285,少年は習う
帰宅後のリティアの様子は、浮き沈みが激しく思えた。リーズの声がした事についての話題を振ったセイリンには、いつも以上に良い笑顔で答えていたが、外から小さな子どもの声が聞こえると、小さくだがブルッと震えていた。このソラが気がつく程だ。他のメンバーも気がついている。
「先生はどう思う?」
「どうもこうも、彼女が話してくれるまではこちらからは聞かないよ。傷つけたいわけではないからね。」
夜になってからテルと一緒に町の外へ出て、ハルドに魔術を習っていると、その中でテルとハルドが彼女を気にかけていた。見通しの良い野原で、魔術ランプを地面に3つだけ置いて、その明かりを受けながら2人は、ハルドのスティックの動きを真似る。
「ソラはー?」
「お、俺は…聞いたところで別段どうしたいわけでもない。」
ウォーミングアップのような簡単な魔術陣を描きながらの雑談として、テルがソラにも声をかけてきたが、ソラは眉をひそめた。
「うー。少しでも不安を取り除いてあげたいー!」
高ぶる感情を表すように魔術陣が歪むテルに、ハルドが浮上の魔術をかけて宙に浮かせてしまう。
「そこは集中して。」
「すみませーん…」
足をバタつかせながら、地面に降りるテルの背中が丸くなる。
「リティを魔獣から守ってくれるだろう?」
「勿論!ディッ君に負けない!」
ハルドからの確認に、瞳を輝かせるテル。ソラは練習しながら、密かにテルが一緒に練習している理由に納得していた。ハルドがその恋心を利用して焚き付けたようだ。てっきり、自分を使ってだと思っていたから、何となく寂しいような気がする。初級である風や水の刃から始まり、属性小槍の連射、小盾の魔術、中級である傘型の防御魔術も練習する。テルは、初級魔術は鼻歌を歌いながら発動していたが、中級になった途端、失敗が続いてハルドからの打ち消し魔術を受ける。
「むむむ…」
どんどん肩に力が入るテルに、
「テル君、傘の中に友達を入れる時はそこまで緊張しないだろう?」
ハルドの不思議な例えに、テルは大きく頷き、
「確かに!!ソラ!」
「ん?」
何故か、ソラの肩を左手で掴んで傘の防御魔術を発動させた。先程までの失敗続きが嘘のようだ。ハルドがパチパチと拍手をすると、笑顔になるテル。退けるのも可哀想なのでそのままにさせておくが、これではソラが練習できない。
「テルくーん、ソラ君から手を離してごらん。それじゃあ、歩き辛いだろう?」
ふざけた発言しているハルドの言う事を素直に聞くテルは、パッとソラから離れて傘を発動させた。このハルドの指導方法は、最早ソラの理解の範疇を超えていた。傘の次は、地面から飛び出す土の直方体の防御壁を練習する。想像していた位置で発動しない事が多く、ソラもテルもなかなか苦戦している間に、ハルドはどんどん直方体を並べていき、
「じゃーん!ドミノ倒しみたいにできたぞー!2人もどうだい?」
自慢するように見せびらかし、ソラがため息を吐く中、テルが飛び跳ねて喜んだ。ここで理解する。この練習は、ソラよりも魔術の練習にあまり乗り気ではないテルへの動機づけなのだと。恐らく、テルが真剣に魔術練習と向き合うようになれば、このような幼い子どもにするような声かけは激減する筈だ。
「ソラ!やってみようよ!」
「ああ、そうだな。2人ならできるかもしれない。」
ドミノ牌に見立てた防御壁を連続で発動させる気のテルに、ソラもその話に乗る。これがいずれソラの為になると信じながら、今はテルとハルドの遊びに付き合った。
ソラやテルがハルドと一緒に何処かへ行ってから、ディオンは欠伸を噛み殺すセイリンと共に、外へ出ていくラドについていく。情緒不安定なリティアが心配だったが、リーフィがアクセサリーの資材をテーブルに広げると、その瞳を子どもみたいに輝かせるので、ケルベロスと眠っているスズランと一緒に家で過ごしてもらった。賑わう屋台通りから離れる形で坂道を上って、町の出入り口がある馬繋場ではなく、寝静まった民家と民家の間を通って町から出る。薙刀を壊してしまったセイリンには、市場でラドが買ってきた練習用の槍が放り投げられて、彼女も慌てて受け取った。
「薙刀は、飛龍牙のようにあまり市場に出回っていない。代替え品を探す方が骨が折れる。」
「確かに薙刀を使っている人を見た事がありませんが、何故ですか?」
槍の感触を確かめるセイリンを横目に見ながらストレッチをするディオンが、肩を竦めるラドに聞けば、
「元々、薙刀はこの国の物ではない。大昔に海を超えて他国が侵略してきた時に、向こうが持ち込んだ武器だ。あまりこの国では広まらなかった。」
ラドは嫌な顔せずに、武器の歴史をスラスラと話し始め、
「リティア君が腰に下げている毒針もそうだ。あれでは魔獣に勝てない為、需要がない。」
この国の武器は対魔獣の為にある事を断言した。それを聞いていたセイリンが槍の持ち方に首を傾げながら質問をする。
「先生、我が国は他国とあまり積極的に貿易していませんので、私は他国の状況を断片的にしか知りませんが、魔獣はあまり棲息していないのですか?」
「ここほど多くはないと、ハルドが言っていた。絶滅危惧種として扱われる魔獣が数頭いるだけだと。」
眉をひそめたラドが、彼女の手を無理やり掴みながら槍の持ち直しをさせた。薙刀の時も自己流だったセイリンは、正しい握り方に戸惑っているが、その形のままに素振りを始める。
「それならば、そちらの民は平和に生活できているのですね。」
「阿呆。魔獣の脅威が消えれば、人間同士は同種での殺し合いをゲームみたく懲りずに続けるものだぞ。」
心なしか嬉しそうに言葉が弾むセイリンを、バッサリと切るラド。静かに2人の話を聞くディオンは、素振りをして金剛剣の感触を確かめていた。
「え。」
「だから、薙刀を振って距離を保ちながらより人間を安全に殺す武器や、毒針のように無駄な動きが少ない殺し方が出てくるんだ。お前が夢見るような国は何処を探しても存在しないだろう。」
動揺で揺れ動く彼女の瞳を気にする事なく、ラドによって暴露される武器の誕生と、残酷な現実。
「…では、その他国侵攻がないこの国は、ある意味では平和であるという事でしょうか?」
「ここに辿り着くまでに海洋魔獣に襲われるからな。この国は魔獣に脅かされ、その魔獣に守られている。」
涙を浮かべる彼女の声が震える中、ラドの目とその剣先は彼女ではなくディオンへと向いた。こちらも剣を構える。
「よくご存知で。」
「父親が耳に蛸ができる程に言っていたからな。」
涙を拭う彼女の代わりにディオンが話すと、ラドから猛攻を受けて剣で攻撃を弾き続けるしかなかった。押し返せないラドの槍の軌道をどう逸らすか、剣の面を徐々に動かしてみるが、その素早い動きについていく事で精一杯で、イメージ通りにいかない。
「俺の槍を槍と捉えるな。これは魔獣から放たれる棘や触手だと思え。人間と戦ってもこの国ではほぼ無意味だ。」
「は、はい!」
ラドからの助言を受け、ディオンは剣先を逸らすのではなく叩き斬るように剣を振るう。この速さを目で捉えるのは難しい。彼の動きの先読みを試みながら、槍が風を切る音に反応していく。
「先生!私にもご伝授お願い致します!」
「素人は素振りをしていろ。」
声を震わせながら張り上げるセイリンに、視線すら動かす事がないラド。素人扱いされた彼女のプライドはズタズタだろう。ズズッと鼻をすする音が聞こえて…セイリンは、まさかの槍を構えて突進してくる。ラドのため息を1つ。彼に軽々と躱されても、セイリンは槍を振るい続け、
「私は!強くなりたいのです!」
「知っている。闇雲に振り回しても上達しない。」
その声で空気を震わせれば、ラドが己の槍を真上に投げる。ラドはそこからセイリンの槍を容易く腕で弾き、呆然とする彼女を蹴り飛ばした。