35,教師は混濁する
ああ、今凄く気分が良い。これだ、肉を引き千切って引き千切って、あの方が笑ってくだされば…それが俺の存在意義となる。閉じ込めた教室内を逃げ回るナマズを追いかけるハルドは、まるで水を得た魚のようだ。折角だからと、既に胴体から離した他の頭を投げつけた。頭だけのナマズは再生することもできず、ガタガタと震えているし、まだ胴体と頭がついたナマズはその頭から逃げていく。囮にもならない不用品は、靴底で踏み潰すと、骨が折れる音がボキボキと聞こえて、中身は床に飛び出した。ちっぽけな眼球は、原型を留めていない。ちょこまか逃げ回るナマズに、今度は椅子を投げこみ、机と机の間を縫うように動いていたナマズを踏むように、風で空中の椅子を調節して、確実に動きを押さえた。ニタァと笑いながら、哀れなナマズを左手で持ち上げると、身体を捻りながら胃酸を当てずっぽうに吐き始めた。ハルドの左肩にも当たり、服ごと溶け、昨夜の足の傷口によく似た傷が開き、筋肉までもが溶かされるが、痛みは感じないが、腕を動かせなくなる。ただただ無心にナマズの口の中に右腕を突っ込み、顎の骨を掴んで、頭を外す。死にものぐるいで放電するコレを顎から胴体へも引き剥がして、肉を2枚に分けた。魔石を持たないナマズは、再生することも出来ず、そのまま放り捨てられて鋭い風の刃で切り刻まれた。無様に散った肉片には目もくれず、教室を出て次の獲物を潰しにかかる。頭の再生をしない多頭デンキナマズは、既にこちらに向かってきていた、両端の頭のみ残して。
《頭を全て外したらどうなるんだろうな?》
素朴な疑問を何となく試してみたくなった。落としていた飛龍牙の片割れを拾い上げ、ナマズの右側に投げると、案の定それに向かって、左端の頭が首を右に伸ばして胃酸を吐き出す。もう片割れを左側に投げつけると、右端の頭が胃酸を吐くために、左端の頭と交差する。そこに腰に差している護身用の小剣を1つ、風で突風を起して加速させて投げつけると、ダーツでブルに的中するように鋭く刺さる。串に刺さった首が抜ける前にと、ひとっ飛びして間合いを一気に詰めた。そして、首に刺さった小剣に動く右手を伸ばし、そこから外側へ振り払うように肉を斬り、勢いを残したまま、今度は斜めから振り下ろした。スパンと美しい断面で落ちた頭は、胴体に戻らずに新たに体を作り出していく。一方、胴体は打ち上げられた魚のようにピチピチと跳ねているだけとなった。小剣を戻して落ちた頭を拾い上げれば、放電されながらも教室の壁に叩きつける。幾度となく、相手が動かなくなるまで。それに怯えて逃げようとする片割れは靴底で踏みつけ、強制的に順番待ちをさせる。1つが終わればもう1つと。その間も頭を失った本体は再生することなく、その場から移動せずに跳ねている。事が済んだハルドは、もう一度小剣を取り出して胴体を切り込もうとしたら、首を失った胴体が大口を開けて襲いかかる。犬歯がギラリと、ハルドの周りの灯りで輝く。
「ハル!!」
ラドの声が響くと同時に炎の槍が、ナマズの口の中を貫いていく。火の粉が飛び交い、内部から炭化する胴体は脆く崩れていく。槍よりも少し遅れて、ラドがハルドの隣に並んだが、ハルドは興味を示さない。
「ハル…、お前まさか。」
ラドは一歩前に踏み出して顔を覗くと、瞳孔が猛獣のように縦長になっていた。ハルドは、なんとも不快そうにギロリと睨みつける。
《…聖女は何処に。》
ハルドの問いかけに、知らないと顔を横に振って焔龍号を肉塊から引き抜き、顕になった魔石を引き剥がし、首すら動かさないハルドの横を通り、
「帰るぞ、リティア様が心配している。」
《我が聖女を探し出さねば》
全く話を聞かないハルドに向けて、ハァ~と深くため息をついたら、後ろから首に回し蹴りをお見舞いして、ノックアウトさせた。
「俺に手間を掛けさせるなよ。」
焔龍号を口に咥え、気を失って倒れたハルドを背負って、階段を降りていった。
もう消灯の時間が過ぎているが、寮母に当たり障りないのない事情を話して、セイリンと一緒にロビーで待たせてもらう。待っている間に消灯の時間を過ぎてしまい、灯りも最小限となった薄暗いロビーは、程よい眠気を誘っていた。
「眠いならベッドで眠ったほうがいいぞ。」
「ま、まだがんばれます…」
セイリンに心配されながらも、リティアは重たくなった目を擦りながらも意識を保つ。
トントン
女子寮の外扉をノックする音が聞こえて、リティアは慌てて立ち上がる。夜勤の寮母が、リティア達より先に扉を扉を少しだけ開けて対応してくれた。
「どちら様でしょうか?」
「シテンヌさん、夜分遅くに失礼します。体育教師のラドです。リティア君が待っているかと思うのですが如何でしょうか。」
「ああ、ラド先生お疲れ様です。ロビーで船漕ぎながら待っている子達のことかしら。確かに先生達の帰りを待っていますって言ってましたね。」
声かけてきますのでお待ち下さいねと、一度扉を閉め、リティアを手招きしてくれる。小走りに寮の外に出たら、スーツ姿のラドだけが立っていて、いつもの教師としての柔らかい表情を向けてくる。ホッとした反面、キョロキョロと目を動かしても、もう1人が見当たらないため、表情が沈んでいった。
「リティア君、すまないね、こんな時間になってしまって。」
「いえ。お疲れ様でした。あの」
ハルさんはと続けようとしたら、ラドは眉を下げながら中庭を指差して、
「ハルは疲れて中庭に転がっているから、もしよければ様子を見に行ってあげてほしい。」
「分かりました!」
ハルドも無事に帰ってきたことが分かり、リティアの表情はパァッと明るくなって、中庭に急ぐ。
「ああ、セイリン君は少し時間良いかい?」
「え?はい。」
その後ろから、暗にセイリンがこちらに来ないようにと、ラドが引き止めていた。リティアは、気が付かないふりをして、中庭に出れる扉をそっと開ける。外灯に照らされたベンチに、白いマントに全身を包み、至るところに大きく赤い染みを作っているハルドが横になっていた。傷に触らぬように静かに近づき、屈んで顔を覗くと、一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
「ハルさん…お疲れ様です。」
夕方みたいに精霊が傷を治してくれますようにと祈りながら、唯一素肌が出ている頬に指先で触れると、一斉に近くを浮遊していた精霊と、噴水に集まっていた精霊がリティアの指に群がった。真夏の太陽を直視しているほどの光に目が眩みそうだ。気持ち少しだけ後ろに仰け反るところで、頬に触れていた手をそれより遥かに大きくゴツゴツとした男性の手を力強く握られる。
《せ、聖女さ…ま?》
うっすら目を開けたハルドは、眩しい光の中でリティアを真っ直ぐ見つめている。眩しくて自分の事が見えないのかもしれないと思い、
「ハルさん、リティアです。お仕事お疲れ様でした。」
とりあえず、名乗ってみる。精霊の勢いも止まらず、リティアからもハルドの顔が見えづらい。
《聖女…さま…やっと貴女様に…》
「??ハルさーん、リティアです。寝ぼけておられます?」
《…》
突然手を離し、ガバッと上体を起こしたハルドは、左腕が痛むのか、起き上がってすぐに右腕で押さえる。パッと笑顔を作ったが痛みに耐えるように顔に不自然な力が入っている。
「あ、あ、リティか。ただいまー。」
「はい、おかえりなさい。」
リティアは、ベンチの空いたハルドの左のスペースに座り、祈りながらもう一度。今度は痛そうに押さえる左腕の上腕に触れる。痛いところに触れたのかもしれない、ビクッとハルドの腕に力が入る。リティアは手を引っ込めようか考えたが、そのまま触れ続けると、先程のように精霊が集まって眩い光を放ち、その光が落ち着くまでは、痛みに耐えるハルドに我慢をしてもらった。リティアは、腕に集まる虹色の精霊をぼーっと眺める。これはセイリンちゃんには見えないんだろうな…と密かに考えながら。