5,少女は恐怖する
7限目が開始されると、教師が魔術陣を発動させ、白濁した魔石が輝く。魔石の上部に、透けた人型が映り始め、徐々に服の輪郭や、顔のパーツの細部が明確になる。魔術が発動するだけで、生徒から歓声が上がり、顔がしっかり映ると更に声が大きくなった。白髪の髪をオールバックスタイルにし、うっすらと顎髭が見える。威厳に満ちた顔つきの彼は、
「王国魔術士団の団長を務めるマグル・ザルデットである。魔術士を志し、勉学に励む君達を歓迎しよう。」
地に響くほどの低音が空間を震えさせる。ビリビリと肌に圧を感じ、声を上げていた生徒はきつく口を結んだ。リティアは、終始無言のままだったが、額から汗が滲み出し、徐々に眉に力が入り、耳を手で塞ぐ。
「近年のこの国では」
嫌、入ってこないで。
「魔法士と魔術士、騎士と共に」
見たくない、聞きたくない。
「他国からの侵略を防ぎ、そして魔獣を倒し民の生活を守り」
表ではいつも綺麗事ばかり並べて。裏では虐げてきたじゃない。
「…!!」
パチンと耳元で指を弾く音がする。その途端、声が耳に届かなくなった。弾いた音がした方を見上げれば、自分の髪ではない、銀髪が揺れている。
「お兄ちゃん…。」
自然と涙が溢れた。同じハーフアップのヘアスタイル、藤色の瞳。兄が『居た』。けれど、もう居ない。遠隔魔法でリティアの傍に現れ、そして消えた。自分は、一番後方の席に座っているため、誰かに気が付かれることはないと信じたい。後は授業時間が終わるまで、静かに座っていた。
ホームルームが始まる頃には魔法が解け、教師による明日の日程確認を聞き逃すことはなかった。落ち着きを取り戻し、ゆっくりとした足取りで教室を出る。恐らく、遠隔魔法の距離制限を考えると兄はこの校舎内にいる。久しぶりに会いたい。ゴクリとつばを飲み、胸の前で手を合わせる。居るとするなら、応接室や職員室とかだろうか。6組の近くの階段を降りてしまうと、女史寮に向かう生徒達の群れに飲まれてしまうのが理解できた。1組の近くの階段だと、男子寮の近く。2組と3組の前に垂直に交わる通路を進む。通路の向こう側の棟には、実習室、魔術実践室、実験室、調合室、音楽室、図書室にと様々な施設が並んでいる。この棟を1階に降りると、職員室や応接室がある。図書室に向かう生徒が疎らにいる中を縫うように歩く。魔石の影響の受けなくなった精霊達は優雅に宙を泳いでいた。何となく手を伸ばせば、通り抜ける。それを見るのが楽しくて、ふふっと笑みが溢れる。
「リティアさん!リティアさん!」
肩をポンポンと叩かれる。今、全く気配を感じなかった。青ざめながら振り向くと、ディオンがにこやかに隣を歩いていた。
「え…?」
「先程は、ありがとうございます。本当に助かりました。昼食の殆どをセイリン様が食してしまって…。自分の口に入ったサンドイッチは2つだけだったので。」
餓死するかと思いましたと、頬をかきながら笑みを向けてくる。
「そうだったのですね…。」
そんなことよりついてこないでほしいと思いつつ、話を合わせる。
「そういえば、リティアさんのお昼ごはんって昨日もパンでしたよね。本日のお礼に、これからは私がご用意いたしますよ。」
「そんな、悪いですよ…!?」
「料理は趣味なので、作らせてくださると有り難いのですが。」
良いですよね?と婦人殺しの笑顔を見せつけてきた。ひぃ!と悲鳴を上げたくなる。その代わりに、胸元に置いてある両手で拳を作った。ディオンもリティアも、互いの目から逸らしたら負けだと本能的に理解した。通路を渡り終えるまで静かな攻防を繰り広げる。ディオンの髪は、朝日が降り注いだときの違って、赤みを帯び濃紺な色に変わって冬の空を演出している。その周りを先程の黄色い精霊が、一等星のように輝きながら浮いている。フッと、精霊が下に落ちたため、視線を下げてしまった。精霊はふわふわと昇った先には、大きく口角を上げ、白い歯を少し開いた隙間からちらつくディオンの笑顔。
「で、ではお言葉に甘えて…。」
負けた。語尾が小さくなる。この笑顔で迫られると、NOと言えない。ディオンも一緒に階段を降りていく。話は終わったはずなのにと思いながらも、ここまで来たら兄に会いたい。ドキドキと心音が聞こえてきそうなくらいに胸が高鳴る。
「それでは、失礼致します。」
ドクン…この声、まさか。最後の段を降りたところで、応接室の扉が開いた。
「出来るだけ早く、依頼書を提出するよう努めます。何卒よろしくお願い致します。」
扉の外に出てきたのは、純白のマントを身に着け、金色の肩章、そして同じ色の飾緒を右肩から胸元に吊り下がった王国魔法士団、銀色の肩章と飾緒の王国魔術士団、黒の肩章と飾緒の王国騎士団から各3人ずつだ。その中には、先程の魔術士団長もいる。そして、金色の飾りを身にまとった兄もいるが、その一歩先には父もいた。ツーブロックの銀髪、狼のように鋭い目つき。視界に飛び込んできた瞬間から、足がすくむ。膝に力が入らないような感覚に襲われる。
「生徒がここで何をしている!下校時間であろう!」
父の怒号が耳の中に響く。
「ホクト先生に授業で分からなかった箇所を質問しに来ました。会議中とは知らず、ご迷惑おかけしました。」
ディオンは、いつの間にかリティアを背に隠すようにして大きく前に出ていた。
「申し遅れました、ルーシェ家に仕えている従者でございます。以後、このような失態を起こさぬよう注意いたします。」
「ほう、ルーシェ家か。この度のことは、しかと主に報告し、叱咤してもらうと良い。」
父の関心はディオンに向いていたが、隣の魔法士から耳打ちされ、他の団員と共に玄関へ歩みを進めていった。足音が遠くなる。体の力が抜け、その場で崩れ落ちた。
「リティアさん、ここに何をしに来たかは分かりませんが、今日は帰りましょう。」
失礼しますと、動けないリティアを抱きかかえ、踵を返す。人を1人抱えているとは思えないほど、軽々と階段を登り降りし、そのまま女子寮に連れてこられた。割れ物を扱うように丁寧に床に降ろされる。
「リティアさん、ではまた明日お会いしましょう。おやすみなさい。」
「ありがとうございました…」
泣き虫だなと思いながらも、涙が溢れるままお礼をして、寮の重い扉を開けた。
日が落ちていて、学校の廊下は薄暗くなってきた。リティアを追いかけたときから、気になっていた影に声をかける。
「お嬢様、いくらなんでもそれは怖いと思いますよ。」
「リティアが心配で。お前が何かしでかさないかと。」
「何もしません。が、報告くらいは致します。」
2階途中の階段の壁に寄りかかるセイリンと、2階のフロアへわざわざ昇ったディオン。ここにはこの2人以外は見当たらない。
「リティアさんは、お知り合いまたはお身内が王国団にいらっしゃるようです。彼らが視界に入った時には、体を震わせ、怯えているように見受けられました。」
「今日来られているのは上層部。どの団も団長、
副団長、一番隊隊長なはず。声はかけられた?」
「はい、魔法士団長よりお咎めを頂戴しました。しかし彼女の反応からして対面は危険かと考え、私が先に隠しました。そのため、関係性は全く掴めず。」
「それは良い。あの子が言わないところまで知る必要はない。他には。」
「実は、本日の昼食のほぼ全てがお嬢様の胃袋の中に入ってしまったのですが、リティアさんが恵んでくださいました。まるで地上に舞い降りた女神のように神々しく。」
ディオンはわざとらしく、うっすらと笑い、白い歯をこぼす。それに合わせて、セイリンの片眉が引き上がる。
「肉とトマト多めで。」
「謝ってすらくださらないのですね。はいはい、承知いたしました。明日から、弁当の量自体も増やします。あと、リティアさんの弁当も作れることになったので、今から楽しみです。」
どんな弁当を用意しようかと想像すれば、自然と顔がほころぶ。お嬢様と違って、女子らしい女子。かわいく盛り付けた弁当を喜んでくれるかもしれない。
「手間かけすぎて、ドン引きされないように。」
「とりあえず、気をつけます。では、お嬢様が戻られたら、私も寮へ向かいますので。」
セイリンはコクリと頷き、階段を降りていく。ディオンは、その場を動かず、静寂な廊下で、扉の開閉音を聞く。扉が締まったことを確認出来たら、このまま2階の廊下を歩く。絨毯は音を吸収し、この無音がなかなかの味を出していると考える。夏に肝試しも悪くなさそうだと思ってみたり。
「そして、どちら様でしょうか。」
2組の教室前で立ち止まり、誰もいない教室に向かって声をかける。
「先程はありがとう。ただそれだけだ。」
「はて、何の話でしょうか?」
教室の中から聞き覚えのない男性の声が聞こえてきたため、ディオンは扉に手をかけたが、すぐ離れた。声が聞こえるまで人の気配があった。聞き返したときには、その気配が見当たらない。眉間にしわをよせる。
「魔法士…?」
魔法士は、魔術士とは違い、魔術陣の発動時間に左右されず、風の如く空間移動も可能であると聞いたことがある。魔術陣を発動させるときには、陣が光ることが多いため、その光も溢れてこなかったのであれば、魔法士の可能性が高い。ただ、魔法士にお礼を言われるような事をした覚えはない。
「…帰ろう。」
明日の準備もあるのだしと、この件は頭の片隅に置いておくとして、他に気配がないか探りつつ、寮へ戻って行った。