようございます…」
ハルドに微笑まれて、皆の注目が集まる。リティアの顔が火照り、両手で隠した。仮眠のつもりが、しっかりと眠ってしまった。
「ソラも、さっき起きたんだよ。起きたら、吸い込まれるように本の虫ー。」
テルが、プニッとソラの頬を指で突くが、されても反応する様子がないソラ。プニプニとしつこくやるテルに待ったをかけたのは、ディオンだった。ディオンに遊んでいた手を捕まれて、頬を膨らますテルだが、また本に視線を落とす。リティアも本を読ませてもらおうと思って、ランスに気をつけながらソファに座ると、
「リティさんの読みかけ。」
テルのイタズラに反応しなかったソラが、彼の膝の上に置かれていた本を突き出してきた。その本は、確かに栞が挟まれている。
「ありがとうございます。」
彼から受け取って、隣で読ませてもらった。夕食の声がかかった頃には、テーブルの上に本を積み上げて、
「二人共、とてもお似合いね。一緒に研究者にでもなれそうよ。」
シェクレに笑われてしまう。丸い目をしたソラと顔を見合わせ、数秒後には再び本を読み始めると、ハルドに本を取り上げられた。慌てて手を伸ばすと、ソラも同じように手を伸ばしていて、
「ここが双子だったかい?」
ハルドも笑う。それを聞いたテルの頬が頬袋みたく膨らみ、
「テル君…やきもちかな?」
本を没収しながら、テルの頬を軽く抓むのもハルド。突然、セイリンはランスを掲げるものだから、ラドにランスを奪われていた。キリンが立ち上がって指を鳴らすと、空間がネジ曲がってランスを投げていき、ラドが奪った物含めて全て回収し終えた。
「本も回収しましょうか?その代わり、数冊なくなるかもしれませんが。」
「片付けます!」
キリンの見下す目線にソラが唇を噛み、すかさずリティアが代わりに手を挙げる。と言っても、テーブルに置いた20冊をリビングの隅に置かせてもらうだけだが。今ここにある殆どの本をディオンが運んできたのだから、帰りもそうなるのだろう。
「双子かと思ったけど、リティがお姉さんかもしれないね。」
「兄弟になったら結婚出来ないじゃん!そんなのヤダ!」
ハルドがリティアの頭を撫でた途端に、テルが声を張り上げた。何を言っているのか、全く理解ができないリティアは、声に驚いたであろうハルドと顔を見合わせ、セイリンと視線を交らわせる。キリンの冷たい視線がテルに注がれたと思えば、それはディオンからもだった。
「テル、私の恋人であるリティアさんに何を仰るのですか…?」
「ヒィッ!?」
敢えて声のトーンを落として笑顔を貼り付けるディオンの圧力に、テルは震え上がってソラの背中に抱きつく。予想外の事にソラの目が丸くなり、まるで助けを求める小動物のように目をキョロキョロと動かしていて、シェクレが微笑みながらテーブルに大皿1つ置くと、
「さあ、ご飯にしましょう!」
パチンと両手を合わせて、風の精霊を呼んで他の皿を運んでもらう。盛りつけられた皿が浮いてくる様にテルの目は輝き、ソラの隣に行儀良く座った。セイリンが手を差し出してきて、リティアもその手を取って、2人で双子と同じソファに座る。ディオンは笑顔を貼り付けたまま、リティアの前のソファに座り、キリンも彼の隣に腰を下ろしてテルを凝視していた。背筋が伸びていくテル。その目の動きは忙しなく、逃げ場を探しているようにも見える。
「キーちゃん、虐めないのよ。いくら、リティアさんの事が気になるからって。」
「…はっ?」
シェクレの言葉に、一瞬にして空気が重くなる。恨めしそうなテルの眼差し、敵対とも取れるハルドとディオンの笑顔、セイリンとラドは睨み、全てがキリンに集中し、彼は腕を組んで、その全員に睨み返した。ただ1人、黙々と食べているソラを除いて。
「あら?違ったかしら?お祭りの日は、一緒に周りたかったのでしょう?それって…」
シェクレが、トントンと人差し指でキリンの肩を叩くと、その手を乱暴に払うキリン。
「母さん、リティア様にご迷惑をおかけする発言は謹んで頂きます。夕食が終わったら、また仕事に行きますので、ラドは家の中で待機をお願いします。外に立っていると、通報されますよ。」
簡単に食べられるパンを口に頬張り、握り拳を大きく振って出掛けていく。リティアは、その背中を見送りながら、夜食の献立について考えていたのであった。




