516,少年は警戒を強める
ディオンが豪華な朝食を用意している時にラドが訪れて、それから少し経ってからセイリンが自慢気な表情で帰ってきた。リビングのテーブルいっぱいの料理の真ん中は、しっかりと空けてある。セイリンが持って帰ってきたであろう戦利品を置く為だ。
「…ディオン。」
「おはようございます、麗しきお嬢様。」
彼女としては面白くなかったのだろうが、ディオンは満面の笑みで迎えにあがる。玄関まで出てきたリティアに、セイリンの視線が流れ、
「リティ…」
「ま、守れませんでした。」
トーン低めだった為、リティアが可哀想なくらい沈み込む。これにはセイリンが慌てて、
「いや、ディオンの方が上手だったという事だ。ハルド先生、手伝って下さい。」
「リティじゃなくて良いのかい?」
ハルドの背中を何度も良い音させて叩くのだ。ハルドは、全然痛そうな素振りを見せずにニコニコとしている。
「お礼する相手に、手伝って貰ってどうするんですか!」
「あはは、怒られてしまった。」
大股でキッチンに向かうセイリンから少し遅れるように、ハルドは笑顔で手を振って彼女の後を追った。ディオンは、2人の背中を見送ってからソラを起こしに行く。テルは、既にシェクレの手伝いをしているから本当に偉い。ソラは、結構遅くまで勉強しているのだ。彼の部屋をノックすると、生返事が返ってくる。まだ夢の中か、と思って扉を開けたら、
「ディオン、どう思う?」
「何をですか?」
ソラは既に机に向かい、ノートに殴り書きをしていたのだ。ノート中央にリティアの名前。そして、彼女の知り合いや、彼女の彼らに対する言動について書かれていた。ディオンは咄嗟に扉を閉めて、彼のノートに手を置く。
「ソラ、これはいけません。」
「何でだ。お前だって、おかしいと思う筈。セイリンさんだって分かっている。」
テルと何ら変わらない純粋な瞳で見上げてきたソラ。リティアに何かしらの不満があるわけではないのが、よく分かる。これは、違和感からくる興味本位でしかない。ソラはテルと異なり、これ以上は踏み込んではいけないという線引が見えていないのだろう。
「リティアさんが言いたくない事情があるのですよ。彼女が、信頼している友人の1人である貴方がやるべき事ではないのです。」
だから、友人として止める。生半可な返事であれば、絶対にこの部屋から出さないつもりだ。
「貴族ではない、貴族以上の存在って何だ?王族なのか?何で、ハルド先生やラド先生はずっと彼女を気にかけている?リンノ先生も何なんだ?リーフィさんのお兄さんだから親戚で、元婚約者?それにしては、過保護過ぎないか?まるで、セイリンさんとディオンのような主従関係を持っているようにも見える。」
ソラはこちらの気も知らずに、捲し立てるように疑問を投げかけてくる。やめろと言ってやめられたら、今こんなマップをノートに書いていないか。セイリンが気がついて、釘を差してもおかしくない。興味がある事には、やる気がないんだか、あまりちゃんと物を見ていないんだか、そんなぼんやりとした瞳に力が入るのだ。セイリンだって知っている。ディオンは、ゆっくりと息を吸ってから彼を見据え、
「ソラ、やめるのです。彼女を疑えば、彼女はこのメンバーから離れていきます。たかが興味本位で、彼女を孤立させたいのですか?」
「…いや。そうではないが。」
首を横に振るソラの傍で、グチャッとノートが音を立てたのは、ディオンが握り潰したからだ。複数ページ纏めて握り、ノートからもぎ取った。ソラの目が丸くなる。
「では、やめてください。彼女は、確かに家に経済力がある御令嬢。しかも、彼女のお父上は王国魔法士団の副団長とも知り合いです。けれど、実家に戻って来いとは『言われない』女性なのですよ。私やセイリン様は、事前に実家から長期休暇について予定を聞かれます。リティアさんは、本人が行きたいと望んでクピアに行ったようには見えなかったでしょう。お兄さんの別荘がある『らしい』と。それで馬車に乗せられたのでしょうよ。ソラ、他人の家の事情です。良いですね?」
彼に分かるように、ある程度詳しく、例を添えて。ディオンは、ゆっくりと力を込めて話す。彼の前で、ノートが粉々になるまで千切った。それをゴミ箱に捨てて、ラドの如く腕を組んでみせる。
「ソラ、疑うのは勝手です。それで、テルだけでなく、セイリン様や私が大切に想っている彼女を傷付けるおつもりでしたら、報復を受ける覚悟をしておいて下さい。それだけの事なのですから。」
笑みを浮かべる事なく彼を見下ろすと、彼は何度も瞬きをしてから、やっと頭を下げて、
「す、すまない。」
謝ってきたのだった。一応、こちらからも釘を差し、
「絶対にいつもと異なる発言をしないように。リティアさんの事です。すぐに気が付きますよ。」
「あ、ああ。」
慌てて頷いたソラを連れてリビングに降りた頃には、牛蒡豚の特大ベーコンがこんがりと焼き上がっている。全員が揃うまでソファで座って待っていたセイリンとリティアの瞳が、ソラとディオンの間の空気感を見逃すわけがなかった。
食事の間、ソラの体調が悪いのではないかと、リティアは心配していたが、セイリンからは疑いの眼差しを向けられて、ソラは居心地悪そうにしていた。ディオンが皿の片付けをし始めた時、
「リティア様。この後雑務がありますので、この後は何かありましたらハルドにお願い致します。」
「分かりました。お仕事頑張って下さい。」
キリンが深々と頭を下げる。リティアも微笑んで答える。これだけで、違和感しかない。けれど、彼女は魔法士の一族に養子として入った魔術士。父親が魔法士であるから、知り合いが魔法士である事は仕方ない。ディオンとしても、セイリンやソラに漏らすような愚行をする気はない。ハルドがゆらゆらと手を挙げて、
「キリン、ギィダンの馬車を見つけたら、ここに来るように言っておいて。」
「分かりました。では、暫し失礼致します。」
友人のようなラフさで関わる違和感。キリンは、マスクで口を隠して玄関を出ていく。確かに、ソラからしたら違和感だらけだ。けれど、彼らに芝居をしろとは言えない。そんな事を密かに考えていていると、
「テーブルが片付いたら、セイリン君はレポート進めて!あのお店に行けなくなるよ!」
「は、はい!」
教師面のハルドがパンパンと手を叩き、この場の雰囲気をいつもの調合室に変えていく。ラドは、壁に寄りかかって瞼を閉じていた。ソラが恐る恐る手を挙げるものだから、ディオンは皿を持ったまま警戒を強めたが、
「先生、秋頃言っていた薬学を教えてほしいんです。」
「ああ、良いね。じゃあ、百聞一見に如かずだから、セイリン君のレポートが終わってから、皆で薬屋に行こう。俺が薬を卸している店があるから、そこにお邪魔しようか。」
全く違う話で安堵する。パァっとリティアの表情が明るくなったと思ったら、駆け足で階段を昇り降りして、分厚い本を持ってくる。はしゃぐ彼女の顔が手に取るように分かる。話に入りたい気持ちを抑えながらキッチンに運ぶと、
「俺も行きたい!」
テルが皿を洗いながら叫んだ。ハルドの明るい声が風に乗るように返ってきて、
「勿論、皆で行こうね!」
テルの嬉しそうな表情に、皿を拭いているシェクレも顔が綻ぶ。最後の皿を流しに置いたディオンは、拭き終わった皿を棚に戻しながら、どうにかして今日中にハルドに報告しなくてはいけないだろうとも考えていた。




