277,教師は鼻で笑う
馬鹿騒ぎする人間共が集まっては聖堂に入る事も難しいだけでなく、面倒な魔術士団団員にまで追いかけて来られると迷惑だ。リーフィは、何故『様』付けされて呼ばれているのか。知りもしない人間の面倒事には関わりたくはない。そんなこんなを考えながら人目を避けるように、近場の岩場の向こう側に避難したラドは、波が届かない位置で腰を下ろした。1人で居たいのだが、既にバーベキュー場から尾行してきていた知っている輩の足音が大きくなり、
「何しに来たんだ…」
ため息混じりに呟いて振り返れば、やはりセイリンだった。コソコソとついてきたセイリンは、岩場を越えてからランプをつけて更に近づいてくる。ラドは仕方なく、ジャケットを脱いで地面に敷いてから手でジャケットを叩くと、小走りになってそこに座るセイリン。
「お前がここに来る必要はないだろ。飯をしっかり食ってこい。」
とりあえず後ろでコソコソとされるのは不快だった為、隣に座らせた。が、やはり追い出したい。そこに居るだけで腹の奥から沸々と煮え立つ物がある。こちらの気など知らぬセイリンは、
「もう腹八分目ですから、しっかりご馳走様をしてきましたよ。私よりもラド先生の方が足りないかと思いますが。」
「俺はお前らが寝たら、ハルドと呑むから今は不要だ。」
裏表のない笑顔を向けてきて、眉をひそめたラドがそっぽを向く。
「お酒を呑んだら、先生方はどんな風になるんですか?」
「おい、お前は今朝から俺に泣かされただろう。何故、そんなに話しかけてくる?」
グイグイとくるセイリンに引き気味になったラドが、これ以上の接近を右手で制した。それでも、
「それはそうですが、私なりにしっかり考えるきっかけを与えて下さったラド先生にもリティにも今は感謝しかありません。」
「そこに行き着く理由が全くもって理解できん。」
迫りくるセイリンの頭に右手でチョップを落とすと、前のめりになっていた彼女の背筋があるべき位置に戻っていった。パーソナルスペースを確保できたラドが安堵すると、セイリンは瞼を閉じてから口を開く。
「リティが言ってました。あの子の瞳は、孵化するまでを与えられた思いで色が変わるんですって。」
「そういう種族は精霊に近しい存在なら多いだろうな。例えば、『赤』は『恐怖』だ。」
古代魔獣の血を身体に流す俺みたいに、そこまでは口に出せなかったが…そういう事だ。
「先生もご存知だったのですね。スズランはとても綺麗な銀色でした。大切に思われているからそこの色。」
「そうか。」
何処となく嬉しそうなセイリンに、それは俺の思いではない、と言う事ができずにいるラド。
「先生が大切にしていた子を、私を教育する為に『魔獣だから殺す』ように仰りました。」
「お前が魔獣を嫌うのだから、当然だろ。」
腹の中に溜まる靄を感じながらも、セイリンの言葉を聞いてやる。ラドがため息を吐くと、
「そこですよ。それがおかしいと、貴方は以前ヒメと対面させて下さった時から仰っていましたね。確かに私は、魔獣は人間を惨殺するから嫌いです。」
彼女の瞼は開き、その迷いのない黄緑の瞳で見つめてくる。こちらが口を閉ざしていてもお構いなく、
「あの子が生まれる時にリティが、人間も魔獣も外見が異なるだけだって教えてくれたのです。その時、やっと理解しました。」
「あのな…」
続けてくるリティアへの感謝の言葉に、ラドが呆れ返ると、
「先生からの言葉がなければ、リティの言っている意味を理解できなかったと思います。私と彼女は考え方が異なるだけだ、と終わらせていたはずです。」
無理やりこの右手をその小さな両手で握り締めてきて、動揺したラドの目もセイリンを見据える。
「鉄鉱龍のスズランは、私が責任を持って育てます。その為に必要な知識を手に入れて、どうやって共生するかを考えていこうと思います。」
その曇りのない瞳は、ラドの心を揺さぶった。鳥籠の中に仕舞われているだけの令嬢ではないと、数日前の己を叱咤したくなる程だ。
「人間は支配する事を望む。己が危害を加えられる可能性のある魔獣は好まない。」
「はい、今なら理解できます。それが先生とヒメの関係性に違和感を覚えた私の先入観です。私達を害する魔獣だけでなく、歩み寄ってくれる魔獣達は必ず存在します。」
表情に出さないように気をつけながら言葉をぶつければ、彼女の瞳が揺れる事はない。
「お前が理解しても、いずれお前を囲む騎士達は鼻で笑うだけだぞ。」
「そうでしょうね。だからこそ私は、声を高らかに主張していきましょう。聖女ルナは確かに魔獣と共に戦えていたのですから。その意志を継ぐ私達もできると。」
こんな風に、と鼻先で笑っても、彼女の意志は揺るがない。その強き思いが浮かべる未来図に、
「…これは、大事だな。」
「あ、先生が笑って下さいましたね。」
片眉が引き上がりながら口角も上がると、セイリンから力強く咲き誇る大輪の笑顔を真正面に受ける事になった。
「お前の歩む道は、本当に険しい。だが、心折れずに進むと言うのであれば、然るべき時に我々は手を差し伸べるだろう。」
「ありがとうございます!」
謎の敗北感を感じながらも、歯の隙間に異物が詰まる不快感はない。セイリンの喜ぶ顔を見ながら、右手にくっついている両手を払って、
「それまでに数人で良いから、魔法士の知り合いを作っておけ。」
そう助言すると、慌てて両手を開いたセイリンの瞳が丸くなる。
「え?魔法士ですか?魔術士ではなく?」
「普段は静観しているだけの魔法士の中には、騎士団を黙らせる程の力を持つ者が少なくない。その関係がいつの日かお前を守る盾となる。下から言って聞かない輩には、上から圧力をかけろ。」
魔法士といえど、己にはそれほどの力はない。黙秘事項でもある為、そこには隠しておく。
「なるほど…。しかし、どうやって知り合えば良いでしょう。王都を歩いていて出会えるわけではありませんし。」
親にそんな知り合いは居なかった筈と、呟き始めるセイリンの思考を阻害するように、彼女の額を指で弾き、
「己を害する魔獣討伐で、その名を上げろ。彼らの耳に届けば、必ず彼らの方からアプローチしてくる。」
「は、はい!誇り高きルーシェ家の名にかけて!」
かつての俺のように、飛び出しそうになった言葉を飲み込むと、彼女から理解し難い誓いが立てられる。
「そんな吹いて飛ぶような物に誓うな。己の信念にかけろ。」
「ひ、酷い…」
ため息混じりに柔らかい頬を引っ張ってやれば、やり過ぎたのか、若干の涙目になるセイリン。
「それが真理だ。血の繋がりなど当てにならん。茨の道を進むお前を迫害する可能性もあるのだ。」
だが謝ってやるつもりのないラドは、頬を引っ張った右手で彼女を押し退けるが、彼女はその鍛えられた体幹ですぐに上体を起こしてきた。
「まあ、それは否定できません。現に学校に入学する事だって大変でしたし。そのおかげで、今は自由に知識を、情報を手に入れられます。それに、貴族以外の繋がりを得られました。」
「そうか、良かったな。用が済んだなら、向こうに戻れ。」
こちらの行為に怒らずにまだ話すセイリンを軽くあしらうが、
「その繋がりには、勿論ラド先生も入ってますよ。」
「…本当に帰れ。」
口元を押さえて微笑んでくる彼女に、ラドは頭を抱えて俯く。今は幼い鉄鉱龍を愛でているだけだ。俺の醜い魔獣化を見れば、お前は剣先を突き立ててくる。己の魔獣化の引け目から湧き上がる彼女への不信感が、ラドの頭を掠めていた。