299,教師は勤しむ
1度怒り始めたロゼットの怒りは、なかなか止まらない。リーフィが彼を宥め、ハルドは飯になる物を探しに森を彷徨う。
《何故リティアは、ロゼットを渡したのだろうか?》
《それはリーフィに聞けば分かると思うけど、リティが持っていた方が良いのかい?》
今日の飛龍はよく話すな、と思いながら、木の根元の隙間を風のドリルで抉って巣に籠もっている兎を仕留めるハルド。兎だけでは、大人2人で食べるところは少ない為、兎の血の匂いで他の生物を誘き寄せる事にする。
《アリシアと対になる人形の核であり、彼女をアリシアから守るには適任と考える。》
《ロゼットがアリシアと組む可能性だってあるだろう?》
今回のロゼットの行動が気になる飛龍は、密かにリティアを心配しているようだ。こちらとしては、リティアに関する有事の際に精神分離を起こさずに戦えそうで有り難い話である。ハルドが若い木に縄で兎の死骸を括り付けると、匂いにつられて4本脚の肉食系の不味そうな程に筋張った魔獣が寄ってきたので、飛龍牙をその首に落とす。緑色の血が飛び散り、辺りの草を枯らしてしまった。食べようと思わなくて良かった。魔石を取り出す事を諦め、飛龍牙で只管身体を分解していき、更に寄ってくる獲物を待つ。
《聖女が幼い頃から、あの双子人形は結構な回数喧嘩をしていて、考え方の相違は明らかだ。今回、アリシアと出会える手段にもなるリティアから離れたのだ。だから、タッグを組むとは思えない。》
《そうは言っても、彼はリーフィを守る事を選んだ。》
飛龍がどれだけ言っても結果は変わらない。ロゼットに、リティアを守る気などないだろう。この会話は不毛だ。血の匂いが強くなるにつれ、4本脚の獲物は群がるが、どれも食べるには難しそうだ。自在に動き回る飛龍牙が、その魔獣達を刻んでいく。
《うむ。学校内で、あそこまで無口でいたのだし、アリシアと関係を持ちたくないのかもしれないな。》
《器を得てから、行動を起こすかもしれないよ。それならば、学校生活を強いられるリティよりも、多忙な王国魔法士とはいえ、成人したリーフィの方が動きやすいだろう。》
飛龍は、まだ彼の話題から離れない。そんな話をしている間に、木の上から兎の死骸に手を伸ばしてきた猿2匹を引きずり落として、その細い首をバキバキと捻り回して胴体から引き千切った。断面から赤い血が吹き出して、集ってきた魔獣達が歓喜するが、ギロチンのように飛龍牙を落として1匹残らず始末した。食べられなさそうな輩は、魔石だけ頂戴する。美味しいか分からない猿と、囮に使った兎を抱えると、
《ちょっとー!二人共、全部聞こえているから!いつまでリーフィを放っておくつもり!?》
《怒られてしまったな。》
ワーワーと煩いロゼットの声が届き、その騒がしさとは対照的な飛龍の落ち着いた声が聞こえる。
《聞こえているなら、答えてくれても良いんじゃない?》
《リーフィが、親父に操られないように守るんだよ。今のアリシアは、煩いだけ。あれじゃあ、話し相手にすらならない。そんな簡単に器が手元に戻ってくるとは思わないけど、戻ってくるなら有り難い。》
ハルドが、待たせているリーフィの元へ帰る途中にロゼットをつついてみると、隠す事なく普通に答えてきた。煩いのはお前もだ、とは言わず、ふんふんと話を聞く。焚き火の場所に戻ると、既に彼女は木に寄りかかって眠っていた。
「まあ、今のうちに捌いて明日にでも食べようか。」
焚き火によって照らされるその寝顔は、あの憎たらしいリゾンドを想起させる事はない。リティアに似た可愛らしい顔立ちだった。
「リンノの兄弟とは思えない程、全く似てないんだね。ああ、でも二男には少し似ているかも。」
彼女に血がかからないように、ハルドは少し離れたところで食用肉の解体に勤しんだ。
日が顔を出す前に出発した2人は、王都への道の途中で帰還している最中の馬に跨った魔法士団に遭遇した。多忙なハルドからしたら、ここでリーフィも連れて帰って貰った方が、早めに学園都市に戻れる。そして、己とリーフィとの関係性が悪くない事から、リゾンドへの嫌がらせにもなる。リーフィには、精神的苦痛を与える事になるとは分かって、彼らの輪の中へ降り立つ。隊員達がざわめき、先頭近くのケーフィスがこちらを振り返ったので、ハルドが笑顔で大きく手を振るが、見慣れた人間が1人足りない。
「リーフィ!!貴様は、そこで何をしている!」
「ひぃ!?」
先頭にいる団長の後ろから離れるように煩いのが出てきて、ハルドの腕の中にいるリーフィが震え上がる。ハルドは、怖がるリーフィを丁寧に降ろしてその頭を撫でながら、
「この私が居るというのに、堂々と弱い者虐めですか?器の小ささが、際立ちますね。」
鼻息の荒いリゾンドに見やすいように口角を引き上げると、奴が身震いした。隊内がざわついた事で、リデッキが馬にステップを踏ませて踵を返し、ハルドと向かい合い、
「ハルド、ここで会えるとは思っていなかったから、驚いた。この後、話すべき事がある。王都まで来てはくれないか?」
「あの、可愛い一番隊隊員のジャックは、どちらですか?」
ふわっと微笑みかけてくれ、歓迎されている事は理解できたが、それより何より欠員が引っかかった。このハルドの返答に、2人の関係性を知らない隊員達がどよめくが、ハルドが鋭く眼差しを向けると、彼らの唇はきつく結ばれた。
「それについても、だ。」
「まだ生きているのであれば、大切な仲間を救う事が最優先事項です。」
ここで言うつもりのないリデッキに、笑みを消したハルドは、首を縦に振らずに彼を見据えた。隈の深いリグレスが馬を降りて、ハルドの手を握る。
「ハル…、私達を守る為に魔獣化したジャックを頼みます。詳しい事は、リファラルから聞いて下さい。」
「任せてよ。」
その手は小刻みに震えていて、ハルドは彼を安心させる為にしっかりと握り返し、
「では、リグ。これが『報告書』。こちらの封筒は隊長への『手紙』。それと、これをカノンちゃんに渡して。ラドからの贈り物。」
異空間から、まずは公にできるリティアについて書かれていない報告書が封入された茶封筒を渡し、その次にハルドのサインをしてある茶封筒、カノンの髪が入った木箱と取り出して、どんどんその手に持たせる。そして、
「団長、今暫く王都へ赴く事は難しそうですが、必ずや吉報を持って帰ります故、お待ち下さい。それに、あのガルーダの首をあと少しで討ち取るところまで懸命に戦ったこのリーフィが、次なる吉報を持ってきますでしょう。」
ハルドは自信に満ちた笑顔をリデッキに見せて、リーフィの背中を軽く押す。わなわなと拳を震わせるリゾンドだけでなく、隊員の誰もが彼女に注目した為、リーフィは動揺してブルブルと震えた。
「君には期待しているよ。いずれは、一番隊の一員として共闘できる事を楽しみにしている。」
「あ、ありがとうございます。」
ハルドが、そこに居る隊員全員に聞こえる声で彼女を鼓舞すると、彼女の口元が少し上がって嬉しそうに見える。彼女の眼帯の紐に指を絡めて取り外して微笑んであげれば、彼女は顔を赤らめた。
「そうか。では、リーフィは王都に到着し次第、団長室へ来るのだ。」
「はい!」
それを聞いたリデッキの目尻にシワが寄り、リーフィも大きな返事をすると、
「リーフィ、よく頑張りましたね。とても喜ばしい事です。私に様々な話を聞かせて下さい。」
リーフィを本来の四番隊の位置へ戻らせるのではなく、リグレスが彼女を守るように、リグレスの馬に乗るように促した。それを見届けたハルドは、リデッキに深々と頭を下げ、
「では、行ってまいります!」
暴風を操り、学園都市へと舞い戻った。