279,少女は回す
日が昇ってからリビングへ降りると、色鮮やかな花の刺繍が襟に施されたオフホワイトのブラウスを着ているリーフィは、ハルドにその長い青灰色の右前髪にクロスさせた2つのヘアピンを2セットつけられていた。前髪で隠していた眼帯も外されて赤いダリアが咲き誇っている。
「リティ、おはよう。今日はリーフィと遊んでおいで。」
「良いんですか!?わぁ!綺麗!」
ハルドから笑顔を向けられて、リティアは踊る心を表すようにスキップしてリーフィの向かいのソファに座った。1番の特等席で綺麗になっていくリーフィを見つめる。既に化粧も終わっていて、普段下がり気味の目尻が少しだけ持ち上がっている。リップは、オレンジがかった桃色が乗せられている。そこに家の扉が開き、前髪を後ろへ全て流したラドが帰ってきた。
「おい、ラド。何で1人で帰ってきたんだ?」
「ディオンなら砂浜に置いてきたが?」
ハルドからの質問に、あからさまに不機嫌さを滲み出すラドは、リビングに入らずにキッチンの方向へ姿を消した。ハルドの手は止まる事なく、リーフィの左サイドの髪を束ねて銀色の髪を表に出しながら細い三つ編みを作っていく。
「リティも、リーフィとお揃いにするかい?」
「はい!是非!」
ハルドの提案に、リティアは笑顔で喜ぶ。恥ずかしそうに頬を染めるリーフィの唇は少し緩んだように見えた。
リーフィとお揃いのヘアピン、三つ編みにしてもらったご機嫌のリティアが玄関から出ようとする頃に、汗だくのディオンが帰ってきて、更にセイリンがスズランと一緒に階段を降りてきた。
「リティアさんでしたか。女神がいらっしゃるのかと思いました。」
「ディオン、その発言は臭いからやめろ。リティ、とても似合っている。出掛けるのか?」
汗を拭いながら微笑むディオンへは、セイリンの冷たい視線が向けられて、その表情が一瞬固まる。2人の表情の変化を密かに見守るリティアは、
「はい!フィーさんと行ってきます!」
ディオンではなくセイリンに笑顔を向ければ、リーフィがやっとリビングから出てきた。ハルドはリーフィのアクセサリーを選んでいたのだが、お気に入りを身に着けたいリーフィとの話し合いで少し時間がかかっていたのだ。結局、リティアが贈ったネックレスを襟の下に身に着け、表に出されたのはスウェード紐の長めのネックレスだ。耳にはキラッと輝くゴールドのイヤリング、手首にもゴールドのブレスレットが袖口から垣間見える。
「まさか、リーフィさんですか?」
ディオンの目が丸くなり、リティアはリーフィの手をすかさず握って、
「フィーさん、とても似合ってます!」
「あ、ありがとう…」
リーフィを笑顔で見上げると、はにかまれた。階段を最後まで降りたスズランが鳴き始める。スズランと一緒に降りてきたセイリンが、
「本当にお綺麗ですね。リティのお姉様と言われたら、信じてしまいそうです。」
リーフィの顔を覗き込みながら手の動作だけで、ディオンにその場から退くように指示を出す。ディオンもそれに応えて扉を開きながら、壁側に下がった。折角開けてもらったのだ。リティアはセイリン達に手を振りながら、
「はい!大好きなお姉ちゃんです!」
顔を赤く染めるリーフィを引っ張って町に出掛けていった。
屋台通りの反対方向、坂を登って町の端にある馬繋場傍のカフェテラスで仲良く朝食を摂る。日が昇る前から町の魔術士が2人で、怪しい人間や荷物がないかを確認していて、何度か欠伸をかいている姿を目にした。
「大変そうですね…」
「まあ、昨晩のバーベキューが遅くまでやっていたみたいだからね。」
ワンプレートの皿からキッシュを選ぶリティアの呟きに、注文したホットサンドを口に運びながら苦笑するリーフィ。
「結局、片付けまで町の皆さんにやって頂いてしまいましたし…」
「ご厚意で片付けてくれたから、会った時はお礼を言わな…ちょっと席外すねっ!」
リティアが昨晩の事を思い出して口元が緩んでいたら、リーフィが風のように素早く動いて荷物検査をしている魔術士の1人に近づく。
「え!?え、リーフィ様ですか!?」
振り返った魔術士の驚き声がこちらまで届いたがすぐに真剣な表情に戻り、リーフィの話を何度も頷きながら聞いている。そして魔術士が、そこで待たせている小太りな商人へと向き直り、
「申し訳ございませんが、こちらの荷物を町に入れる事はできません。」
その強い口調に商人の顔が青くなった。リーフィもその商人に何かを伝えたのだが、
「女は引っ込んでろ!」
ブチ切れて怒鳴り散らす商人に、リーフィの身体にビクッと力が入る。そこにもう1人の魔術士が割って入り、
「この方は、仕事の為に変装なさっているだけです!」
そう声を張り上げると、大きな丸い目をするのは、商人だけではない。リーフィも丸い目で彼を見たまま瞬きが止まらない。それでもその魔術士は真剣そのもので、
「自分が向こうで話は聞きます。」
荷物を取り上げて、商人を町の外へ連れて行った。リーフィは、自分が声掛けた魔術士に手を振られてテーブルへと戻ってくる。見るからに沈みきっているリーフィに、
《なーに落ち込んでいるのさ!あの優男だって、別嬪さんだって褒めてただろう!》
リティアが声をかける前に、まさかのロゼットの声が脳内に大音量で響く。
「それは、世辞かもしれませんし…」
「フィーさんは、とてもお綺麗です!もし叶うのならば、私が帰るまででもそんな姿で一緒に過ごせたら嬉しいです!」
リティアはフォークを皿に置いてから、背中を丸めるリーフィの手を握り、
《もっと自信を持ちなよ。今の君は、とても輝いている。ずっと可愛い格好したかったでしょ?それならばできる今は胸を張るべきだ。》
ロゼットの声が優しくなり、リーフィは小刻みに震えながら涙を溢した。嗚咽の声を外に漏れないようにハンカチで口を押さえるリーフィを、リティアは背中まで回りきらない短い腕でリーフィを抱き締める。リーフィを傷つける者は、自分の命を狙う者と同一人物。どうして自分達だけ、こんな思いをしなくてはいけないのか。一族の人間に向けられてきた憎悪への違和感と反発は、リティアの中で大きく育っていた。リーフィが落ち着くまでずっとこうしていたら、仕事を交代した魔術士達がこちらへ向かってきた。そして、
「リーフィ様、先程はありがとうございました。あの男はやはり黒でした。魔獣由来の違法粉末剤を所持してましたよ。」
礼を言う魔術士に、充血した瞳を向けるリーフィ。それを見た彼らの表情は驚きに満ちて、
「如何なさったのですか…!?」
「まさか、吸い込みましたか?」
2人の声が重なる。空気を読んでリティアの手が離れていくと、リーフィの瞳は一瞬だけ細められた。
「匂いが鼻についただけですのでご心配なく。本日も朝早くからお仕事お疲れ様です。」
「ありがとうございます。リーフィ様は本日休暇ですか?突然、可憐な女性に話しかけられて心臓が割れるかと思いました。」
労いの言葉をかけただけのリーフィを口説くかのように、顔を近づけてウインクしてくる魔術士に、リーフィの方がリティアにしがみついて2人で丸い目をして彼を凝視する。
「ロディ!お二人共が困っておられるから帰るぞ!」
ため息混じりにもう片方が、ロディの腕を無理やり引っ張って退場していき、姿が見えなくなるとリーフィが小さく息を吐いた。リーフィが落ち着いたところで、
「どうして、先程の商人が危ない物を所持していると分かったのですか?」
「ああ…それは。離婚前の母が時折嗅いでいた匂いが漂っていたから。あれは、強い幻覚作用がある。彼女は、僕が産まれたばかりの頃の幻覚を望んで見ていたんだ。僕が…壊してしまった。」
リティアが疑問に思っていた事を口にしたせいで、リーフィの瞳から光が消えて俯く。
《君の誕生が嬉しかったから、母親はそこにしがみついて頑張っていたんだろうよ!母親の努力を無碍に扱うな!》
リティアが沈み行くリーフィに手を伸ばす前に、ロゼットから叱咤が脳内で反響して、あまりの大音量に2人して頭を押さえた。