325,教師は札を掛ける
ソラの疲労困憊を理由に寮に帰ってもらった後は、職員会議に参加してある程度の雑務をこなしてから、次の行動に移る。リンノは、今のところはこちらの指示通りに動き、ゴーフルにリティアが抜き取ったチップを見せて、もう少し分けてもらえないかと打診してくれている。ラドは、ミィリから生徒達の様子を聞きながら、騎士を招く日の調整をしていた。ハルドはというと、校長室に招かれ、
「君の妹として可愛がっているリティア君がね…」
校長に今朝の話を聞く流れになった。期末試験時から校長の事を警戒していたハルドだが、ゴーフルへの指示書の中に名前があった事で、少しだけ警戒を解いていた。彼の世間話を聞きながら頭は別の事を考える。それにしても、リティアの機転の利き方は目を張るものだ。ハルドのやろうとしていた事を理解した上で、書き写すだけに留まらず、偽物をそれっぽくして本物と擦り替えてしまうとは。チップをたった1つだけ抜き取って、更に次の行動への足掛かりとする。これで、攻撃魔法に長けていたら、是非一番隊に入隊して欲しいとまで考えてしまう。校長が行方不明になった生徒達を案じていると主旨の長話を聞き終えると、
「ハルド殿、こちらをもし宜しければ。」
校長から渡された物は、綺麗な模様が描かれた紙に包まれた手帳だった。彼の目の前でパラパラと捲ると、女性らしい字で日記のように記されている物だ。『帰りたい』『会いたい』、そんな言葉ばかりが書かれている。
「これは?」
「恐らくは、シャーヌ君のかと思います。毎日ではありませんが、気が付くと文字が増えております。あの失踪以来、被服室に置いてあったのですが、この怪奇を見た教師が失神しましてね。それからずっと、私の机に仕舞っておりました。そうしたら。」
ハルドが見ていたページから、校長がもう数ページ捲ると、ここ数日前の日付が書かれた箇所が出てきた。
「『マークが、母の身代わりに大鎌切の鎌に飛びついた』、『大鎌切はソラを食べたがってたのに、テルが変装して大鎌切を欺いた』。まさか。」
「見ての通りです。まだこの後も書き加えられるかと思います。」
新しいインクの匂いが鼻を掠める。どうやってか分からないが、彼女はずっとこの手帳に書いているようだ。
「保管しておいて下さり、ありがとうございます。」
「いえいえ。私ではなく、シャーヌさんにお礼をお伝え下さい。」
柔らかく微笑む校長に、
「絶対に見つけ出します。」
敬意を表し、ハルドは深々と頭を下げた。
調合室ではなく、教師3人は喫茶スインキーの扉を叩く。席につくと、可愛らしいフリルのエプロンを着た…
「リティ!?セイリン君まで!」
「シャーリーとテルの代わりに手伝っているんです。リティが発案しました。ディオン達も厨房に居ますよ。」
制服の上からエプロンを着るセイリンは、人気があるようで他の席の客でも、特に女性客からひっきりなしに呼ばれていく。リティアに関しては、
「可愛い子ちゃん、珈琲のおかわり頼むよ!」
下心丸出しの中年男性に呼ばれて、リンノの冷淡な眼差しをもろに受けた中年男性が喉を鳴らしていた。可愛い生徒達が何でここに!と、頭を抱えそうになるハルドの隣、ラドの視線は只管セイリンを追っていて、彼女が傍を通る時に、
「おい、ソラはふらついていないか?」
珍しく他人の心配をしていた。セイリンの視線がラドとしっかりと交わると、無言で首を横に振った。という事は、彼は無理をしている。それでもここに来たという事には、彼なりの理由がありそうだ。ハルド達も夕食を摂りながら、最後の客が帰っていく姿を見届けてから、扉の外側に素早く「CLOSE」の札を掛けた。これで、メンバーは今朝のまま。リティアの声で、寝ぼけているシャーリーが降りてくる。ソラは、ディオンの肩を借りて手近な椅子に座り、セイリンとリファラルが、軽食と珈琲をトレーに乗せて運んできた。
「改めて聞くよ。皆、どうして休んでくれないのかな。ここに来た理由は何だい?」
「調合室から出たソラに、クラスメイトに追いかけられているって相談されたのです。そこで、リティアさんがこの話を持ちかけて下さったので、そのまま外出届を提出して、ここに至ります。」
ハルドの質問に答えたのは、ディオン。今から夕食である生徒達とシャーリーは、パンを口に運んでいる。
「今日のリティは、冴えているんだね。」
「リティア、変な客は来ませんでしたか?髪の色が混ざっているとか。」
ハルドの苦笑に被さるように、リンノが眉をひそめながらリティアを心配する。善人ぶっている様子にイラッとくるが、リティアに怖がる様子がないので、ここは堪える。
「えっと?」
「いや、見ていないな。ただ、私がラド先生と酒場に行った時の店員が食べに来てて、しきりにリティに話しかけていたみたいだけど。」
首を傾げるリティアの代わりに、セイリンが見たものを説明し始めると、
「確か、デーティさんでしたね。凄くお優しい女性でしたよ。蛇さんを連れてて、可愛いですねって言ったら、『あんたさんなら、この可愛さを分かってくれるとおもうてたわー』って仰ってました。」
「おい、セイリン。あいつは何もしなかったか?」
思い出したようにリティアが笑顔で話し始めて、ラドの眉間にシワが寄った。
「ええ、とりあえず危害を加える動きはなかったかと。」
「彼女は、今のところ警戒する存在ではありませんよ。それよりもこの後の動きを練りましょう。」
ラドの視線を受けたセイリンが頷くと、パッとリファラルが手を挙げた。
勿体ぶる必要はない。校長からもらった手帳を皆に見せてまわる。ソラは、次の言葉が書かれるのを凝視しながら待っていたが、学校から持ち出したのだから、それはない筈だ。だが、リティアが手帳をハルドから受け取った瞬間に空気が震え、魔法士達が周囲を警戒する。
「あんなー、声聞こえる?」
「はい、デーティさんですよね?」
外側から窓にその姿を映す傷んだ茶髪の女、デーティ。リティアは彼女に微笑むが、シャーリーが、ガタンといきおいよく立ち上がり、セイリンもラドも腰を浮かす。
「怖いわー。今は何もせんけ、私の話を聞きんしゃい。」
「はい、信じてます。」
デーティにやはり微笑むリティアに、ラドの表情が険しくなる。
「あの意地汚い大人共の中に放られても、良い子に育ったんね。おばさんは、嬉しいけん。んじゃま、本題。まず、ラミアの増殖についてだ。」
訛が入っていたデーティの言葉が、突然標準語になり、
「この後突入しても、ラミアは数を戻しているから少しだけ待て。私の飼っている蛇達に喰わせるから。」
「どうして知っている?」
旧校舎は愚か、学校にすら招かれていない女の言葉に、ハルドの身の毛がよだつ。コトンとカップを置いたリファラルが口を開き、
「私が頼んだのです。あのラミアは、倒しきれないと判断しましてね。」
「そういう事だ。心優しい店主のうまい飯を喰わせてもらったから今回はね。」
ニマッとデーティが笑う。数本前歯がない口だった。
「時間がないから話を続けるぞ。まず、リティアって嬢ちゃんは、血筋的に近くない相手の手を取るんだ。親戚と動こうとしたから、旧校舎に拒絶されたんだろう。あんたの血は、希少価値があるだけでなく、旧校舎の仕組みをブッ壊す危険性を波乱でいるんだ。それは親戚も一緒だろうな。」
こちらの言葉を待たずに話を続けるデーティは、ハルド達が生徒達には絶対に言わないような情報まで流してくれる。ハルドの拳に力が入る。こんなところでリティアの身元が暴かれる事は危険過ぎる。ハルドの拳に気が付きながらも、
「あの校舎内の魔獣は、その血を求めて活性化する。あんたは、最初から旧校舎に呼ばれていたんだろうね、本当に災難だ。」
デーティは、首を傾げるリティアを哀れんだ。