49,少女は思い出に触れる
店主はリティアに席に戻るように促し、オムライスをテーブルに置いてから、カウンターの奥からつづりひもで閉じられた手作りの本をリティアの前へ置いた。本の表紙に書かれたタイトルを見て、リティアの鼓動の音が速くなる。
「中を見てもよいですか…?」
「勿論。そのために君の前に持ってきたのだから。今、お茶をお持ちしますね。」
店主が離れてから、手を小刻みに震わせながらその本を手に取ってみる。今すぐに開けたくて開けたくてたまらない。運ばれてきたオムライスを食べないで、リティアを待っていてくれているディオンが聞いてくる。
「リティアさんは、その本を知っておられるのですか?」
「は、はい!大好きなんです!スインキーの旅行戦記!それの原案か、原稿かは分かりませんが…」
いつもより大きな声になったかもしれないけれど、リティアは気にならない。宝箱を開くような高揚感に襲われながら、本を1枚1枚と捲っていく。読んだことがある内容だ。主人公の隠居している老魔法士スインキーは、たった1つの手紙をきっかけに旅に出ることを決意する。見たこともないような魔獣を倒したり、魔獣が友人となって一緒に旅をしたり…。
「わあ!販売されているものと内容が少し違うようです!原案なんだと思います!」
閉じ込められていたあの頃の自分が夢中になった小説の原案をこの手に持っているという事実に感極まり、大粒の涙が溢れていく。大切な本を濡らしてはいけないという一心でテーブルに戻すが、ショルダーバッグからハンカチを出そうとする手が震えて上手く開けられない。
「リティアさん…こちらをお使いください。」
ディオンは優しく声をかけて、自分の若草色のハンカチでリティアの頬に伝う涙を拭う。
「あ、あ、ありがとうございます…。」
リティアはハンカチを受け取り、瞼に押し付ける。こんな日がくるなんてあの日の私は知らなかった。祖母の家に置いてあったこの小説に出会い、まだ王都へ行くことが許されていたときにお兄ちゃんと一緒に書店で並んで購入して、無理やり実家に戻されて子供部屋に閉じ込めらたとき、お兄ちゃんからの贈り物と一緒に贈られた小説で、私にとっての宝物だった。この本を読んでいる時は、空想の中で家から出て遠くを旅することだって出来た。あの頃の感情が溢れ出して止まらない、止め方が分からない。ディオンの顔は涙で前が滲んで見ることはできないけれど、恐らく呆れているのではないだろうか。
「おやおや、お嬢さん大丈夫ですか?」
「は、はい…すみません。」
コトンと、カップが目の前に置かれる音がして、幼い頃にお兄ちゃんが頭を撫でてくれたときに嗅いだ香りが、今そのカップから香ってくる。それだけで涙を誘った。どうにか説明だけでもしなくてはと、必死に言葉を紡ぐ。
「家に、居場所がなくて、この本がずっと、心の支えで…」
「そうでしたか。この本で貴女を支えられたことを孫が知ったら喜ぶことでしょう。」
「お、お孫さん…?」
リティアは涙を流したまま見上げると、店主の目尻のシワが更に深くなっていた。
「はい、その本を書いたのは私の孫息子なのですよ。もう成人しておりますがね。」
「あ、あの、その方とお会いすることって可能ですか?」
ディオンは、割り込むように会話に入ってきた。んーと、店主は思案したが、
「あの子はとても忙しく駆け回っていますので、会えるとしてもいつになるか…。帰宅したときにでも、お嬢さんの事を伝えておきましょう。」
「そんな悪いですよ!」
リティアはあわあわと慌てて顔を横に振るが、
「是非、リティアさんのことを伝えてください。」
ディオンは店主に頭を下げて頼む。リティアからしたら何故ディオンがそのように頼むのか分からなかった。
「ディオンさん!?」
「こんなに作品を愛してくれる人が居て、その人の支えになれたのなら、作者の方だって嬉しいと思いますよ。」
ディオンはテーブルの反対側から、スーッと指を伸ばしてリティアのまだ溢れている涙を優しく拭う。
「リティアさん…ですね。しかと伝えておきますね。さあ、冷める前にお食べください。老魔法士スインキーの得意料理であったオムライスですよ。」
「あ、ありがとうございます…」
好きな小説をなぞるように店主が食事を勧めてくれる。リティアは心が温まる感覚を覚えながら、スプーンを口に運び、
「とても美味しいです…!」
涙で濡れた顔で、大輪の花を咲かせた。
昼食を食べ終わり、ディオンとリティアは街を軽く散策する。入学前から街を歩いていたディオンと異なり、リティアは街を歩くこと自体が初めてだった。店を見つければ、ふらふらと近寄っていくリティアは、下手をすると迷子になりそうだ。危機回避のために、ディオンは従者のようにリティアの傍に控える。ふらっとリティアが向かった店は、小さな革工房だ。窓から店内を覗くと精霊達が楽しそうに踊っている。こういうところって多分…と、リティアが扉を開けようとしたら、後ろからディオンが代わりに開けてくれる。
「ごめんください…」
薄暗くて静かな工房の中に足を踏み入れると、店内で踊っていた精霊達が一斉に革製品の中へと入っていく。やっぱりそうだ。リティアは1人で納得し、値札のついている革製品の陳列棚の中でも精霊が多く入っていった1番上を覗こうとして、少し身長が足りなかった。棚の下には、材料の入った木箱が積んであり、一番下の段でも胸辺りだった。背伸びして見ようとしても、足がぷるぷるするだけで見ることができない。それでも少しでもとつま先立ちをしていたら、ディオンが上から商品を取ってくれる。男性用のレザーブレスレットばかりで、殆どが精霊が入っているのが分かり、ディオンが順番に見せてくれる中から、2つだけ選ぶ。
「なんだ、探しもんか?」
作業台に座っていたであろう中年男性が近づいてきながら声をかけられ、リティアの背筋に力が入る。
「あ、はい…!」
「ここのはあんたに馴染まなそうだけどな…?」
中年男性は訝しげにリティアの顔をジロジロと見てきて、リティアは後退りして後ろの存在に縋り付く。ディオンがビクッと身体に力が入るが、ひっついてきたリティアは気が付かないままで、
「わ、私がつけるのではないので…。」
ディオンの手に乗っている白い二重巻きのレザーブレスレットと、リティアが既に手に持っているライトグレーの細めのレザーブレスレットを中年男性に手渡す。
「この2つを購入します。」
「こいつは値が張るぞ。何処のご令嬢だぁ、あんた?」
「それは貴方に関係がないかと思いますが。」
リティアの顔を覗き込んでくる中年男性の前に、ディオンが立ちはだかる。食えないと思われたのか、チッと大きく舌打ちし、作業台からカルトンを持ってくる。リティアは、ショルダーバッグからぴったりになるように支払いをして、ディオンに守られるように店の外へ出た。ディオンは、工房の人間が出てきていないかと後ろを確認しつつ、リティアをできるだけ工房から離れるよう促す。
「ディオンさん、すみません。嫌な思いをさせてしまって。」
リティアは申し訳無さそうに謝りながら、学校への大通りに戻ってくる。リティアの身体は実をつけて重くなった稲のようだったが、ディオンは
「とんでもない。それより、リティアさんは大丈夫でしたか?」
と言って眉を少しだけ下げて微笑むと、リティアの頬が柔らかい桃色に染まる。もじもじとしながら無言で頷いたリティアは、レザーブレスレットを掴んでいる手をディオンの前で開いてみせる。左の人差し指と親指で白いレザーを挟んで、ライトグレーのみをディオンに差し出す。
「ディオンさんにこちらを。そちらのレザーブレスレットと一緒につけてくださると嬉しく思います。」
「わ、私にですか?」
上目遣いになりながらディオンの目を見つめるリティアに、ディオンは鼓動が速くなるのを感じた。
「はい、日々のお礼を兼ねて。このブレスレットはお守りなんです。お店の人は怖かったのですが、この作品はお守りになれるほど、丹精を込めて作られております。肌身離さず使っていただければと思います。」
「ありがとうございます…!」
ディオンは嬉々としてブレスレットを手首に着ける。身につけていたブレスレットとのコーディネートとしても主張しすぎないため扱いやすい。
「ディオンさんの大切なお守りと一緒に守ってくれると思います。」
リティアには、目に映る黄色い精霊がとても喜んでいるように見えて、微笑ましそうに顔を綻ばせた。




