313,少年は悶々とする
ソラとテルの違い、それはテルにだって痛い程分かる。ハルドに可愛がられていると確信していたが、困った時に頼るのはテルではなく『ソラ』だった。この事実を引きずって登校日を迎える事になる。リティアは、ディオンから歴史的に価値の高いタペストリーをプレゼントされて、昨夜は本当に楽しそうに笑っていた。その隣に居る事は許されても、彼女の瞳はディオンを見る事が多く、胸の中で嫌な気持ちが膨れ上がる。また、見つからない生徒の身を案じるハルドに寄り添うリティアは、まるで彼の奥さんみたいで、これにもヤキモチを焼いた。自分の器の小ささに嫌気が刺す。そんな悶々とした状態で、久々に寮室に戻って荷物を置いたら、すぐに教室に直行する。仲の良い皆に会える事を楽しみにしながら教室に入ると、机の数が半分以下に減っていた。呆然と立ち竦むテルの横を、ソラが何食わぬ顔で通って席につく。テルの後ろから来たのはケールで、ポンと肩を叩かれる。
「ラワンは、中退だってよ。学費を3年間払い続けるのは難しいって言われたらしいぞ。」
「そ、そうなの?」
耳元で言われた衝撃的な発言に、テルは耳を疑う。
「ああ、帰省した時に隣町に住んでいるって知って、よく会いに行ってたらさ。あいつの母ちゃんに言われて…一生懸命畑仕事するラワンに、俺の宝物のヒビキを預けてきた。」
「うっ…あああん!」
丁寧に事情を教えてくれたケールの胸を借りて、大声を上げて泣いたテル。そこに、
「皆、おはよう。」
「アギー君!おはよう!」
この休みで少し身長が伸びたアギーが入ってきて、テルは酷い顔のままでとびっきりの笑顔を向けた。一方、リティアの組は、3分の1というとても少ない数まで減っていた。残念な事に、メルスィンはしっかり在席してて、セイリンのように抱き締めてきた。彼女から聞いた話だが、現2年生の留年該当者は、来年度の4月の始業と共に下の学年に降りてくるとの事だ。
注意喚起の紙が、授業前に配られた。その後、リーフィによく似た髪色の若い男性が挨拶に来た。
「今日から赴任しましたリンノです。後期からの選択授業において、国の地形を担当致します。職員室では演習室の管理を致しますので、魔術練習の際はお声掛け下さい。」
丁寧に頭を下げるリンノに、ほんの一握りしか残っていない女子生徒が、控えめに黄色い悲鳴を上げた。じーっと彼を観察するテルは、その紫色の瞳に違和感を感じていた。普通に考えたら瞳の色を変えられないが、本当は別の色なのではないか、と思ってしまう。その熱い視線に気が付いたリンノがこちらと向き合い、
「何か質問でもございますか?」
「え、あ…。いや、先生の瞳の色が紫色の下に赤があるように見えて綺麗だなーって。えへへ。」
声をかけてきたので、動揺しつつも口から出てしまった。
「そう、ですか。まあ、弟が赤と紫色のオッドアイですから、同じ色素を持っているんだと思います。」
「部分的に似ていると思っていたんです。リーフィさんのお兄さんって事ですね。」
眉をひそめながらも答えたリンノに、すかさずソラが話しかけると、
「学校と関係ない事ですので、これ以上は控えさせて頂きます。」
元々笑みすら浮かべていなかったリンノの表情は、グッと固くなった。まるでクピアにいた頃のラドのような仏頂面で退出していった。
「…何しにここにいるんだろうな。」
そう呟いたソラの眼差しはとてつもなく鋭く、テルは恐怖に息を呑んだ。
リティアの手のひらは、汗でじっとりとしていた。黒板の前に、喫茶スインキーで声を聞いた『彼』が立っている。その瞳に私を映す事はなく、他の生徒のみに視線を動かす。あたかも『リティア』はここに存在しないかのように扱われている。この前、声を聞いておいて良かった。心の準備が、自分に少しできているようだ。同じ血を持つ者でありながら、こんな酷い事が良くできるのかが、全く理解できない。この夏に広がったリティアの視野は、絶対に彼を逃さない。以前の自分ならば、この場でガタガタと震えて涙を流していただろう。
《私が、フィーさんを守るんです。》
《今のは?》
自分を奮い立たせた筈が、リンノにこの思いを聞かれてしまったらしい。リンノの瞳が、やっとここでリティアを映し出す。その目が逃げるまで、リティアの瞳は彼を捕らえる。
《聞こえているようだぞ。小娘、気をつけよ。》
良いタイミングなのか何なのか、通路を歩くケルベロスから怒られてしまった。
「え!?こんなの聞いてません!聖女ルナ様が使役したケルベロスが、何故ここにいらっしゃるのですか!?」
一通りの挨拶を終えたリンノが、平然を装って教室から出たが、ここで悲鳴に近い声を張り上げた。リティアの瞳が彼を追うと、通路側にいるディオンと目があった。心配されている気がするが、こちらに微笑む心の余裕はない。彼のみが同じ学校にいるという事は、向き合う時だ。対峙する相手が大勢じゃない事に安堵しつつ、リティアの心が火を灯す。だから、普段なら絶対にやらない行動に写った。ガタッと席から立ち、ケルベロスに驚く彼の前に躍り出る。そして、ケルベロスを抱きしめてから、
「リンノさん。いえ、リンノ先生、改めてよろしくお願い致します。ケルベロスさん、一緒に先生の授業を受けて下さいね。」
彼を見据えると、彼の喉仏が微かに動くのが見えた。
「変わられましたね…」
それだけ呟くと、彼は逃げ込むように1組の教室へと入室していった。ドキドキと煩い心臓の音が耳の中で反響して、ケルベロスに顔を埋めて涙を流すリティアを、
《怖いくせに、よく頑張ったのではないだろうか。》
ケルベロスが舐めてくれた。そのケルベロスに甘えて教室に連れて帰ろうとすると、ディオンが静かに扉を開けて招き入れてくれる。教師の目が丸くなったが、ケルベロスをそのまま席に連れて行くと、昼休みまでずっと一緒に居てくれた。
放課後の通路は以前のような活気はなく、残っている生徒達は疎らに帰宅していく。テルが、今までのようにソラと一緒に調合室へ接続通路を渡っていると、カルファスの従者であるセセリが、前から1人だけで歩いて来た。すぐにテルが元気いっぱいに挨拶をすると、
「テル、無理に笑顔を作らなくて大丈夫ですよ。毎日顔を合わせていた知り合い達が居なくなる事なんて、初めての事ですよね。」
「あ、バレてますか…。」
彼の苦笑いで、テルは頭を掻いた。
「今回は、脱落者が多いと感じます。ボーダーラインに行かなかったのか、はたまた別の理由か。そこは分かりかねますが、これからもよろしくお願い致します。」
「はい!こちらこそ!」
セセリに微笑まれて、テルは笑顔を見せる。知り合いが居ると分かるだけで、こんなにも心が軽くなるのか。
「話は変わりますが、ソラ、少しお時間を頂きたいのです。貴方に伝える事がございます。」
セセリの声のトーンが変わった。こちらが本題らしい。ソラは無言で頷き、セセリに促されるままに実習棟へ行ってしまう。テルは、ついていくかを暫く悩んだが、調合室へ向かう事にした。ドアノブを回すも、全く開く気配がない。中から反応はないけれど、室内からの誰かの声がテルの耳に届いた。扉に耳を当てようかとしたところ、
「テル君、ごめん!今取り込み中なんだ!また明日お願いできる!?」
ハルドの声がテルの耳の中で響く。小さく返事をしてから、おやつを買いに購買へ向かう事にして階段を降り始めると、
「まあ、俺が囮になるんで。」
ソラの声がハッキリと聞こえた。