275,教師は吠える
人間の口に合う魔獣の肉など知らない。せいぜい、馬や牛の形に似た魔獣だろうか。ただ、この衝動を抑える為に狩りをする筈だったというのに、難題を押し付けてくるハルドに腹が立つ。だが、あの2人に着いてこられるのは更に腹が立つのだから、これは妥協するしかない。何かが動いたくらいの視力しか持たないが、匂いには敏感であるこの身体。身体の至る所から火の粉を撒き散らして、野を駆ける。今のラドは完全な魔獣化をしていて、通行人達が震え上がっているだろう。あの世間知らずの姫騎士に無性に腹が立つ。自分の力量不足を理解せずに戦えるものか。大型の魔獣を匂いに誘われ、いとも簡単に肉を食い千切れば、
「た、助かった…」
人間の子どもの声だ。ガアア!と吠えてやれば、叫びながら逃げていく。人間の匂いが消えてから魔獣の肉をある程度貪り、姿を人に戻す。この魔獣は、泥酔毛猿。人間が食べるには酒臭い魔獣だ。それを確認すると再び魔獣化して、食事にありつく。魔獣の主食は基本的に魔石だが、その魔石に長らく侵された血肉にも精霊の結晶が混ざっていて、それでも腹が満たされる。立派な心臓、魔石は口には入れずに、異空間に投げ込む。そうする事で、嬉しそうに口元を緩める姫騎士が脳裏をよぎる。そしてまた腹が立つ。魔獣を討伐対象なのだろう?ならば、あの卵を割って殺せば良い。だが、あいつは泣いた。何故だ!憎いのだろうよ。魔獣はこの世界から消えてしまえば良いと考えているのだろう?だが、ケルベロスとはとても仲が良い。まるで俺とヒメの間柄で、互いに言葉が通じずとも理解している。
「腸が煮えくり返そうだ…」
どすの効いた声で人間の言葉を話せば、簡単に人間の姿に戻ってしまった。長らくこの姿でいる事が多かったせいだろう。全裸ではあるが誰が居るわけでもない。このまま目視で次の獲物を探していると人影が遠くに見え始めた為、立襟のシャツ、タイトパンツ、黒いジャケット等を異空間から取り出して着る。その人影は複数であり、彼らはどんどんこちらへと近づいてきた為、ラドは焔龍号を構えて到来を待つ。王国魔術士団の制服が2人と、先程の子どもだろうか?泣きべそかきながら、ある程度の距離を保った状況でラドと顔を合わせた。
「すみません、ここで毛むくじゃらの魔獣を見ませんでしたか?」
魔術士の1人に質問されたが、俺が喰ったとは言えず、
「そこの血溜まりの事か?」
そう答えれば、3人はギョッと目を見開く。
「肉片も何もないですね…」
「熊のような魔獣が喰い千切っていた。」
恐る恐る血溜まりに浮く毛を確認する魔術士にラドが仏頂面で答えると、喚き始める子ども。
「そうだ!もう一体が襲ってきて!喰われるかと思った!」
テルがいるのか、と思う程に煩い。いや、まだテルの方が賢いか。
「あの、これ以外の魔獣は退治されましたか?」
「しようと思って今のように構えたが。見ての通りだ。」
魔術士の追加の質問に、血のついていない焔龍号を見せると納得したようだ。魔術士同士で頷き合い、子どもの手を引っ張ろうとした瞬間、ラドは槍を子どもへ飛ばす。それは、野生の勘。魔術士が何も手が出ない速度で子どもの胸を突き刺すと、そいつはニタァと気持ち悪い笑みを浮かべた。気がついていない魔術士達がこちらにスティックを向けるものだから、ラドは地面を蹴って憐れな魔術士達にタックルして押し倒す。その反動で立ち上がり、子どもの形をした魔獣から焔龍号を引き抜こうと手を伸ばすと、後方へ飛び退く魔獣。
「ばっかじゃねえの!?自分の獲物くれちゃってさあ?」
「…先程の毛猿に喰われそうになっていた小物に言われる事じゃない。」
子どもの皮を破り捨てて出てくるのは、豚の頭がくっついた鶏の身体で、あまりの品の無さにラドは鼻で笑った。魔術士達はヨロヨロと立ち上がったが、呆然と魔獣を見ている。
「あぁ??」
「相棒、我慢しなくて良いぞ。その魔獣を喰ってしまえ。」
威嚇をしたつもりか、その不機嫌そうな声を出されても、ラドが怖気づく理由はない。さらっと焔龍号に声をかければ、焔龍号の大歓喜の火柱が上がって魔獣の肉体は焼失した。今度は、それに腰を抜かす魔術士達。
「い、今のは一体?」
「これは魔獣由来の武器で、意志がある。」
地面に落ちた焔龍号を拾って魔術士から離れていくと、わざわざ追いかけてくる。
「あ、あの、どちらに?」
「魔獣狩りの最中だ。邪魔するな。」
焔龍号を軽く振れば、魔術士はこちらと距離を取るが、
「で、では、町に帰ってこられたら話を詳しく」
「お前らに話す事は何もない。」
奴らはくい下がってきた為、苛立ちを露わにしていると、後ろから魔術士もう1人とリーフィが走ってくる。チッ、と舌打ちをすると、リーフィが急に立ち止まって頭を下げた。
「ら、ラドさん!狩りの邪魔をしてしまって、申し訳ごさいません!」
「リーフィ様、お知り合いですか?」
他の魔術士達が振り返り確認をとると、リーフィは何度も頷く。
「は、はい!魔獣退治を生業としていらっしゃる方です!」
涙目のリーフィによって、下らない質問攻めから逃れる事ができ、ラドは腹を立てたまま次の狩りへと向かった。
本当ならば、市場で美味しい野菜を眺めたり選んだりと、楽しむはずだったが、突然生まれたこの赤ん坊の傍を離れるわけにはいかない。だが、ケルベロスもリティアも隣に居てくれて心強かった。野菜を買う役目は双子となり、ディオン1人で貸してくれる人を探す。町の人は皆優しいから、すぐに借りられるとは思うが。ハルドから渡されたという図鑑をパラパラと捲るリティアが、
「セイリンちゃん、この子は『鉄鉱龍』らしいです。金剛龍ほどの頑丈さはありませんが、魔獣由来でなければ、どんな武器でも弾ける程の硬いようです。」
そう説明をしてくれる中、当の赤ん坊はケルベロスに抱きついていて、ケルベロスは煩わしそうに耳をパタパタと動かす。
「魔獣由来とは?」
「ディオンさんの金剛剣、ハルさんの飛龍牙などです。」
セイリンの質問に、即答するリティア。本当に頼りになる。可愛い赤ん坊を戦わせる事はないと思うが、狙われた場合はある程度は大丈夫だろう、と安心できる。
「それで、この子のお名前どうしますか?」
「え、鉄鉱龍だろう?」
瞳を輝かせるリティアに、セイリンが首を傾げると、
「それは種族名です。私達に名前があるように彼女にもつけましょう?」
「ん??彼女?」
名前の話から新しい情報が舞い込んできて、セイリンの首が更に傾いた。
「はい!先程、お尻を確認をさせてもらいましたが、女の子でした!」
自信満々に断言するリティアの笑顔が眩しい。そう言われても、すぐに思いつくものではない。ケルベロスにじゃれる赤ん坊を眺めていると、1つの言葉が頭の中に浮かび上がり、
「スズラン。」
スズランは、純粋さや、幸せの再来の花言葉を持つ。何故だか、これがしっくりきた。それ程の花言葉の知識を持たないセイリンでも絞り出せた事を自分で褒めたいくらいだ。
「スズランちゃん!可愛いお名前ですね!」
そんな事を知らないリティアは、両手を合わせて喜んでくれた。これで良いか、と1人納得していると、スズランがセイリンの膝に顔を乗せてきた。その瞳はとても透き通っていて綺麗だ。良い子、と頭を撫でれば気持ち良さそうに瞼を閉じた。パラッと次のページを捲ったリティアが、
「瞳の色で、生まれるまでずっと注がれた思いが分かるそうです!スズランさんは、銀色なので『大切に思う』らしいです!」
キラキラと瞳を輝かせた。セイリンの顔の温度が急上昇した事なんて知らないだろう。