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362,少女は休息を得る

 幾度も刺しに来る大鎌の刃が、リティアの首に届く事はなかった。刃が頭を掠める頃には身体は反転して、旧校舎へと落ちる。以前降りた場所とは異なり、音楽室の中にリティアは立っている。アリシアが、ピアノの閉じている屋根の上に寝転がり、レインが容赦なく屋根を持ち上げて彼女を床に落とした。ここでこれだけリラックスしている彼女からしても、暫しの休息を得られる教室らしい。リティアは手近な椅子に腰掛けて、傘を優しく撫でる。

「酷いんですけどー!」

「喚いてなよ。俺は『彼女』の為に弾くだけ。」

床に転がったアリシアはレインの足を掴んだが、顔諸共蹴られて更にゴロゴロと転がる。

「リティアも静かにしていろよ。」

レインに指差されて静かに頷くと、彼はピアノと向かい合って指を踊らせてペダルを踏む。綺麗な旋律が広がり始めたこの空間で、リティアのすぐ後ろに眩しい程の精霊が集結して、何かの形を織り成す。彼のピアノの音に耳を傾けながら後ろを振り返ると、銀色の龍が翼を広げて床に寝そべっていた。地面から逃げ出したアリシアが、その龍の周りをふわふわと漂う。

「銀龍ちゃん、助けてくれてありがとですよー!」

《このくらい大した事ではないわ。》

アリシアが頭の左右から伸びている角を撫でると、銀龍の尾が微かに揺れた。リティアと目を合わせる銀龍に違和感を覚え、

「銀龍さん、身体が透けておりませんか?」

精霊が集まりきった割には形が確定されておらず、時々踵がなくなったり、翼の先端が消えたりしていたのだ。

「それは、そこのレインにあげたからですねー。健気ですよー、本当に。」

リティアの疑問にはアリシアが即答してくれ、目の前の銀龍はゆらりと尾を振るだけ。

「静かにしろって。」

ピアノを弾いているレインに叱られて、リティアの背筋が伸びる。アリシアは、全く気にしていないようだが。

《ねえ、聖女の子孫さん。私達の子どもは元気かしら?》

「銀龍さんのお子さんって…?」

銀龍からリティアに振られたが何の事か分からず、アリシアへと視線を送る。

「鉄鉱ちゃんです。鉄鉱龍って、成長分岐が多岐にわたる龍なのですよ。条件を満たせば、岩石龍にも金剛龍にも銀龍にも成り得るんですー!将来有望なのです!」

アリシアは、ニコーッと良い笑顔を向けてくると、

「アリシア。」

レインの静かな怒りによって、浮遊していた彼女の身体は床に叩き落された。床に貼り付けられたようでジタバタと手足を動かしても、彼女の身体は開放されない。

「鉄鉱龍のスズランさんは、セイリンちゃんとケルベロスさんが世話をなさってます。そろそろ体重は60kg過ぎたくらいかと。いつもセイリンちゃんに抱っこしてもらって嬉しそうですよ。セイリンちゃんと同じベッドでぎゅうぎゅうになりながら寝てますね。」

相手がどのような話を求めているかが分からないまま、昨晩の事を話すリティア。かなり大きくなったスズランが一緒に寝たいと甘えてくるので、セイリンが壁に寄って彼女のスペースを作っていた。早朝には、床にスズランが寝転がっていたが…。

《そうなのね。彼からは聞けるあの子の事は多くなくて…。安心して休めるという事は、それだけ心を許しているという事。良い関係を築いているようね。》

「レイーン!育児放棄は断固はんたーい!」

銀龍がリティアへと微笑むと、床を激しく叩くアリシア。まるで大きな子どもだ。

「放棄してない。ただ、この旧校舎で狩られるのを待つだけの人生は、あまりにも酷だと思っただけだから。龍の卵と分かれば、飛龍は殺さない。それを利用しただけ。」

《彼は、ずっとその時が来るのを待っていたの。あの子は、長い時を卵の中で過ごしていたのよ。だからこそ、幸せになってほしい。》

不愉快そうな低めの声で話すレインと、穏やかに微笑む銀龍。どうもスズランは、この2人の間にできた子どもらしい。卵の中で、スズランはどう感じていたのか。ケルベロスやセイリンの傍からあまり離れないところから、ずっと寂しかったのではないだろうか、と考えてしまう。

「リティアは不思議に思わないのですかー?人間と龍の間に成した子ですよ?」

「思いません。ラド先生も魔獣と人の間の子とお聞きしましたし、そういう存在も有り得るものかと。」

アリシアの身体がやっと床から開放されて、リティアの周りをくるくると回り出したので、手を掴んでみれば普通に掴めた。実体がある。

「私と手をつなぎたいですかー?」

「いいえ。触れられるのかな、と思っただけです。」

目を輝かせて、今にも抱きついてきそうなアリシアの肩を軽く押すと、ふわふわと銀龍よりも後ろへと流れていくが、すぐに自力で戻ってきた。

「それよりも、レインさんはどうして助けて下さったのですか?」

「あいつの思い通りにしたくなかったからだよ。王都を拠点にこちらを狙う輩だ。自らを動きやすくする為に、こちらの拠点にいるサンニィールの血を早く葬り去りたいのだろうね。」

リティアの目を見てくれる事はないが、ピアノを弾きながらも彼なりの返答をしてくれる。しかし、その答えでは更なる疑問が浮かんでくるのだ。

「サンニィール家でしたら、リンノさんやリファラルさんだって…」

「本家であるだけで、それだけ誰よりも濃い。リンノも血の濃さならば、お前に負けていないだろうが、自らの侵略の足掛かりを早々には潰さない筈さ。」

言っている事が、分からない。彼のようには物を知らない。自分を殺してリンノを足掛かりとは、どういう事なのか。気がつくと、彼の隣まで足が動いていた。

「あー。来ないでくれる?情でも移されたら迷惑だよ。」

「レインさんが悪い人ならば、わざわざピアノを聴かせずにこの首を落とすと思います。」

彼の顔を覗き込むと、眉をひそめて見上げてくる彼の指の動きが止まった。

「そういうの、やめてくれ。カノンを意図せぬ形で外に出した事で、この学校を思う存分戦場にできるんだ。確実にお前達を害するさ。」

「レインさん、本当の事を教えて下さい。貴方は

、何の為にここに『残る』のですか…?」

レインの左手に自分の手を添えると、ダイロと対峙した時のように血が身体中を熱く駆け回って大きく脈打つと、リティアの中にいる誰かがこの口を使い始める。

「…これは良くない。お前は、操り人形ではないんだよ。ルナちゃんみたいにならなくて良い。」

レインがリティアの手を払うと、この手が勝手に彼の胸ぐらをつかむが、

「私と対話を」

「団長、なりません。過去を生きた者が、表舞台にしゃしゃり出てはいけない。特に彼女の心に、貴方程の方が棲み着いてはいけない。」

レインは動じる事なく、リティアの胸の中央に触れた瞬間、精霊がリティアの身体から溢れ出した。その勢いは留まる事を知らず、これ程の数が自分と一緒に居たのかと思うと、精霊に体積は存在しないのだろうか。自分の身体が冷えていく。先程まで汗が滲む程だったのに。力無く床に崩れると、レインの腕がリティアの脇に入れられて、体勢を整え終わるまで支えてくれた。

「な、何だったのですか?」

「お前の中のリーズダン団長が、共鳴していただけさ。本来ならば、死人の心臓をその身体の中に保管しておくものではない。けれど、お前は出し方も分からないだろうな。魔法士としての教育を放棄された子どもだ。」

呆然とするリティアの頭を軽く撫でたレインは立ち上がり、

「アリシア、あの青年を連れてこい。向こうで虚しく飛び回っている大鎌の相手をさせてやれ。」

レインが指示を飛ばすと、アリシアの頬が膨らんだ。

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