33,教師は落下する
戦闘あり。緑の血にご注意を
ラドは、この無人の通路に確かに灯りを配置していた。だが、後方を確認すると何もない。漆黒の中に飲まれていた。しかし、手元に置いていた灯りはここで役目を果たしている為、このまま進んでいく。何度も調査をしている校舎だ。構造は頭に入っている。しかしぼんやりと映る先の通路は、見たことのないポスターが貼られていた。
「生贄にはより精霊に近しい者を」
ただの文字ではない。魔法士のみが読むことのできる『精霊文字』で、高次な古代魔獣も読めたと言われているものだ。どうも最近になってこの校舎の変異が急速に進んでいる。何かしらの種がまかれていたのか、それとも、条件が揃って目覚めたのか。これに関しては調査を進める必要がありそうだ。昨年からここに配属されて討伐を行っているが、多頭デンキナマズのような大型魔獣は、この校舎に存在していなかった。空間に捻れが発生しているようで、両端が段々と歪んでいく通路を歩き続ける。ラドも用心深く見渡しながら進んでいくが、先程のような精霊文字が書かれたところは今のところなさそうだ。永久に続きそうな一直線の通路に終わりがくる。曲がり角に差し掛かり、歪んだ壁には触れないようにしながらも角より先を警戒しつつ、向こう側を確認した、そしてたった今、曲がった先に黒い塊が浮いている。目の前に発生した、闇を吸収したかのように形を保ちきれない頭が3個ついている狼、ケルベロス。それが黒いモヤが集まって形を成しては、散らばる。
「原型を留められないほどに産まれたてか。これは先手必勝だな。」
ラドは、焔龍号を左手で遊ばせながら支え、左足をぐっと踏み込んだタイミングで、柄尻を右手で押し出す。ケルベロスのモヤを突き刺しながら、炎の渦を発生させると、モヤが散布する。手応えがまるでない。モヤがまた集まり始めたところに、焔龍号で突き刺すが、風を斬る音のみが聞こえて、モヤはまた散り散りになっていく。
ポタ…ン…
頭上から1滴の生温い液体が落ちてくる。それは粘度があり、絨毯が敷かれていない大理石の上で落ち着いている。ラドがぐいっと天井を見ると、
天井に影のような狼の顔があった
舌を出して、涎を垂らし、大口を開いた。考えるより先に身体が反応する。飛び跳ねるように顔よりも後方へ下がると、勢いよく落ちてきた本物のケルベロスの顔が床に突き刺さる。すかさず、焔龍号を突き刺さすと今度は緑色の血が噴き上がった。肉から抜く際に、真っ直ぐに抜かず、切り口を広げるように斜め下に引き抜く。
「ガアアア!!」
ケルベロスの頭が1つ、うめき声を上げると、もう1つが床から顔を出した。開いたままの口から、ドボッと、大ヒルが生み出される。炎の玉を連射させ、ヒルに貼り付かれないよう応戦する。このヒルは、厄介だ。全長2mほどあり、相手の動きを制限して、身体の血をすべて吸い上げるまで離れることはない。無理に剥がすと、毒牙が肉に食い込み、死に至るのだ。大事を避けるためにも貼り付かれないことが1番だ。連射した玉がヒルの体に穴を開けて、ケルベロスの顔のそばに転がると、天井のケルベロスかその死骸を食べていく。食べ終われば、またヒルが産み落とされる。もう一度連射させ、ケルベロスの顔を動かさせる。グググッと、天井から首を伸ばしたところを、ラドがその首に突き刺すと、緑色の血が噴き出し、ごとんと首が落ちた。またその首を床にいるケルベロスと、壁から出てきたケルベロスが食す。食事中の頭達も引き裂き、次は上から大ヒルが落ちてきた。天井を見上げれば、またケルベロスの頭がある。こちらにずりずりと近づいてくるヒルをゴルフクラブのように焔龍号をスイングして弾き飛ばすと、床にいたケルベロスの傷口に吸い付く。貼り付かれた頭はヒィィィンと情けない声を上げながら、その顔の水分が干からびるまで吸われ続ける。再び天井から落とされるヒルは、焔龍号で叩き落とし、ゴムボールのように跳ねながら、既に食事を始めているヒルに貼り付く。ヒル同士の共喰いが勃発した。
「きりがないな…」
無限に現れるようなケルベロスの頭と大ヒル。食われれば、再生を繰り返す。心臓部でもある魔石を奪わなくては、消耗戦だ。チラッと後方を確認すると、今にも消えてしまいそうな小さな光が、随分と遠くに見える気がする。魔石か?それとも魔獣か?この状況を打破できるのか分からないが、とりあえず次なる進展を求め、その場から走り去るように光に向かった。その間も己の後ろで、ポタンと涎が落ちてくる。壁を並走する頭もある。天井の頭が襲いかかってきた。焔龍号に炎を帯びさせ、口内を焼き尽くす。動かなくなったそれをまた食す他の頭。終わりの見えない通路をひたすら捕食されないように走り続ける。これほどまでに気配を感じられない魔獣とは何なのか。この校舎はやはりおかしいのだろう。応戦しながら走り続ければ徐々に光が大きくなり、結構近づいてきたように見える。もう少しで手が届くか?と、手を伸ばせば目の前にあった光は消え、通路の曲がり角に出くわす。その間も体勢を立て直した頭は追ってきていて、残念ながら教室の扉もなく、他に道は見当たらない。減速せずに左に曲がると、5つの光がその先に見えてくる。しかし、先程のような心もとない光ではない。あれは、
「ハルドの灯りか。」
どうもケルベロスを引き連れて、デンキナマズに出くわすようだと、冷や汗が滴り落ちた。
《※※※》
唐突に鈴のような耳触りの良い声が、脳内に響き、途端に、足をつけていた床が消える。ラドの身体はバランスを崩し、瞬く間に落ちていった。落下中でも、決して焔龍号を離さず、空中で身体を捻りながら落下体勢をある程度整える。足から着地出来るように微調整しつつ、着地の衝撃に備えた。しかし、待てど暮らせど衝撃が襲ってこない。足元を目を凝らしてみる。落下し続けているのは確実だが、終わりが見えない。下方は漆黒のみで何もなかった。新手か…さてどうするか。このまま落下し続けて、最後はどうなるのか、1階の床にぶち当たるわけではないのはよく分かった。空間すらも捻じ曲げる変異は、この校舎をどうするつもりなのだろうか。そんなことをうっすらと考えながらも、焔龍号の剣先に炎を発生させて、下方へ投げつける。火の灯りがあっても周りを映し出さないようで、飲み込むような闇が広がっているようだ。
「ガアアアア!!!」
獣のうめき声が下から聞こえてくる。まさか。
「ご本体とやっとご対面のようだ。行くぞ、相棒。」
ラドは剣先を下に向け、それに合わせるように自らの身体も回転させて、落下攻撃態勢に変更する。剣先から発生させた炎の渦は、ラドの身体をも飲み込むほどの巨大なトルネードを作り出した。落下速度が加速していく。それに便乗するように、トルネードと威力を増す。
「ガアアアアアアア!!」
大口を開けながら、今度こそ本体がラドを飲み込むために首を伸ばす。ラドは避けることなく、そのままの勢いで口の中に飛び込んだ。喉の奥から発生し続けている大ヒル諸共、トルネードの餌食にする。ラドの火の粉が飛んだヒルからジュッと焼け、炎そのものに触れたヒルは炭と化した。喉仏に差し掛かった直後、食道より溢れ出した液体の波に飲まれて、外に放り出された。ラドを取り巻いていた渦は鎮火され、ラド本人はごわごわな毛の上に着地する。吐き出された液体は、鉄臭い。手応えを感じたラドは、毛皮の上から本体を刺す。ブシュッと緑色の血を全身に浴びた。
「装甲はないのか。では…」
焔龍号を刺したまま、身体の重心を移動し、振り上げて厚い肉を引き裂く。ケルベロスが痛みにもがけば、簡単にラドの身体は宙に浮く。浮いたところで、炎を全身に纏い、出来るだけ風の抵抗を受けないように焔龍号に沿うように身体を線のように縦長に使う。落下速度が上がるほど、火力が上がり、ケルベロスの胴体を貫通した。ラドは、燃え上がらせたまま、焔龍号を地面から引き抜き、体内で弧を描けば、流れる血を干上がらせ、肉を炭化させ、目的物までの視界を照らす灯りとなった。今の火力を維持した状態で、焔龍号で肋骨を跳ね上げ、中心に繋がった心臓部、黒い魔石を左腕で荒々しくもぎ取った。