337,少女は結果を待つ
調合室であれだけ話が脱線していたが、去り際のリンノはリティアへこう言った。
「数日待ってて下さい。貴女がご所望の3人を崩しておきますから。」
かなり不安になる発言だったが、とりあえず結果を待ち続けて土曜日になった。いつも通り、早朝の調合室へと足を運ぶと、
「…」
重苦しい空気が漂っていた。隣のセイリンは、筋トレがてら抱き上げていたスズランを静かに床に降ろし、目の前の状況に警戒する。既に調合室に居るのは、教師であるハルドとリンノ、そして笑顔の裏に闘志が見え隠れするディオン、目を伏せたカルファスと、ディオンを見据えるセセリとマドンだった。
「み、皆さん、おはようございます…」
ただ立っているわけにもいかずに慎重に声をかけると、ハルドがニコニコと手を振り、リンノのドヤ顔、ディオンも笑顔を向けてはくれたが、すぐにカルファスに視線が戻る。これでは、教室に入れない。
「じゃあ、そろそろディオン君は退出で。彼らと話をつけるから、セイリン君と待ってて。」
「リティアさんの事ですよね?何故、私が同席してはいけないのですか?」
ハルドがディオンへ歩み寄ると、退くつもりのないディオンがハルドに首を傾げてみせる。その圧力が凄く強くて、見ているだけでリティアの全身に力が入ると、セイリンが肩を落とす姿が視界の隅に映った。
「リティアの決定が全てだし、この件には裏で糸を引く人間がいる事を彼女も既に知っているんだよ。ねぇ、リティ?」
「名前を挙げる事は伏せますが、はい。第一に、皆さんが私の命を狙うとは思えません。リンノさんだったら分かりますが。」
まあ、ハルドが負けるわけがない。あくまでも穏やかな笑みでリティアに話を振ってきて、リティアもウンウンと頷くと、
「ね、狙ってませんから…。何かもう、この顔にした親に一言二言文句をつけたくなりますよ。」
「アッハハ!!リンノは、楽しい子だねー!」
リンノが額を押さえて、愉快そうに笑うハルドに、ディオンの瞳が丸くなってハルドを見上げた。空気が緩んだこの瞬間に、セイリンがズカズカと教室に足を踏み入れて、
「嫉妬は見苦しいと言っているだろう!」
「これは嫉妬ではありません!純粋に心配なのですよ!」
ディオンの耳を引っ張ると、彼も痛みに顔を歪めつつも抵抗する。
「リティを守るハルド先生に嫉妬しているようにしか見えないが?」
「そ、そういうわけでは…イダッ!?」
セイリンの手が彼の耳から離れると、その手で頭を引っ叩いた。そして彼女が大股で退出すると、大慌てでディオンが追いかける。リティアの隣に足を進めたセイリンに肩を軽く叩かれ、
「健闘を祈る。何かあったらすぐ叫べよ。」
「セイリンちゃん、ありがとうございます。」
ニコッと笑顔を向けてきた彼女にこちらも笑顔を返して、調合室に入って扉を閉めた。
まずは椅子に座り次第、カルファスへ本のお礼を言わせてもらい、そこから今回の件について聞いたが、
「ごめんね…」
謝るだけで答えてはくれない。ハルドとリンノはとりあえず静かに見守っているだけだが、流れによっては2人の加勢が来そうな雰囲気はある。リティアは少しだけ考えてから、
「分かりました。これ以上は聞きません。けれど、いつか皆さんの口から聞けるって信じております。」
「ありがとう…本当にごめん。」
聞く事をやめても、カルファスは目を合わせてはくれない。
「謝られるような事をされた覚えもありませんよ。私、死ぬ気はありませんので!それに相手に知られてしまった以上、カルファスさん達も動けませんよね…?」
彼がこちらを見てくれていなくても、リティアは彼らへと微笑み、そして確認を取ると、
「あっ…そ、それは…。」
「良いんです。諦めて、とりあえず当面の間は大人しくしてて下さい。」
返答に困っているカルファスへ、リティアから命令という形を取らせてもらった。
「どういう意味だい?」
「機会を見計らうって事にして下さい。後ろで指示をしたのが誰であっても、私は初めて出来た友人が苦しむ姿を見たくありませんから。」
彼が頭を捻る中、リティアは自分の正直な気持ちを伝える。ハルド達やセセリ達は、2人のやり取りを静かに見守っていた。リティアは悩みながらも提案をしてみるが、
「こういうのを考える事は、得意ではありませんけど、隠されてきた存在を消すのは簡単かと思います。けれども、その存在自体が他人の目につけば、暗殺を企てる事って難しくなると思うんです。どうでしょう?」
「…それには賛成できないな。要はリティの名を世間に広げるって事だよね?」
ハルドの首が横に振られて、リンノの眉間にシワが寄る。カルファスの反応もあまりよろしくない。
「そ、その、間接的で良いんです。カルファスさんの学友に大型魔獣を倒せる人がいる、って感じで如何ですか?王国団の人でも良いんです。ここに目を向ける人間が増えれば、叔父達は動きづらいと思うんです。」
「リティア、それが広まって困るのは貴女でしょう。一族の苗字が広まったら、ここから追い出されますよ。」
リティアが必死に食い下がってみたが、リンノからも却下されて、
「それは、そうですよね…。良い案だと思ったのですが、残念です。」
リティアは恥ずかしくなり、両手で顔を覆った。絶対に顔は赤くなっている…。ここで遂にセセリが口を開く。
「そ、そこまでして、何故私を守ろうとするのですか?」
「それは先日もお伝えしましたし、今もお伝えした通りですよ。誰かの掌の上で転がされているだけです。彼らをどうやったら欺けて、どうやったらこちらから打って出られるのか…。ハルさん…。」
顔を覆いながら話すわけにはいかず、セセリを見上げ…ハルドに助けを求めると、
「頑張って考えているのは分かったよ。魔獣に関する知識はあっても、人間相手だとね。難しいよねー。さて、俺から質問させてもらうよ。カルファス君、偽りなく答えて。期限はいつまで?」
「じ、自分達が卒業するまでです。」
リティアに代わってハルドが質問をして、カルファスも答えにくそうではあるが、彼の目を見て答えた。
「じゃあ、リティが卒業するまで留年させてあげようか?」
「そ、そういうわけには!」
ニィッと口角を不自然に引き上げるハルドに、身震いするカルファスと、顔を青くするマドン。セセリは表情を変えずに見据えるだけ。
「ハルド殿、横暴過ぎませんか?」
「これは、揺さぶっただけ。本題はここから。今回、セセリ君は全ての罪を自分で背負って2人を守ろうとしたね。それで本当に守れると思ったのかい?」
リンクの眉間にシワが寄ったままでハルドに目だけを動かすと、ハルドが小さく息を吐いた。
「だ、駄目だったでしょうか?このセセリの失態で、一度仕切り直しの命令が来ると考えたのです。」
「俺なら、他の2人に疑いがかかるまでに殺せって命令するか、自分から乗り込むよ。」
セセリの考えに、ヤレヤレと肩を竦めるハルド。
「浅はかでした…」
セセリの表情は崩れて瞳を潤ませる。
「まあ、まだ時間はたっぷりとある、だろ?相手の総崩れを待ってからでも良いんじゃない?」
ハルドがパチンと手を叩くと、一瞬でお茶会の準備が終わる。リティアの鼻を掠める紅茶の香りと、机には1冊の本が置かれた。
「どういう事ですか?」
「それは君達が教えてくれないのだから、こちらも教えないよ。まあ、あれだ。」
カルファス達の声が重なると、ハルドは愉快そうに笑い、
「可愛いリティに迷惑をかけたんだ。奉仕してくれるよね?」
その笑顔は、こちらに有無を言わさない程の圧力を醸し出していた。