37,少女は騙されない
豆鉄砲を食らうのはディオンの方だ。リティアはむくれ顔で、ディオンを見上げた。いつもニコニコとしている人ほど、自分の事を隠している。本人は隠せていると思っているから、困りものだとリティアは思った。手を繋いだままでいると、精霊がディオンの中に溶けていくのが見える。週末にハルドからコツを教えてもらってから、何となく精霊がどうやったら傷を治してくれるのか感覚的に分かるようになった。昨日のお祈り時よりもディオンに集まってくる精霊の数が多いので、怪我が増えていることになる。そう思うとぷくーっと頬が膨らんでいく。
「ディオンさんは、あの至近距離での魔術を避けられるほどの瞬発力を持っております。でももし、それが難しいほどに足が痛かったら?」
ドキドキ煩い心音は意識しないようにしながらも、ディオンと目を合わせる。
「リティアさん…?」
「まだ背中も治っていないのに怪我を増やされてどうなさるのですか?」
足を庇っているのに気がついてますよと、手を繋いでいない右手で、ディオンの右足を指差す。
「えっと…」
「お兄ちゃんもそうでした。いつもニコニコして怪我しているのに隠して。無理をして更に大怪我してくることも多かったので。どうして早めに治療しないのですか?」
言いづらそうなディオンはそっちのけにして、言いたいことは言わせてもらう。
「お、お、お兄様と似ておりますか?」
「はい、とっても!」
きっぱりと言い切ると、ディオンは左手で額を押さえていた。そうこうしている間に生徒用玄関も近づいてくる。お昼休憩の前にやれることはしないと、とリティアは手を緩めながら聞く。
「医務室で治療してもらうのと、調合室で薬を頂くのどちらにしますか?」
「昼休憩中には医務室の先生が不在なので、2人きりはちょっと…。」
「??」
何かを言いづらそうなディオンに、首を傾げるリティア。
「ハルド先生もいらっしゃるでしょうし、調合室で…お願いします。」
ディオンは苦笑いをすると、更にリティアの頭にはてなマークが浮かぶ。
「ねぇ、見て!あの人、凄く美人じゃない?」
「あの身長なら男性でしょうよ!本当にきれいな人!」
傍から見れば見つめ合っている2人の前で黄色い声が飛び交い、2人も生徒用玄関の反対側にある校門を見る。本当にスラッとした長身で、太陽の光を浴びて短髪の銀髪が更に輝きを増している男性が、紙袋を片手にいくつも抱えてこちらに向かってきている。リティアの目は大きく開かれたが、ディオンがサササと彼に近づいていくため、慌てて追いかける。
「そのお荷物、お持ちしましょうか?」
ディオンが手を出して、彼から荷物を受け取ろうとする。右瞼の泣きぼくろが印象的な男性で、パチパチと瞬きしてから、
「ん?あ、大丈夫ですよ。お気持ちだけ受け取っておきますね。」
と頭を下げると、紙袋がバランスを崩しそうになって、ディオンが慌てて押さえる。
「いえいえ、大変そうですし、職員室まででも」
「グレスさん…お久しぶりです。」
ディオンの後ろに隠れる形になってしまっていたリティアがニョキっと横から頭を出す。
「ティアちゃ…リティアさんも見ない間にお美しくなられて。」
「私に、さんがついた…。」
リグレスの発言にショックを受けて、プーッと頬を膨らます。やれやれと肩を落とし、
「お兄さんみたいにむくれないでくださいよ、ちゃん付けは子どものうちまでです。」
リティアのぷっくり膨らませた頬をぷにぷにとつつく。ディオンは同じ髪色、同じ瞳の色の2人を見比べながら、気をつけて言葉を選ぶ。
「リティアさんのお知り合い?」
「んと…婚約者…?」
「はい??」
んーと悩んだリティアの発言に理解が追いつかなくてディオンが聞き直すと、すかさずリグレスが訂正を入れる。
「正しくは候補ですし、元となります。リティアさん、私と結婚しても嬉しくないでしょうよ。」
「よくお兄ちゃんから大きくなったらグレスと結婚するんだよーって。」
そうだったの?と首をこてんと傾げるリティアの頬をリグレスは軽く摘んで、教師のように注意を始める。
「君は彼の言葉を鵜呑みにしすぎです。悪い癖ですよ、即時に直されるべきです。」
「…」
どんどん2人で盛り上がっていき、蚊帳の外になっているディオンは、ただただ見ているだけだ。それに気がついたリグレスが謝ってくる。
「ああ、すみませんね。リティアさんと会うといつもこんな感じで。」
「小さい頃はもっと優しかったです。」
そう言いながらリティアの表情はしょぼんと沈んでいく。
「許されるなら今だっ…いえ、何でもないです。とりあえず、リティアさんへのお土産は渡しておきます。」
リグレスは何かを言いかけたが、何事もなかったように次の話題を提供する。リティアに大きな紙袋を1つ渡すと、リティアの表情は忙しなく変わり、今度は大輪の花を咲かせた。早速袋を覗き込もうとするので、ディオンが代わりに袋を下から支える。
「マーマレードタルトのクッキー缶が入ってますね!」
マーマレードタルトは、王都で人気の焼き菓子専門店で、王都住まいではないディオンも名前だけは知っている。黄色い缶にはマーマレードジャムが紙に描いてあるイラストが巻かれていた。
「後で皆で頂きましょうね!」
リティアは、袋を持ってくれたディオンに笑いかける。そして、缶の下にある包装紙に包まれた四角いものをガサガサと取り出す。少し開けば、フリルブラウスの襟元が見えてくる。
「これはお兄ちゃんでしょうか…?お洋服…?」
「リティアさんが結構な量の荷物を置いていったと聞いて、贈りたいと仰ってました。」
目をパチクリとさせるリティアに、リグレスは楽しそうに選ばれておりましたよと、笑顔で返答すると、ボソボソとリティアは言いにくそうに、
「それは…お母様がお前なんぞが袖を通すものはここにはないって…」
「…何だって?」
リティアからの爆弾発言に、リグレスから押し殺した声が発せられる。ビクッとリティアの肩が上がり、ディオンもあまりの迫力に緊張が走った。
「ああ、申し訳ございません。怖かったですね。お兄さんが、いつも通り新刊も買ってくれていると思いますので一番下に入ってますよ。」
「いつも通り…グレスさんのおすすめも入ってますね。ありがとうございます。」
まだ治まらない心臓の音を感じながらも、紙袋の底に置いてある本を拾い上げると、いくつかの本の中に小説が入っていた。この小説は置いている書店が多くはないため、販売する日に人が外に並ぶこともあるほどのものだ。第一部の総集編が発売になったときに、付き添いの兄とその列に並んだこともある。
「わ、私は頼まれたものをお渡ししただけでして。」
リグレスは慌てて手を振って否定をするが、リティアの目が捉えて離さない。
「スインキーの旅行戦記シリーズは、お兄ちゃんが読むことはないので、グレスさんが買ってくれたのですよね。」
「あああ…リティアさん、ちが」
「違いません。」
きっぱり。否定をし続けることを諦めて、リグレスが折れる。そして、片手を上げてリティアに小声で頼み事をする。
「は、はい。その、これは私の親の耳に入らないようお願いします…」
「…??あのお二方に言ってはだめなのですか?」
んーと悩むリティア。最後に会ったのは6歳のお披露目会の頃だからしっかりと憶えているわけではないが、悪い人だった記憶はない。
「どうか、これのことは黙っていてください…。」
「…はい。」
リグレスに懇願され、理由はわからないまま頷いた。その後も、他に入っていた実用書の確認をした後、他愛のない話で、むくれたり、しおれたり、大輪を咲かせたりところころ表情を変えるリティアと、なだめたり、叱ったり、笑みを零すリグレス。そしてディオンは、その2人のやり取りをまるで空気のように眺める。
「お2人とも長々と引き止めて申し訳ごさいませんでした。では失礼します。」
リグレスは頭を下げて職員用玄関へ去っていき、2人は教室に向かった。校舎内に入ってからもずっと袋を抱きしめているリティアに、ディオンは声をかける。
「リティアさん、持ちますよ。」
リティアは取られてなるものかと言わんばかりに、更に強く抱きしめる。
「ぐ、グレスさんが私だけのために用意してくれたので。」
そう呟くと、頬がほんのり紅潮していた。