346,少女は声が重なる
ラミアの体内から炎が吹き出し、その肉体が炭に変わると、カランと黒い魔石を落とした。リティアは、それを拾い上げてポケットにしまうと、今度はジャックと向き合う。首を自分で絞めている事に気がついてなさそうなその手に触れる為、焔龍号から左手を離すと、焔龍号自体が手の中から消えて、代わりに傘がリティアの手元に降り立つ。改めてその傘を差しながら、ジャックに優しく声をかける。
「大丈夫ですよ、怖いラミアは倒れました。ジャックさんを助けに来ましたよ。」
彼から声は返って来ないが、リティアは気にせずに彼の手に触れた。リティアの手へジャックの体内の暴れる精霊が吸い込まれて、傘が真っ白になる程に光り輝き、その精霊達に何かを言い聞かせているように思える。少しすると、暴れていた精霊が、空間に浮いている精霊と変わらないくらいまで光が落ち着き、リティアの手を通ってジャックへと返っていく。この循環をどれだけしたかは定かではないが、ジャックの手は少しずつ首から離れて、表情も穏やかになってきた。両手がその首から離れると、彼の顔がこちらに向き、一粒の涙を零す。ジュッと音を立てて蒸発した涙は大雨となり、ジャックはその雨に打たれ、リティアは傘を彼へと差し出し、
「お疲れ様でした!さあ、ハルさんのところへ帰りましょう!」
彼が立ち上がるまでその場で待つと、
「ありがとう、聖女様。麗しのジャックちゃんも、ずっと守ってくれてありがとう。」
テルみたいな無邪気な笑顔を向けてくれた。ジャックが立ち上がり、リティアに手を差し伸べると足元が崩れ始め、本の終わりを告げていた。
リンノに扉を叩かれて叩き起こされたセイリンは、気になる男性の必要最低限の物しか置いていない部屋を飛び出す。この手に渡された本をリビングのテーブルに置いて寝てしまったらしいが、全く記憶にない。だが、持って昇った記憶もないので、本当に忘れてしまったのだろう。リビングへと降りると、見知らぬ赤髪の男性が放心状態でカーペットに座り込んでいて、リティアとラドはソファで瞼を閉じていた。リンノは、そんな彼らに珈琲を淹れると、バタバタと外へと出て行ってしまう。セイリンは、最早蚊帳の外。リビングの3人の様子を伺いに、音を立てないように近づくと、
「セイリン、よく我慢できたな。」
「…!ラド先生、おかえりなさい。ぐっすり眠ってしまいました。」
薄目を開けたラドの隣に座ると、頭に手を乗せられた。
「どんな形であれ、我慢したお前は偉い。戦闘中に入ってくるのではないか、とヒヤヒヤしていたからな。」
「いくらなんでも、丸腰ですから…。ディオンやリティみたいに、武器を呼び出す事もできませんし。」
ラドに褒められたという事実が嬉しい反面、呼び出せる武器が欲しいと思ってしまう。新調したばかりだというのに…。
「ラドー?いるー?」
「…ああ。」
ソファの後ろから聞こえた少し高めの男性の声に、ワンテンポ遅れてラドが返事をする。
「生きてるー。」
「明日までここにいろ。ハルドも帰ってくる。」
面白い一言に対して、全く会話をしようとしていないラド。相手も怒る雰囲気もなく、
「うーん、ありがとう。でも、帰らないと。」
「その状態で、王都へは帰れない。今更数日遅れても、誰も怒らない。ハルドの為にもここにいろ。」
短調に話す。そして、やっと何となく会話になり始めた。ラドは、同じ事しか言ってないのだが。
「先生、この方がジャックさんですか?」
「ああ、俺の兄だ。」
リティアが助けようとした男性なのかと確認をしただけで、ラドから新たな情報をぽんと渡され、
「え、えええ!?」
「外まで音が漏れてしまいますよ。腹ペコジャック、飯です。」
セイリンが驚くと、リビングに紙袋が投げ込まれた。リンノだ。ラドが一袋手で掴み、ソファの後ろでも手が上がり、飛んできた紙袋を受け取り、
「天の恵みー。」
喜ぶジャックがガサガサと紙袋を開ける音がして、
「その紙袋の中は、全部貴方のパンです。平らげてしまいなさい。」
「珍しく、優しいリンリンー。」
リンノが肩を竦めながら入ってくると、バターの香りを漂わせて食べ始めたジャック。
「その呼び方はやめろと、いつも言っているでしょうが!」
ガー!と火を吹くかのように怒るリンノは、セイリンの驚いた声とあまり音量が変わらず、
「ひぃ!?」
目を覚ましたリティアの一言目が、恐怖に怯えていて、リンノが慌ててソファの前で膝をつく。
「リティア!無事ですか!?」
「リンノさんに怒られました…」
リンノの手がリティアの頬へと伸ばされ、まだ寝ぼけた声で話す彼女。セイリンがリティアの顔を遠目から覗き込むと、彼女はブルッと震えていた。
「いえ、貴女を怒ったわけではなく!とにかく無事で良かった。私のリーフィ。」
「それは違うと思うんですが…」
リンノが指で彼女の涙を掬うと、リティアがむくれる。確かにリティアは、リーフィではない。何故、リンノがそんな事を言うのか、が理解できないが、どこか安堵した表情が印象的だった。
「俺を助けてくれた聖女様は、リティアちゃんって名前で合ってるー?」
「そうですよ。けれども、彼女に関しては何も言わない聞かないを徹底して下さい。」
後ろからまたジャックの声がして、リンノが答える。しかも、何も聞くなと脅すという怖い状態なのだが。
「分かってるよ、大丈夫。ハル君に首を落とされたくはないからね。」
ジャックが納得してからの発言もかなり物騒。ハルドは、どんな風に脅したのかが逆に気になる程だ。リンノがパチンと手を叩き、
「貴方は飯食べて、すぐに休みなさい。リティアは落ち着いたら帰りますよ。」
「分かったー。」
「分かりました。」
ジャックとリティアの声が重なり、2人から小さな笑い声が溢れた。
王国魔法士団一番隊隊長室では、ハルドとリルドが不穏な空気を醸し出していて、リグレスが入室するのを躊躇した程だ。
「アリシアに口止めされたから報告しなかったって、子どもの言い訳かな?」
「リルが、リティを害したいのであれば、すぐに報告したさ。しかも口止めされたのは、俺じゃない。可愛いリティだ。彼女の頼みを聞けないような人間には成り下がりたくはない。」
リルドが怒っている内容は、アリシアが入学して間もないリティアと接触した事をハルドが報告をしなかった事についてだ。ハルドも負けてはいないというか、このままいくと…ハルドがねじ伏せる形になる。
「どう言おうが、それは報告義務違反だぞ?」
「リルド様、扉の外でリーフィが待ってます。」
ミシミシとテーブルを割りそうな勢いのリルドに、リグレスがすかさず声をかけると、
「あ、ああ。ごめん。入れて。」
「お取り込み中のところ、すみません…。」
我に返ったリルドが、ニコニコと笑顔でリーフィを迎え入れると、すっ飛んでいくのはハルド。
「あ!可愛くなったねー!凄い!垢が抜けたって感じ!ナチュラルにリップも色つけて、さり気ないオシャレが上手になったね!出先でこんな可愛いリーフィを見かけたら、絶対に声をかけたくなってしまうよ!」
甘やかすってもんじゃない。ハルドの笑顔を向けられただけでなく、このべた褒めの嵐で、
「あわわ!?ハルドさん、ありがとうございます…」
リーフィの顔はうっすらチークも分からないくらいに見事に茹で上がる。リルドの嫉妬にも近い眼差しが、ハルドの背中に刺さっているのをただ壁側で眺めているリグレスだった。