305,少女は再会を喜ぶ
住み慣れた学園都市に帰ってきたリティアは、ラドにエスコートされて、喫茶スインキーの前で馬車を降りた。ハルド達の家に寄ってケルベロス達を降ろしてから王都へ戻る予定のギィダンに、
「まだ、何も着手できておりませんが、絶対にお作りますから!」
必死に伝えると、フードの下の何もない空間が揺れた気がした。
「はい、麗しきお嬢様。楽しみにしておりますね。」
ギィダンは、そう言うとすぐに馬車を走らせていく。ラドに連れられて入店すると、パタパタと小走りで黒髪の少女が出てきた。
「いらっしゃいませ!」
その顔を知っているリティアは、自然とポロリと涙を流す。それにギョッとする少女。ラドは何も言わずにそこに立っているだけ。
「な、何だよ!今は、狙ってないからな!」
「シャーヌさん、ご無事で何よりです。」
何かと慌てる彼女の手をぎゅっと握って、この再会を喜びながら、涙を流し続けるリティア。
「えっ…?何故だ、私はお姉ちゃんじゃない。何故、知っているんだ?」
「シャーヌさんではないのですか?」
彼女は極限まで見開かれ、リティアは首を傾げた。唇を震わせる少女と見つめ合う。
「リティア様、説明を致します故、まずは席につきましょう。」
見かねたラドに促されて手近な席につくと、彼は勝手に扉の表に「CLOSE」の札をかけてしまった。そこに、リファラルが珈琲をトレーに乗せて出てきて、ぼっ立っている少女にトレーを手渡して、
「シャーリーさん、彼女達にお願い致します。」
「は、はい!」
彼は、彼女をシャーリーと呼んだ。彼女は、シャーヌではない。それを知ったリティアの背中が丸くなった。あれだけ張って会えなかったシャーヌは、いつの間にか救われたんだ、とぬか喜びしてしまったのだ。
「お、おい!何で落ち込んでいるんだ?」
珈琲を目の前に置きながら、こちらを伺うシャーリーの表情は、何故か不安そうだ。
「リティア様、顔を上げられて下さい。」
「は、はい…」
ラドの指示通りに顔を上げると、微かに眉を動かす彼からハンカチを手渡された。顔に付着したままの涙を拭うリティアに、
「彼女は、シャーリー。シャーヌの妹であり、リゾンド殿に脅されて、貴女のお命を狙っておりました。」
「へっ?」
ラドから雑な紹介に、リティアは目を丸くした。どうも彼女に殺されそうだったらしいが、リティアは全くもって知らない。
「い、今は違う!!店主に助けられたんだ!」
「正確にはハルド殿ですね。彼女を拐って暴行した悪漢達を返り討ちにして救出致しました。」
頭が外れるんじゃないというくらいに、激しく首を横に振るシャーリーの顔は真っ赤で、彼女の隣のリファラルが苦笑した。
「あんなおっさんに助けられてなんかいないです!」
「ラド先生、もしかして。以前、ハルさんが捜しに行ったというお知り合いの方ですか。」
シャーリーが声を張り上げて否定しているが、リティアの中でピンと来た。あの時、ラドが調合室に来て教えてくれたのだ。
「そうです。あの時、拐われた者です。」
「あんな奴と知り合いじゃねー!」
ラドにズバッと言われて、耳まで赤くしているシャーリーは、両手で頭を押さえた。
「シャーリー、この方に乱暴な物言いはやめろ。」
「あんたに呼び捨てされる程、仲良くない!」
ラドからの乱暴な言葉に、彼女も負けじと言い返す。まるで兄妹に見える、とリティアは密かに思ってしまう。
「黙れ。この方は、リグレス様が仕えているお方の妹君に当たる。それを知っても尚、そのように振る舞えるか?」
「ええええ!?店主、どういう事ですか!」
ラドによって出されたリグレスの名前に、シャーリーが動揺し、声に出さずともリティアも驚く。どうもこの反応だと、彼女はリグレスとも知り合いらしい。そして、ここで暴露されるリティアの立ち位置。誰かを従えるだけの立場に兄がいる事だけでも、知られてしまうと様々な事に支障を来たす。
「そのままの意味ですよ。リグレスも己の主と共に彼女を大切にしております。」
「これは、失礼致しました…。」
ニコニコとリファラルが微笑むと、両手を伸ばして身体の横につけて深々と頭を下げるシャーリー。先程までの勢いが嘘のように萎れていく。
「いえいえ。私の事は、あまり知らなくて大丈夫ですよ。」
リティアは、これ以上困らせないように彼女に微笑みかけると、
「そうですね。おい、テルに漏らすなよ。」
「な、何でだよ!」
暴露した相手が彼女を口止めする。そもそも、言わなくて良かった事ではないだろうか、とリティアがひやひやしていると、
「リティアお嬢様は、身分を隠して学校生活を過ごされております。それは学友であってもです。何処に悪意を持つ者が居るか、分かりませんからね。」
「た、大変ですね。そこらの御貴族様より偉い人だから、色々な人間に命を狙われているという事ですか?」
リファラルからの助け舟により、シャーリーの表情も驚きから、真剣な面持ちに変わった。
「そう考えてもらって構いません。彼女を快く思わない人間によって、貴女は雇われていたのです。」
リファラルによってこの場がまとめられ、シャーリーも納得したように頷く。リティアにとって不要な暴露をしたラドは、何食わぬ顔で珈琲を口に運んでいた。
「えっと。その、リゾンドさんが、ご迷惑おかけしました。」
「いや、何故貴女が謝るのですか…。どう返答すれば良いか、困るではないですか。」
叔父の悪意によって振り回されたであろうシャーリーに謝ると、顔をしかめる彼女。
「リティア様は、全くもって悪くございません。」
ラドも擁護してきて、どうも2人を困らせたようだ、と理解したが、時既に遅し。場が静まり返ってしまって、とても気まずい。これでもう一度謝ってしまうと、また2人に迷惑をかける。
「その辺でこの話は終わりにしませんか。お二人共、空腹でございましょう。お嬢様は、ホットサンドに致しますか?オムライスでしょうか?ラド殿は、いつも通りビーフシチューでよろしいですね。」
そんな沈黙を破ったのは、リファラルだった。珈琲を置いたラドが二つ返事で頷き、
「ホットサンドでお願い致します!」
リティアも笑顔でお願いすると、
「シャーリーさん、ホットサンドをお願いできますか?」
「ええ!?良いんですか!?かなり重大ではありません?」
リファラルから料理を任されたシャーリーが、身体を仰け反らせる。リティアと向かい合ったリファラルが、
「お嬢様、今回の食事の用意はシャーリーさんでもよろしいでしょうか?」
「はい!楽しみにしております!」
ある意味彼女の逃げ場を奪い、リティアも笑顔で賛成をする。具材とか焼き加減が変わるであろう、シャーリー作のホットサンドが楽しみだ。
「うっ、眩しい…」
「あっ、リファラルさん。待ち時間に読んでも良いですか?」
ふらふらと踵を返すシャーリーを見つつ、リファラルにカウンター奥の小説を指差すと、
「勿論でございます。」
「先生の小説は良いよな!暇な時間に何度も読み直してしまったよ!」
目尻にシワを寄せる彼の後ろから、厨房に向かったはずのシャーリーが猛スピードで帰ってきて、リティアにとても輝く笑顔を見せてくれた。
「はい!私も大好きです!手元にも製本された物を持っていまして、ここで原案を読ませて貰えるので、理解が深まるというか、奥行きを味わえるというか!リファラルさんのお孫さんって、どのようなお方なのでしょうか?」
「え…?」
同じ小説のファンが居る事に嬉しくなったリティアが、彼女の手を衝動的に握ると、彼女の瞳がまんまるお月様だ。熱量が異なったのか、と不安になりつつ、首を傾げるリティアに、
「とても心優しく、困っている人々へ惜しみなくその手を差し出せる自慢の孫息子でございます。」
こちらを見守っていたリファラルが、顔を綻ばせた。