260,四番隊隊員は祈る
祝!260話!もうしばらくリーフィとお付き合い下さい。夏の時期くらいしかこの子をこんなに書くことができませんので。
因みにリーフィは成人なりたてですので、ディオンとあまり年齢が変わらないという。本編では出てこないかと思うので書いてしまう。
嫌な予感はしていた。あのような生々しい話で、想像力豊かなリティアの心が引っ張られるのではないか。だが、リーフィは話を変える事をしなかった。それによって引き起こされたと言っても過言ではない。何でこんなにも自分は無能なのかと、嘆いてもリティアから溢れる涙は止められない。子ども達は、心配そうに覗き込んできている。そして、ケルベロスはその大きな尻尾をゆっくり揺らすだけ。
「お恨み致します、ケルベロス様。」
貴方は故意に涎を落とした。あの状態のリティアの瞳には赤く映ったのだろう。
《いくらでも恨むと良い。歪さの是正はしてやらんと、守るに守れんからな。》
脳内に響くケルベロスの声。ほら、わざとだって事だ。
「リティちゃん…お、思い出しちゃった?」
テルが恐る恐るとこちらに声をかけてきて、ギョッとする。この子は、どうも何かを知っているらしい。この状態で、今はこちらを心配しているあの好奇心旺盛な貴族令嬢が首を突っ込むと面倒だ。リーフィは、ぐったりとしているリティアを抱き上げ、
「今は何もお伝えできません。僕の大切なリティア様をベッドにお連れします。」
彼らの視線を避けるようにリビングを出た。
ベッドに寝かせたリティアの髪を優しく撫でるリーフィは、どす黒い筋を部屋一面に張り巡らしていた。彼らが開けられないように、外から見られないように、その筋は必要時に蛇へと姿を変える物だ。眠る彼女の手を両手で包み込み、自らの信仰している女神に祈る。リティアが『聖女』になる資格を持つのだから、女神は救いの手を差し伸べて下さる筈だ。
《大丈夫だと思うけど、そんなに心配なら覗いてみるかい?》
聞き覚えのあるアルトとテノールの中間のような男性の声が聞こえ、リーフィはリティアの顔を覗き込む。
《あはは!彼女の口からこの声はしないよ。脳内会話って咄嗟に判断できないところからも、焦っているんだね。》
そして愉快そうに笑われた。一瞬で耳が熱くなるリーフィを、
《彼女は自分の中の違和感に何度も遭遇している。その場面が具体的に思い出せなくても、君達が考えるより以前から気がついて、疑問を持っている。》
ロゼットの真剣な声が現実へと引き戻した。自分は焦点の合わない彼女の枕元の花瓶の花を差し替える事しかできなかった中、リルド達が頑張って彼女の笑顔を取り戻した。それだというのに、彼女が何かの拍子に『気づき』から『理解』をする可能性がある。取り戻したあの笑顔をまた失うという事か。
「…そんな事って。」
《それで、彼女の心を覗くかい?》
打ちひしがれるリーフィの耳元で囁く声に首を横に振った。
「どんな事情があっても、他人の心を覗くような真似はしたくない…。」
《それが今の君の選択というわけだ。嫌いじゃないよ。救えるかは別として。》
目の前で眠るリティアに危機が迫っているという事か?術者を探して殺さねば。すぐさま黒い筋が反応して蛇の頭を出し、リーフィも空間を歪ませて武器を取り出す。
「ど、どういうこと…」
《別に彼女が死にかけているってわけじゃないけど、君の選択によっては他人の心の死をただ傍観しているだけになる。》
臨戦態勢になったリーフィを何処かで見ているかのように、ププッと笑うロゼットにからかわれたようだった。リーフィは、内心ムッとしながらも聞きたい事を声に出す。
「心の死って何…?」
《君が先程から危惧している事だよ。彼女の心が死にかけていたのを憶えているよね。》
彼の声は至って真剣だ。これが正しいのであれば、祖父の死後、身体を起こす事も、声を発する事も、そして笑う事もできなかったリティアは心が死にかけていたという事になる。
「あ、あ、あ…」
鮮明に頭の中で広がる光景は、ベッドで寝たきりのリティア。声をかけても反応を示さない彼女。
《何の為の右眼。使わないなんていずれ後悔するよ。》
「こんな物で何ができる…!」
そこに何故ただ他の人間と色が異なる右眼が関わるのかが理解できない。あの頃の憤りが溢れてきて、声を荒げる。荒らげてから一瞬で熱は冷めて子ども達の気配を探るが、とりあえずここには来ていないようで胸を撫で下ろした。
《できる。魔石の埋め込みなしに他人の心へ入り込むその瞳は、どの魔法士よりも精霊に近しい力。》
「えっ…」
静かだが、力強いロゼットの言葉に、リーフィは何度も瞬きをすると、
《君は卑下し過ぎだよ。それだけの力を持っていて、何を恐れる必要がある。》
「こ、こんな出来損ないの僕に、それ程の物があるというの?」
クスッと笑う穏やかな声に戻る彼。あまりにも信じられない事に、不安が先立つリーフィ。
《ある。おいで、練習しよう。》
目の前で緑色の精霊が凝集して、人間の男の左手の形を成した。その手がリーフィの右眼の眼帯を外し、
《君の力を引き出す。それが俺が『聖女』より授かった力だから。》
そしてリーフィの右眼で見える視界が広がり、身体は動いていないというのに、急激にリティアの胸へと引き込まれる感覚に襲われた。
キラキラと陽の光が差し込む大森林が広がっていて、リーフィは咲き乱れる花を踏まないように恐る恐るつま先立ちで歩いていると、可愛らしい笑い声が聞こえた。
「フィーさん!どうしてそんな歩き方しているのですか?」
「ティアちゃん…いやー、花を踏まないよう気をつけていたんだよ。」
舞い上がる花びらみたいにふわふわと浮かぶリティアが笑顔を浮かべていて、リーフィも自然と笑顔になった。
「大丈夫ですよ!ほら、こうやって浮けます!まるで魔法でも使っているみたいで楽しいです!」
「ティアちゃんが元気そうで良かった。」
リーフィの周りを浮かびながらくるくると回る彼女は本当に楽しそうで、先程まで心配していたリーフィも安堵した。自分の言葉で彼女の可愛らしい花の笑顔が萎んでしまい、
「…ごめんなさい。ケルベロスさんの涎だって頭は理解したのに、心が悲鳴を上げてどうする事もできなかったのです。」
ペコリと頭を下げてきた。どう言葉かけをすれば正解か、リーフィには分からず言葉を紡ぐ事ができずにいると、
「フィーさん、綺麗な赤いダリアが咲き誇っておりますね。」
「あっ!?」
リティアの指がリーフィの右頬に触れてきて、慌てて眼帯があった筈の部位を手で探せば、布が手に当たらない。その手すら見えている。
「本当に綺麗ですよね!私は大好きです!」
「…ありがとう。ティアちゃんだけだよ、そうやって言ってくれるの。」
また花咲いた彼女の笑顔に、こちらの顔も綻ぶ。
「端から見ていると、まるで仲良し姉妹だね。」
「精霊さん!」
「ロゼットさん?」
ロゼットの声が何処からか聞こえて、2人の声が重なった。2人の視線が交わった時に、リティアの瞳に人間のシルエットが映っていて、リーフィは後ろを振り返る。そこには緑色の精霊のみが織り成す、人間と同じ姿をした人形が立っていた。薄い空色の髪と、硬質な翡翠色の脚が印象的だ。
「どうしたのかな?」
「あ、え、その。アリシアさんと一緒に踊っていた人ですよね?」
成人した男の顔でありながら、無邪気な笑顔を向けてくるロゼットに、リティアの頬が少し紅く染まった。リーフィの脳内が警鐘を鳴らすと、今の今まで手元になかった愛用している武器が一瞬で装備される。
「うん、そうだよ。だから彼女は俺があの地下室に居ない事で悲鳴を上げた。」
「…精霊人形アリシアの双子、ロゼットですね。心臓である互いの精霊石を割って混ぜ合わせた唯一無二の存在。」
何かを懐かしむロゼットへと、リティアを守る為にリーフィが距離を詰めると、彼は風となって姿を消した。