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360,少女は口を開ける

祝!360話!仮面をつけたままの挨拶って普通に考えて怖いと思うけど、当たり前のようにやるリルド君でしたね。

 昼休みまで授業の事以外では、ろくにディオンと口を利かなかった。リティアが漂わせる張り詰めた空気に、他のクラスメイト達は静まり返って、更にディオンが話しかけづらい状況を作り上げた。昼休みになった途端、リティアは教室から走り去って彼を置いて行く。最近はずっと5人で中庭に集まっていたが、今日は欠席とさせてもらう。怪しまれてでも、自分の確固たる意志を見せねば、また問い詰められる。接続通路を走り抜け、階段を駆け下りて購買に踏み入れようとした時、これだけ早く飛び出したリティアでも他の生徒との競争に勝てない事が露呈した。弁当の棚には、もう何も置いていない。ふらふらとしながら購買のおばさんに声をかけるも、

「大体4限目前には売り切れるわね。この後、夕方の小腹満たしにライスボールとパンを販売するのよ。」

要は今の時間は何もないという事だ。リティアは、イチかバチかで購買の隣にある職員室を覗く。ハルドは見当たらないが、食事を始めているラドとは目が合った。しかし、彼に甘えるわけにも…と悩んでいると、簡易的なキッチンから出てきた存在に目を輝かせる。彼の手にはトレー。可愛らしいライスボールが山になっている。

「リンノ先生…!」

「はい!?リティア、ここに何しに来たのですか?ハルド先生なら」

バッと両手を広げて駆け寄ると、ギョッとするリンノの肩に力が入った。他の教師の好奇心を含んだ眼差しとラドの鋭い視線を感じつつも、

「お弁当忘れて、お腹が減りました!」

テルがハルドにするような笑顔を作って上目遣いをリンノに。彼の瞬きが止まらないだけでなく、頻りに周りの目を気にしている。リティアは、もう一押ししてみる。

「1つで良いんです!手作りのライスボールを食べさせて下さい!」

「全く…。口を開けなさい。」

ため息を吐いたリンノに言われた通りに、瞼を閉じて口を開けると柔らかい食感ではなく、パリッとジューシーなソーセージの味が口の中に広がる。想定外な物を口に入れられて、リティアが改めて彼を見上げると、何故か満足そうな顔をするリンノ。

「猫みたいな丸い目をさせて…。ほら、食べ終わったらもう一度開けなさい。」

彼の指示通りにもう一度口を開ける。次は茹で卵の半分を放り込まれて、リティアが飲み込むまでに時間を要する間に、リンノはキッチンに行って帰ってくる。その手には、リンノのライスボールが詰められた弁当箱を持っていた。

「これを教室で食べて大人しくしてなさい。」

「ありがとうございます!」

リティアの頭にコツンと弁当箱をぶつけるリンノをテルみたいに抱きしめようとすると、顔の前に弁当箱を押し出してきて、抱きつきを阻止された。

「喧嘩の仲裁が必要なら言うんですよ。」

職員室から半ば強制的に追い出される間際、彼に耳打ちされる。どうも、今朝の事を何処かで見られていたようだ。

「怪しまれててもおかしくありません…」

「そこまで洞察力が優れているわけないでしょう。あの方に『兄妹』はいないのですよ。」

リルドはそう囁き、俯くリティアの頭を優しく撫でた。


 放課後ですら、彼女とろくに話せずに寮に戻る。喫茶スインキーに逃げられたのだ。今日一日で、ディオンの心はズタズタに引き裂かれている。昼休みにはテルに問い詰められて、放課後はハルドに。途中、リンノが入室したが、リティアが居ない事を確認して何も言わずに出て行った。ハルド曰く、かなり繊細な件に触れてしまったようで、ディオンの自己嫌悪が止まらない。寮室に戻る気力もなく、ロビーのソファに腰掛けると、遠巻きから男子生徒達の視線をもろに浴びた。それでも動けない。普段、そういう負の感情を見せない彼女からの一撃は大きかった。グレスには勝てない、分かっていた筈なのに。それでも先手を取って、本当の意味での彼女の特別な存在になりたかった。交際の流れに持っていき、その流れに彼女を乗せて手に入れた機会を自分で壊した。荒ぶる感情に身を任せて、愚かな自分の腿に拳を振り上げると、

「ディオン殿、私の部屋まで来てくれるよね。」

眉をひそめるカルファスに声をかけられた。本来ならばすぐに動くべきところだが、ディオンが項垂れると、セセリとマドンに脇から抱えられて部屋まで連行された。ソファに放られたが、動ける気がしない。目上の存在の前で晒すこの醜態。学校にすら居られなくなるだろうと、簡単に想像がついた。セセリが紅茶を、マドンがクッキーをテーブルに配膳し、カルファスがディオンを見下ろす。

「それで、リルド様の事でリティに喧嘩売ったのかい?」

「え!?え、いや。その。」

クスリと笑うカルファスに、ディオンの血の気が引いた。ディオンは、両手を懸命に振って否定する。

「冗談だよ。その感じだと、サンニィール家の婚姻関係の縛りについて知らなそうだね。」

「縛りですか…?」

彼は愉快そうに笑い、ディオンは手を挙げたまま首を傾げた。

「そう。貴族令嬢は、家と家の関係を深める為に他の貴族へと嫁ぐだろう?貴族子息もそれで相手を探すのは、貴族界隈での常識に等しい。けれどね、サンニィール家は特殊。」

彼はセセリとマドンに座るように指で命じつつ、

「あそこは、一族間での婚姻が常識。本家から遠ざけば、他の血を入れる機会もあるけれど。そこの次期長が、彼女と婚姻は有り得ないんだよ。」

そう断言するカルファスは、ティースプーン1杯のジャムを紅茶に落として混ぜる。ディオンからしたら、リティアを好いている彼が、リルドと知り合いでその話を知っていて心に余裕がある事は納得がいったが、

「あ、あの。リティアさんが想いを寄せているグレスさんって方の事をご存知ですか?」

「グレス?…その人の特徴は?」

そう聞くと、彼の眉間にシワが寄った。やはり、この存在はカルファスにとっても想定外なのか。ディオンが、1度だけ会った事があるその男性の容姿を思い出す。

「銀髪で紫色の瞳がリティアさんとよく似ております。細身の長身でして、右下瞼に泣きぼくろがありました。リティアさんの婚約候補者らしいのですが…」

「リティの婚約候補者って…」

頭を捻るカルファスにセセリが耳打ちして、彼は納得したように頷くと、

「その人、リティの親戚だね。まあ、リティが一方的に想いを伝えても、2人が結ばれるかは分からないな。それに彼は、仕事が忙しくてこの街にあまり来ないだろうから、考えてどうなる話でもないよね。」

カルファスの笑みが消えて、真剣な表情でディオンを見据える。ディオンは考えれば当然の事を言われて、余裕のない自分を嫌悪をしながら俯くと、

「これは、リティが誰に惹かれているかを悩む話ではないよ。君が彼女をどこまで大切にできるかではないのかい?難しいのであれば、私が彼女の手を取ろう。」

親身に相談を受けた人の助言が、ディオンへの宣戦布告とも言える発言をされて、ディオンは顔を勢いよく上げた。セセリが小さく息を吐き、マドンの不思議そうな眼差しを向けられたカルファスは、

「良い表情だね。それこそ、セイリン姫の従者だよ。」

何故か満足そうな笑みを浮かべた。


 青白い月が重い雲の中に姿を消した打ち捨てられた墓地で、白い装束を纏った男が高笑いをしていた。この声が届く範囲に民家はなく、もし旅人でも歩いていたら、不気味な声に震え上がったであろう。その声に応えるように、土から這い出るのは、虚ろな目をした腐りかけた人間の群れ。

「全ては、聖龍様の御心のままに!」

男の宣言に、這い出た人間達の地に響く喝采が上がった。

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