322,少女はくすねる
リティアの読み通りだった。ゴーフルの机の引き出しから、この両手に溢れんばかりのチップと、それが包まれてきた茶封筒が出てきた。リティアが直接触る事は許されず、リンノが音を立てないようにハンカチの上に乗せていくと、最後のチップ共に1枚の手紙が落ちてきた。リティアに見えるようにリンノが開くと、そこには日時と場所が細かく指示され、消す人間の名前が羅列されている。
「セセリさん、ハルさん、セイリンちゃんまで…」
信じられない。声が漏れないように口を押さえて涙を流すリティアの頬に、リンノの袖が触れた。拭ってくれるらしい。
「御自分の名前をすっ飛ばさないで下さい。」
「わ、私は死ぬ気ありませんから。リゾンドさんの仕向けた郡民コオロギのキングも倒しましたし。」
眉をひそめる彼の表情は、この2日で見慣れてしまった。こちらの身を案じてくれるのだから、驚きはするが。
「…父が仕向けた?」
「はい。声も聞きましたよ。」
眉間のしわがくっついて離れなくなりそうな彼。リティアは、至って普通に答える。どうせ、信じないとは思うが、こちらが隠す必要もない。
「そ…そうですか。私は初めて聞きましたよ…」
「ここの名前ってまさか。」
ブツブツと呟く彼の独り言には興味を持たず、リティアは手紙の差出人の名前を指差した。
「これに1枚噛んでいるのでしょうね。魔術士団団長でありながら、恥ずべき行為です。」
「…名前を勝手に使われているだけではないでしょうか?」
リンノの眉が片方上がり、唇を噛むもんだから、リティアが触れて精霊を集めて止血すると、丸い目を向けてくる。こちらが、気になる事を口にすると、
「おや、虐げた相手を庇いますか?私の事は、責め立てたのに。」
「庇うつもりはありませんが、筆跡が異なる気がしません?」
昨日の事を根に持つリンノをスルーして、首を傾げてみせると、彼は手紙に目を近づけた。
「そう言われれば、確かに。これは良い証拠になりそうですが、奪えば、ゴーフルにバレてしまうでしょう。」
「昨日の記憶消去をゴーフル先生にできませんか?この該当部分だけとか…」
納得した彼に、ディオンの記憶消去した時のように頼んでみたが、
「あれはそこまで有能な魔法ではなく、直近のモノだったから封じられたのです…。彼が頑張ってしまうと、何かの拍子に思い出します。」
「わ、分かりました。では、同じような紙を用意して、上からなぞってしまいましょう。」
彼に肩を竦められて、リティアは代替案を出す。
「え。」
「本物は、こちらが頂戴します。ゴーフル先生が違和感を覚えなければ良いんです。その間に、リンノさんはあの危ない煙を止めに行って下さい。」
茫然とするリンノを放置して、あちらこちらの机を勝手に触らせてもらうと、ハルドの用意周到さにリティアは喜ぶ。彼の机の引き出しからは、紙が入る程の大きさのクッキー缶があり、それを開くと全く同じ紙とインクが出てきた。そして、それは既に写しが始まっている。あとは、リティアがこれを完成させれば良いのだ。
「ハルド殿も怪しんでいたのでしょう。致し方ありませんね。手際良く終わらせて、彼らに加勢しますよ。」
「よろしくお願いします。」
ルンルンでその紙をリンノに見せると、彼は小さく息を吐いて職員室の扉へ向かう。
「全く、貴女に良いように動かされている感じが気持ち悪くて堪らない。」
「それでも、してくださいますよね?」
また眉をひそめる彼に、可愛いらしく微笑んでみると、
「勿論。罪なき民を守らねば。他の教師に見つかりませんようにお願い致しますよ。」
肩を竦めながら出て行った。案外、彼と話せる自分を自分で褒めてしまう。よく頑張りました!綺麗なハルドの机で、早速なぞってからインクを乾かす段階で、ふと閃く。木製のチップを1つだけくすねて、スカートのポケットに入れてしまう。このまま嗅いでも臭いはしないが、人を苦しめられる程の威力を持つブツだ。魔獣にも効くかもしれない。インクが乾いたら、同じように折り畳み、畳んだ折り目を爪で傷つける。読み古した感じを演出する為だ。2人の机をあるべき形に戻したら、本物はリティアのポケットに。そして、リンノが戻るまでの時間、簡易的なキッチンの魔石に触れて精霊に入ってもらっていると、校長室から先程の男性が出てきてしまい、リティアと目が合う。
「あ、貴女、こんな時間に何しているのですか?」
「えっと。」
問い詰められると、咄嗟に言い訳が出てこない。この時間に生徒が、しかも職員室に。おかしい事は誰でも分かる。だから、
「ゆ、ゆっくり話し合おうって、リンノさんに言われて…待ち合わせてました。」
昨日の例のアレを使わせてもらう。すると、男性は驚きながら、
「ああ…。リティア君でしたか。しかし、何故キッチンに?」
「早い集合時間だったので、何も食べていなくて。でも、全然来ないんですよ…」
何の疑いもなく納得してくれたので、リティアは更にそれらしい理由をつける。
「あれまっ。それは困りましたね。少し待ってて下さいね。私の机にお菓子がありますので。」
どこかに座ってて下さい、とまで言ってくれるので、有り難くハルドの椅子に腰を下ろした。何とか難は逃れたが、後でお小言を言われるのは確定だ。職員室の校長の机の引き出しから、チョコレートやクッキー、紙に包まれたマドレーヌが敷き詰められた大きめの缶が出てきた。リティアが喜びの悲鳴を上げてから、間もなくするとリンノが戻ってきてしまった。男性と目を合わせたリンノの唇が引き締まる。
「リンノ先生、リティア君がお待ちでしたよ。お二人の将来の事は、真剣に話し合って下さいね。ハルド先生からの頂き物ですが、宜しければお食べ下さい。」
「校長、ご迷惑おかけしております…」
ニコニコと微笑むのは校長。リンノはタラタラと冷や汗を流した。
「いえいえ。それでは。」
邪魔者は退散します、と通路へと出ていく校長の後ろ姿を見送ってから、大股で距離を縮めるリンノを見上げながら、モゴモゴとマドレーヌを口に運ぶ。
「何も怪しまれてませんか?」
凄く見下してくるリンノは、やはり昔と変わらない。ブルッと身震いをしたリティアの瞳から雫が落ちると、
「な、泣くほどまずいものを見られたのですか?」
屈んで袖で涙を拭ってくれた。
「そ、そちらは全て終えてから、キッチンで食べる物を探していたら、見つかっただけです…」
「そうでしたか。では何故泣かれたのです?」
リティアがふるふると首を横に振ると、額を手のひらで押さえるリンノ。
「リンノさんが、怖かったからです。」
きっぱりと言い切ったら、リンノの顔色が悪くなり、
「リーフィもただ目を向けただけで、泣くんです。同じ隊に所属したのにここ数ヶ月、口すらきける状態ではないのです。いつになったら、再会した弟と呑みに行けるんですかね…。」
「…リンノさんは、元々そういう目つきですか?」
肩を落としながらクッキーを頬張るリンノに、恐る恐る聞いてみた。リーフィの事をそんなふうに見ていたなんて意外だ。
「ええ、そうですよ。変えられませんでしょう。」
「わ、私を虐げていた頃もそんな感じでしたよね?」
リンノが断言して、リティアは動揺を隠せない。
「とりあえず、言いたい事は言わせてもらってましたが、必要以上に責め立てていないんですが。」
「私を虐めてましたよね?」
信じられない発言の為、再度確認を入れると、
「それは、リゴンでは?成人した私が、幼子を苛めるわけないでしょう。まあ、まだ貴女は本当に幼かったから。」
「いえ、2人の見分けはついてます。で、では…あの冷たい視線は全て、リンノさんの『素顔』だったと。」
眉をひそめる彼に、リティアの中で腑に落ちる。クッキーに手を伸ばしながら彼へと残酷な言葉を突き付けると、
「私の視線が冷たく感じて、リーフィが怖がる…」
「…そういう事です。」
リンノは、可哀想なくらいに背中を丸くしてしまった。