354,少女は追いかける
ダンスパーティー当日を迎えたセイリンは、ホテルの一室でディオンの手を借りて化粧をしている。街で1番大きなホテルのダンスホールを貸し切ったパーティーで、朝からホテルのシェフ達の豪華な料理を楽しむ事ができ、庶民の生徒達の朝から賑やかな声が聞こえてきていた。他の貴族令嬢よりは早く身支度が終わると思うが、それでも時間がかかる。
「紅とチークはやめておこうか。」
ディオンが筆を乗せようとしたところで、首を横に振ると、
「何を仰います。魔法士団一番隊隊長の挨拶をぼやけた顔で聞くおつもりですか?」
「しっかりと顔のパーツがあるんだ。ぼやけるものか。リティは今頃、リーフィさんに可愛くされているんだろうな…。」
彼の大きな左手で頭を固定され、否応なしに紅を乗せられてしまった。紅がズレて汚らしくなられても困る。セイリンは不満を漏らしながらも、抵抗はしなかった。
「午後からって仰ってませんでした?今は、ホールでソラ達と一緒に行動していると思いますよ。」
「…そうだっけな。それならば、急ぐ必要なかったか。」
化粧が手際良く終わり、面倒事から開放されたセイリンは、ラドから贈られたレースリボンをサーベルベルトに巻いてみた。今回の格好では、髪留めとしては難しい。
「セイリン姫、終わったなら出てきてほしいんだけどー?」
扉の向こうからカルファスの声がして、化粧品をバッグに放り込んでディオンと共に部屋を飛び出す。
「ああ、失礼した。貸してくれてありがとう、カルファス殿。」
「いえいえ。1年生だから知らなくて当然だからね。リティは、ハルド先生が手配してあったみたいだし。そちらを借りるでも良かったかもね。」
セイリンが頭を下げると、微笑むカルファス。そして後ろにガタイの良い従者マドンが控えている。今朝、全ての支度を校内で済ませようとしたが、スズランが服の装飾に興味を示して何度も覆い被さって来て逃げるように部屋を出たが、女子生徒が洗面台と姿見鏡の付近でごった返していて、ふらふらと女子寮を出たところでカルファス達に声をかけられて、今こうやってホテルの1室を使わせてもらったのだ。
「昨日リティに聞いてみたが、よく分かっていないようだった。」
セイリンが顔を横に振った。リティアは、必要なドレスを畳んで紙袋に入れて先に出発してしまったのだ。今日は、挨拶しかしていない程に彼女の出発は早かった。
「そうなのか。先生が忘れているとは思えないから、故意だね。あ、あと。」
「王女様が来られない事は既に聞いた。」
カルファスが部屋に入りながらこちらを振り返った為、セイリンも彼に視線だけで対応する。このホテルを使用して身支度している貴族が殆どだ。あまり長く一緒にいると、彼らの目につく。
「それなんだけどさ。多分ダイロが居る。気をつけて欲しい。」
「…なっ。」
鋭く目を細めるカルファスの発言に、セイリンはよろける。後ろに控えていたディオンに支えられて事無きを得たが。
「彼の従者がホールの隅にいたから、生徒に混ざっていそうだ。」
「テ、テルとソラが危ないではないか。」
カルファスから渡される情報を聞けば聞く程、足はホールに向かおうとするセイリンをディオンがその胴体を壁にして足止めする。しっかりと話を聞けと言われている気がする。
「セセリを向かわせた。けれど、早めに行ってあげて。」
カルファスがマドンと視線を交じわせてからこちらにもう一度顔を向ける。1人足りないのはそれが理由か、とセイリンも納得する。
「分かった。ディオン行くぞ。」
「承知しました。では、失礼致します。」
今度こそホールに向かう。ディオンの肩を叩くと、彼は少し距離を取ってからセイリンの後ろを歩き始めると、
「こちらもすぐ向かうから。」
カルファスの声が背中にかけられて、セイリンは軽く手を挙げるだけで返事をした。
全学年の生徒が入っても歩く事に不自由ないこの広いホールの凝った装飾を目に入れる事なく、双子を探す。見渡して視線を動かしたら先で目が合った女子生徒から黄色い悲鳴が上がっていたが、ディオンが声をかけられる分にはこちらは自由に動けるという事だ。気にせずにホールの中心部へと歩みを進めると、女子生徒達が群がってきた。これでは、彼女達より背が低いリティアは見つけられない。ディオンに視線を送ると、肩を竦められた。見つけられなかったという事か。
「セイリン様!とてもお似合いです!お芝居の中に出てくる王子様かと思いました!」
群がった女子生徒の中で誰よりも先に、メイナがキラキラと瞳を輝かせて見上げてきた。褒め言葉なのか、分からない発言をされたが、
「そうか、ありがとう。」
軽く笑顔を見せるとキャーキャーと女子生徒達が盛り上がる。動こうとすると、彼女達がより近づき、ディオンと共に身動きが取りづらくなっていく。
「貴女達、他の生徒の通行の妨げをするものではありませんよ。」
今にも凍りつきそうな冷たい口調が後方から飛んできて、女子生徒達が慌てて四方八方に弾けるように逃げていくと、セイリンの隣にリンノが並ぶ。
「令嬢たる者が何ですか、その男装は。本日、ルビネリア様がいらっしゃらなかったから良いものの、何故か上流貴族の子息が紛れ込んでいますよ。見つけ次第、教えて下さいね。」
そして説教と共に、ダイロの事を教えてくれた。
「ダイロ様がいらっしゃると聞いておりますが、リンノ先生もお探しですか?」
「それはそうでしょう。貴族だろうが何だろうが、部外者。先程、従者は外に放り出しましたが、当人が見つからない。リティアまで見つからない。万が一、拐われていたら鞭で打ち付けてやりましょうか。」
ダイロの更なる情報を求めて彼の顔を覗き込めば、泣く子も黙る程の冷たい視線。怖じ気付きたくはないが、それでもセイリンの足は竦んだ。
「勿論、打たれるのはダイロ様ですよね…?」
「リティアが、かどわすとでも?」
恐る恐る確認を取ると、当然と言わんばかりの冷めた目を向けてくる。リンノの中では、リティアを守る為にダイロを鞭で打つ、という事らしい。これは、分かりづらい。リティアとよく口喧嘩になるのも頷ける。ラドに似ているのでは…と思いつつ、
「それは絶対にないかと。リンノ先生がいると、心強いですね。」
セイリンがニコッと笑顔を向けると、リンノは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしてから、
「私はもう一度ホールを隅々まで周ります。くれぐれも、喧嘩をしないように。」
肩を竦めて立ち去って行った。彼の背中を見送る事なく、セイリンはディオンに向き直り、
「ホールから出るぞ。テルと一緒に行動しているだろうから、人が多そうな箇所にいる筈だ。」
「テルの事です。ホテルの従業員達に話かけていそうですから、そちらにも聞いてみましょう。」
女子生徒が集まってくる前にホールから退散した2人は、あの目立つ髪色を探す。リティアは小柄過ぎて人混みの中で見つける事は困難で、カルファスの従者が一緒にいるかは分からない。だったら、あの双子を探す方が楽である。セイリンから少し離れて、ディオンが近場の生徒に声をかけると、あのオレンジ色の長髪男子2人はよく目立ったらしく、目撃情報を得る事ができた。彼らの情報を頭の中で整理しながら歩くと、そこは関係者以外立入禁止の扉。
「連れ込まれたか…?」
顔をしかめるセイリンよりも先に、
「テルですよ、お願いして入ったのかと。」
彼は躊躇せずに扉の向こうへと足を進め、セイリンが慌てて追いかけた。