290,酒場の女は嘲笑う
祝!290話!そろそろ1年生の夏休みが終わるんですけど、リティアを陥落させられないディオンは慌ててますね。しつこいと嫌われるぞー(笑)
ここ最近、この街に王国魔法士団が滞在しているおかげで、深夜の酒場に現れる人間の皮を被った魔獣が激減した。泥酔していても普通の人間の世話の方が何十倍も楽だ。今夜も酒とつまみを品のない客のテーブルに運び、尻を叩いてきた輩には、笑いながら仕返しに背中を思いっきり叩いてやる。その痛みを我慢できずに呻く男は、2度と触ってこないものだ。
「デーティ!このジョッキをあそこの客に運んでくれ!」
厨房内の仲間から声をかけられると、呑んだくれている客のテーブルから引ったくった空になった皿と交換して、壁に寄りかかって独りで呑んでいる青灰色の髪の中年男性の前へ泡が溢れる程、乱暴に置いてやる。そいつは、丸い目をしてデーティを見上げ、
「貴様…どの面下げて、この私に汚い液体を浴びせるのだ!」
「アッハハ!何だい、それ?私が、あんたにどんな面だろうが関係ないじゃろ。」
ギリィと歯軋りを立てるリゾンドを、大口開けて笑い飛ばした。カッとしたコイツは、空のジョッキをデーティに投げつけてくるが、そんなもの日常茶飯事で簡単にキャッチできる。
「何の成果も出さない貴様にも、仕置きが必要だな!」
「えー?あんな薄給で成果残せって方が無理じゃけん!もっと積まんかいな!」
酒と怒りで顔を真っ赤にするリゾンドが滑稽過ぎて、笑いが止まらないデーティ。
「いくら乗せれば、あの出来損ないを殺すんだ?」
「私が納得するまでじゃけん。人の命ってそんな安く取引されへんのよ。あんたは、相場を知らな過ぎる。」
笑いが止まらないデーティがそのまま空のジョッキを引き取って、他のテーブルからも皿を片付け始めると、
「人殺しに相場なんぞない!」
立ち上がって、わなわなと拳を震わせながら叫ぶリゾンド。この騒がしい酔っぱらいの店で誰も気にする事はない。
「そう思ってるんは、そこらの三下のゴロツキとあんただけさ。こちとら、自分の仕事にはプライドと責任があるんよ。確実を求めるなら、それを越すだけのもんを用意せい。」
ゲラゲラと笑いながら厨房に皿を返せば、次の配膳の仕事が回ってくる。リゾンドを放置して本来の仕事を熟していくと、奴の方からわざわざ出向いてくれる。デーティの胸ぐらを掴むリゾンドに、周囲の酔っぱらいがどよめく。だが、デーティが笑顔で手を振って見せれば、彼らは茶番と見てまた談笑やゲームに夢中になった。
「あいつの首に金貨20枚でどうだ!?」
「ぶっ…!!」
必死過ぎるこの男に、唾ごと吹き出して笑ってしまった。顔にかかった唾を懸命に拭う男を見下しながら、
「そんな端金で吹っ掛けるんじゃないねん!出直してきな!」
腹を抱えて大きく歯をむき出しにして嘲笑った。
陽の光を身体に浴びながら、お気に入りの席で大好きな先生に勧められた本のページを捲る。こんな生活をまた自分ができるなんて思ってもなかったから、姉が見つからない中ではあるが、この胸に幸せを感じていた。ボーッと外で行き交う人々を眺めてみれば、また本に視線を落として続きを楽しむ。厨房からふわぁっと香ばしい香りが流れてきて、
「シャーリーさん、珈琲如何ですか?」
「はい!頂きます!」
目尻にシワを寄せるリファラルから挽きたての珈琲を受け取ると、すぐにその香りで鼻の中を満たす。リファラルが、朝食を取りに厨房を戻ろうとしたその時、
「おい!この役立たず!」
窓越しに聞こえた嫌な男の声で、全てを台無しにされた。雇い主に今の潜伏場所が知られてしまった。これでは、リファラルに迷惑をかける。もうこの店から出ていくしかない。気持ちが沈みかけたその時、
「ここは誰の店か、ご存知ですよね?」
リファラルが扉を開けて、男に声をかけた。自分のせいでリファラルに怪我をさせてしまうかもしれない。シャーリーは、慌てて扉へと駆け出す。
「あ、あ、あ、リ、リファラル殿。その女だけ、借りれますか…?」
先程の威勢が消え失せたリゾンドは、若干腰が引き気味に見える。
「何故です?」
「そ、そいつはこちらとの契約があるにも関わらず、姿を晦ましたので話し合いをしなくてはいけませんで…」
凛とした佇まいのリファラルに、シャーリーの瞳は釘付けになる。声を荒らげる事なく、ただ真剣な表情で相手を制する彼は、様々な物語の中に登場する主人公の窮地を助ける歴戦の老騎士を想起させる。
「リゾンドさん、この私の耳に入らないとでもお思いですか?」
「うっ…それは…。」
静かに威圧する彼の雰囲気に、リゾンドの声が小さくなっていく。シャーリーは、ただならぬ雰囲気を醸し出すリファラルを静かに見ている事しかできない。
「私が守るこの街での争い事は、許しておりません。」
口が開いては閉じてを繰り返すリゾンドに、リファラルが向けるその言葉の剣先は、シャーリーから見たら輝き煌めく歪みのない長剣のようだ。
「高尚なる一族がすべき事は、か弱い少女に手を上げることでしょうか。」
「そ、そ、その。」
リゾンドの言葉を待たず続ける彼は、シャーリーを大きな盾で守っているように錯覚する。それ程に彼の姿勢も、醸し出す空気も一本筋が通っていた。口籠るリゾンドは、明らかな劣勢。
「この私に胸を張って言えぬ事でしたら、どうぞお引き取り下さい。次にお会いする時は、おのが武器の鍔迫り合いとなりましょう。」
歯軋りして拳に力が入るリゾンドへ、一歩歩み出るリファラルの瞳は鋭く、今にも襲いかかってきそうな獣を逃さない。リゾンドは1度手を振り上げたが、
「ぐぐっ…。失礼致します!」
尻尾を巻いて逃げ出した。シャーリーの肩の力も抜ける。そして確信する、彼が自分を傍に置いた理由を。本当は、この街に来た頃から間接的に守られていたのだろう。更に守りやすいようにここに誘ったのだ。彼は、先程の戦いを感じさせない微笑みを向けてきて、
「長々と失礼しました。珈琲と冷めてしまいましたでしょうし、淹れ直しましょうね。」
「店主、あ、あの!助けてくださって、ありがとうございます!」
優雅に礼をして厨房へ戻っていく。慌てて追いかけると、
「私は別段何もしておりませんよ。本日も忙しくなると思いますので、よろしくお願いしますね。」
振り返って目尻にシワを寄せるリファラル。その仕草で、その声でシャーリーの心が何度も飛び跳ねる。若い頃は、かなり女性にモテていたのではないだろうか。綺麗な白いカップにお湯を入れて器を温め始めるリファラルに、これだけは言いたい。
「あ、あの!リファラルさん!」
「はい、如何しましたか?」
シャーリーが店主呼びをやめて呼んでみたが、驚く仕草なくまた微笑んでくる。恥ずかしくて顔を背けたくなる心に鞭打って、彼を見つめる。
「その!まさに小説に出てくるような歴戦の騎士みたいで、格好良かったです!!」
「おやおや、最近は冒険物も読まれていますものね。この老いぼれに、物語を紡げる程の勇気も根性もございませんよ。」
シャーリーは、意図的に『老』騎士と言わなかったというのに、微笑む彼からその言葉が出てしまう。
「老いぼれなんかじゃないです!今も前線に立っていてもおかしくないと思います!本当に素敵で!」
勢い余って言うつもりのなかった心の声が出た。一瞬で顔が熱くなるシャーリーは、顔を背けるどころの話ではない。顔を隠す事も、逃げる事もできずに頭の中に汗だけかいて彼から目を離せない程に固まった。
「そうでしたか。そのように思って頂けるとは。私の自慢の孫は、絵に描いたような騎士ですよ。あの子は本当に心優しくて、その手を惜しみなく差し伸べ、様々な人から頼りにされる程の力を持ち合わせております。」
彼の目が大きく見開く事はなく、その微笑みのまま孫自慢が始まる。内心ホッとしたシャーリーは、
「先生も物語から出てきたような王子様です。それとは関係なしに、リファラルさんに出会えて幸せだと思いました。」
心の奥から溢れる感謝を改めて言葉にしたのだった。




