274,少女は受け入れる
楽しみにしていたアップルパイをそのままにして、ハルドに卵を持ってもらって中庭に出れば、ほぼ待つ事なく殻にヒビが入る。皆が息を呑んで見守る中、セイリンは悩んでいた。ラドに言われた通り、本来であれば退治すべき対象。だが、それは魔獣といえど赤ん坊であり、弱者だ。そうであれば、セイリンからしたら守るべき対象となる。だからこそ、ラドによって突き付けられた自らの矛盾から逃れられない。今自分の目の前にこの誕生を恐怖する者はいない。リティアに至っては誰よりも前のめりになり、ハルドとリーフィに肩を掴まれている。ただ、同じ魔獣であるケルベロスは、セイリンの隣で4本の足に力を入れて卵を凝視していた。これは警戒だ。
「ほら、鳥は卵から生まれた時に最初に見る存在を親と認識するんだから、セイリン君が一番前だよ。」
ハルドからの何気ない発言に、心臓が飛び出るのではないかと思う程に驚いたセイリンは、手のひらを汗ばみながら皆の注目を受ける。この贈り物が自分ではなくてリティアだったら、自分がこんなにも苦しむ事はなかっただろうに。ハルドは言った、これは龍の卵だと。そうであってもやはり魔獣の卵だ。自分の反応が変わる事を予想していたからこそ、ラドはその言葉を出さなかった。
「大丈夫だよ。」
ハルドが手を差し伸べられて、セイリンは縋る事しかできない。自分の足でどんどん割れていく卵の前に立てない中、
「あのですね!魔獣だからとか人間だから、そんなのただの見た目にすぎません!魔獣であっても、身を挺して私達を守ってくれます。同じ人間だったとしても、容易に私達を傷つけます。今ここで大切なのはそんな外見ではなく、セイリンちゃんがこの赤ちゃんをどうしてあげたいか!です!」
リティアの力説が、セイリンの心を締め付けていた鎖を緩ませる。そうだ、矛盾は持っていて当然だ。寧ろ、矛盾がない人間なんてお目にかかれるものじゃない。だったら。
「そうだ、私は…。私は、親が居るかも分からないこの子を受け入れてやりたい。」
兄弟を持たずに独り寂しく孵化するこの魔獣の赤ん坊を抱き締める為に、殻が大きく割れた部位から見える位置へ自力で歩み寄って膝をついて屈んだ。セイリンの手よりも大きな爬虫類の前脚が1つ外に出てくると、バキバキと殻を潰して顔が見えてくる。鋼色の身体、蛙みたく平たい顔、爬虫類のような鋭い銀色の瞳が、私を見ている。
「おいで。」
セイリンが手を差し伸べると、鋼色の龍がもう片足を出して卵を割って、前に出ようとして卵の外に頭から落ちた。慌てて抱きかかえると、体液でヌルヌルであるだけでなく、なかなかに重い。腕を鍛えておいて良かったと思いつつ、ゆっくりと地面に降ろす。身体に見合わない程に小さな翼が頑張って動いていて、とても可愛らしい。
「可愛いです!!」
「蛙とトカゲの間の子って感じだねー!」
この誕生を喜ぶリティアとテル。まだ警戒を解かないケルベロスと、神経を尖らせるディオン。リーフィが1度家の中へ戻り、山程のタオルを持ってきてくれた。ハルドは終始笑顔だったが、
「結構ブサイクだな…」
と呟いたソラの耳を抓った。そんなこちらの事をぐるっと見渡して、
「ガァ?」
セイリンに首を傾げる仕草も愛らしい。
「ふふふふ。可愛いな。」
頭を撫でると、皮膚がゴツゴツしている。口がパカパカと何度も開くこの赤ん坊に、ハルドがどこからか出してきた魔石を投げる。シュルっと舌が伸びて、バキッと割って魔石を食べてしまった。
「そうか、腹減っていたのか。」
瞼を閉じて満足そうにセイリンの膝に顔を乗せてくるものだから、ゴツゴツと硬い頭を撫でてやる。
「セイリン君達だけで、この子が食べる魔石は賄えないな…。」
「木や岩に貼り付いている魔石は如何ですか?子ども達に取り方をお教えしましょう。」
うーん、と指で顎を触りながら悩むハルドに、提案するのはリーフィ。リーフィからリティアが1番にタオルを受け取って、タオル越しに赤ん坊の身体に触れると、テルもディオンもタオルで拭き始める。
「リティアさんの手元が光っているように見えるのは、気のせいでしょうか?」
「は、はい!?」
ディオンが、懸命に拭き取っているリティアの手を掬い上げると、彼女の顔が茹で蛸になった。2人に向けられたテルの視線が痛い。
「それは気のせいだろー。ディオン君、恋は盲目とは言うけどさー。」
「ええ、リティアさんはとても可愛らしいですよ。」
それを笑ってからかうハルドに、ディオンは恥ずかしがる事なく話に乗ってしまい、
「ディッ君より俺の方が!リティアちゃんの事好き!俺が結婚するの!」
テルが声を張り上げて、震え上がった赤ん坊がセイリンにしがみついた。
「おいおい、テル…張り合うな。決めるのはお前らじゃないだろうよ。リティアさんは頑張ってくれ。」
「へっ!?わ、私は…婚約者候補の方がいますので。」
ため息混じりのソラもタオルを受け取ると、リティアは両手をブンブンと振りながら重心が後ろへ行き、尻餅をつきそうになったが、ハルドの長い腕によって立ち上がらされる。近くにいるディオンの手よりも速くて、ディオンの鋭い眼差しがハルドへ向かうが、
「あー。リティはクラッシャーだな。」
「大丈夫ですよ、あのグレスさんは『元』と言っておりましたからね。」
愉快そうに笑い飛ばすハルド。ディオンもそれ以上の追撃はせずに、リティアへと笑顔で圧力をかけた。両手で頬を包むリティアの瞬きが止まらない。
「ご、ご勘弁を!」
持ち前の運動神経で、タオルを持って屈んだソラの上を飛び越えて、家の中に逃げ込むリティア。その姿はすぐに見えなくなったので、恐らく部屋に帰ったのだろう。その後ろ姿に開いた口が閉じないテル。ディオンは、まだ笑顔だ。
「グレス兄さんは、両親に無理やり破談させられたんですよね。」
「リーフィ、そういう話は今要らないよ。」
リーフィの呟きに、ハルドが素早く指摘したが、
「無理やりなんて、可哀想ではないですか?あの感じだと、リティはその人の事を好いてますよね?」
そこに切り込むのはセイリン。この手の話は嫌いだ。女性を何だと思っている?一族の繋がり、政略的な繋がりの為の道具だと言うのか?
「えっと…こればかりは一族内の話ですから。」
「全く。セイリン君の周りの御令嬢達の中で恋愛からの婚姻関係へ発展するケースは、ほぼないはずだよ。それはリティも一緒。」
気まずそうに俯くリーフィを後ろに下げたハルドは、セイリンを見据えてくる。笑顔でありながら、瞳の奥は笑っていない。これがこの国の常識。セイリンが壊したい壁。
「だったら!」
「ただ、ディオン君の言う通りで『元』。今は誰もいないはずだよね。幼馴染でずっと大好きな彼よりも、自分の方が良い男って見せるのはかなり大変だと思うけど、頑張れー。」
私がその常識を壊す、そう宣言するはずが、また愉快そうに笑みを浮かべたハルドの言葉が被り、テルとディオンに話が戻る。
「うっ…」
「この剣は折れませんから。」
ハルドによって口を閉ざされたセイリンの代わりに、テルが唸り、ディオンは勝ち誇るかのように良い笑顔だ。2人から若干引き気味のソラがセイリンの視界に飛び込み、
「ソラ、正直この2人どう思う?」
「子どもの遊びに見えます。」
軽く声をかけると、セイリンと同じように考えているようで安心した。
「だな、ディオンがテルの反応見て遊んでいるよな。」
セイリンは、喧嘩が勃発しそうな2人から視線をずらして目の前の可愛い存在を撫で回していた。