399,少女は呼べない
マンパワーは偉大だ。あれだけ奇声が不協和音を起こしていた町が、みるみるうちに大人しくなっていく。ハルドに連れられて宿を出て、今できる事を探す。本当は空腹の人にクッキーを配りたい。ハルドは、この小袋達の意味を理解しているだろうが、やらせてくれなかった。まあ、リティアが居なくなっては危険だから、という心配が彼の心を占めているのであろう。とりあえず気付け薬を試してもらったからには、怒る気にならない。ハルドには言えないが、レインにも警告を受けていたのだから。
「あの男が、わざわざサナダムシを利用した理由が見えないな…」
ハルドの呟きに、リティアが首を傾げる。これは普通のサナダムシではない。この寄生型は、人間を宿主としないのだ。火山地帯に住まう岩の魔獣ゴーレムに寄生する猛火サナダムシの幼体。成体は、身体の中から発火して赤く光っているとの事だ。
「いやああ!来ないで!」
「落ち着いて下さい。私は騎士です。助けに来たのです。」
パニックを起こす中年女性を宥めようと苦戦するディオン。1人で頑張っていたセイリンの手伝いに回っていたようだ。ハルドの袖口を引っ張り、リティアが主張すると、
「分かった。その代わり、ディオン君の傍を離れない事。」
ハルドから許可が下り、遂に希望が通った。リティアは何故か騎士達の注目を浴びながら、彼女の元へ駆けつける。
「あの子、足速いよな?」
「今、飛んでなかったか?」
そんな声が聞こえた気がしたが、気にせずにディオンの隣にくっついて女性の視界に入る。女性の目が極限まで開いたと思うと、彼女の視線はこんなに近くに無かった事に気がつく。彼女の視線の先を探る為にリティアが振り返った時、路地裏で無音で浮遊する猛火サナダムシの成体と『眼』が合った。リティアが咄嗟にクラゲを呼ぶが、この手の中は空っぽだ。諦めずに何度も呼ぶ。しかし、この手の中にクラゲを呼べなかった。ポシェットから魔女茸の粉末が入った小瓶を引き抜いて、サナダムシに投げつける。カチャンと音を立てて割れたが、その外皮は焼き目すらつかない。女性に気を取られていたディオンがこちらに気がついた時には、サナダムシがマグマを吐き出すモーションに入っていた。
「金剛剣!この手に来て下さい!」
今日は町の人を援助する為にきたから、武器を携帯している者は多くなかった。ディオンもその1人だ。この叫びに、ハルドやラドは勿論、セイリンも小剣を構えて戦闘態勢に入り、ディオンの剣は呼びかけに応えた。騎士達が、状況把握に慌ただしくなり、カルファス達も腰を浮かしたが、
「町の外に避難させなさい!」
デークの怒号の指示が飛び、騎士達が町の人の避難誘導を始めたところに応援に入る。ディオンの剣が陽の光で一層の輝きを増しながら、マグマをその刀身で受け止める。ディオンのズボンのポケットから青い魔石が取り出されて金剛剣にぶつけられると、氷の玉がいくつか刀身に付着する。駄目、それでは弱過ぎる。リティアは直感的にそう判断して、懸命に精霊達に助けてくれるように『お願い』するが、どの子もリティアの声を聞き入れてはくれなかった。ここでやっと理解する。リティアの魂の半分に精霊と対話する力が持っていかれていた事を。呆然とする暇はない。ポシェットの針に毒を付着させると、ディオンの背後からサナダムシの節と節の隙間を目掛けて投げた。すぐに傍まで辿り着いたハルドが青い魔石をいくつか手に持ち、
「もっと付加させるんだ!」
ディオンの許可を取らず、金剛剣に押し付けた。金剛剣も大喜びで受け取っているように思える。刀身全てが氷に埋め尽くされた剣が出来上がり、ディオンが軽々と振り上げてサナダムシに突進していく。ハルドの手が空に翳されると、何処からともなく飛龍牙が飛んできて彼も武器を手にする。ラドはいつの間にか焔龍号を握っていて、リティアは邪魔にならないように後ろに下がろうとすると、『人間』にぶつかった。
「あーあ。見ちゃったあ?」
先程パニックを起こしていた女性が何故かまだここに居て、リティアの肩を軋む力で掴んだ。声が出ない!大事なオピネルナイフをハルドの足元に投げつけて助けを求める。ハルドの鋭い睨みがこちらに向く。女性の指が刃に変化してリティアの首に突きつけられ、
「ウインディアの暴れ者!このガキが可愛いだろ?てめぇの心臓を抉り出せ!」
「マキュラの一族か。では、物理攻撃は効かないね。魔術かな…」
ハルドを嘲笑ったが、ハルドは別段焦る様子を見せない。セイリンもデークもこちらに剣を構えて、ディオンはサナダムシに飛び込んだところだった。
「何、冷静に分析しているんだ?このガキを喰うぞ!」
リティアの首から血が流れ始めた時、視界の隅で4回も光った。女も気が付いて目を動かすと風の槍が飛んできて、リティアの首から手を離してその剣先で弾く。更に後ろから竜巻が突っ込んできて、それを当たり前のように蹴り飛ばす。上空から氷柱が降ってくると、リティアの身体を盾に使おうと引っ張った瞬間、リティアを掴んでいる手首にナイフが刺さる。血が噴き出し、リティアから手が離れた。リティアも弾かれるように逃げ出したところで、地面が大きく隆起した。女性の足元が不安定になり、バランスを崩したところで戻ってきた竜巻が到達する。セイリンとテルがリティアの前に飛び出し、テルのポケットが光る。土の壁が目の前で生長して、自分達が竜巻に巻き込まれないように耐えてくれた。
「マドン!セセリ!」
「はい!」
カルファスが声を張り上げると、呼ばれた2人が同時に返事をして、更に魔術の輝きが発生する。その間にもサナダムシの攻撃は続き、ディオンもラドもそちらの相手をする。ハルドは飛龍牙を上空から落としてサナダムシの胴体を傷つけながら、テルとセイリン、そしてリティアの頭を撫でる。
「よく頑張ったね。相手は魔法士でありながら、ならず者。その首には賞金がかけられている。だから、少々ショッキングかもしれないけど、仕留めるね。」
ハルドがそう言って、壁の向こうに足を進めた。
「ソラ君!ディオン君の支援に回るんだ!デーク殿、生徒達を頼みます!」
「分かりました!」
ハルドの指示で、ソラもデークもリティア達に駆け寄る。ソラの視線はサナダムシに、デークは壁の向こうに。リティア達の目には壁の先は映らない。という事は、ハルドは静かに魔法で殺すというのだなと理解する。壁からはみ出る程に風の精霊が膨れ上がり、
「ふざけんな!クソガキども!」
女性の罵声と共に肉が引き千切れる鈍い音が聞こえた。その音でテルが小刻みに震え、セイリンが優しく抱き締める。彼女が彼の涙をハンカチで拭うと、デークが代わってテルを安全な場所へと避難するように促す。テルがデークに支えられながら歩き始めると、土の壁が脆く崩れ去った。ハルドの白い袖が返り血で赤く染まり、あの女性の脳味噌だろうか…その手で握り潰して、ボタボタと肉片が割れた地面に飲み込まれていく。セイリンの顔が引きつってこめかみに汗が伝ったが、リティアは何とも思わない。彼は無表情で飛龍牙を手元に戻して、ラド達の戦いに参戦する。リティアはセイリンの袖を引き、泣くフリをして彼女の肩に顔を埋めて、そこから勝手に行ってしまわぬように足を止めさせた。心優しきカルファス達は、リティアを心配して寄ってきてくれる。そして彼らの手を借りながら、動揺を隠しているセイリンをその場から引き離したのであった。