258,少年は巻き込む
地図を手に入れたソラは、どんちゃん騒ぎせずに市場で真面目に仕事をしている町の人達に挨拶されながら、魔獣討伐に使える物がないかと物色していた。瞼が腫れ上がったリティアを心配する勇ましそうな婦人から、この地域で広く使われている薬をいくつか貰う事はあったが、元々食料品に特化した市場であった為、ソラ自体は収穫といえる収穫はなかった。リティアは、薬をくれた婦人達に色々と聞いていたようだが、ソラがその話の断片を聞いても、
「それで何の話をしてたんだ?」
「ヒトデの体液の採取方法です。」
機嫌良く答えてくるリティアに、これ以上は聞かなかった。聞けば答えてくれるだろうが、生き生きと話すリティアは止まらなくなるだろう。そこまでして聞きたいわけでもない。2人は、行き交う人達と挨拶を交わしながら、あの屋台通りを通過せずに家へと帰る。早朝から騒がしくて、昼からは家に籠もりたいソラ。リティアは、まじまじと貰った小瓶の中に入っている粉末を眺めている。門の取っ手を掴むと、
「バウ!」
「おっと!?」
後ろから犬に一鳴きされて、ソラは驚いて振り返れば、
「ケルベロスさん、ただいま戻りました!」
ケルベロスが一匹で散歩していたようで、リティアが抱きしめに行って、寸前でスカッと空振り。
「ケルベロスさんが、手厳しい…」
明らかに落ち込むリティア。ケルベロスはというと、尻尾をブンブンと勢い良く振っていた。そこにリーフィが帰ってくる。町の人達に大きく手を振る3人も一緒だ。
「ティアちゃん大丈夫?」
「ケルベロスさんに、触らせてもらえません…」
抱きしめられなかった形のまま止まっていたリティアを心配するリーフィと、ケルベロスを指差すセイリン。
「ケルベロス、リティを苛めるんじゃない!」
「クゥーン?」
ソラからしたら可愛くないが、あの3つの顔でセイリンに上目遣いをしてきて、口元が緩み出したセイリンの勢いが消失する。リーフィがシャツの下に手を入れたと思えば、
「…ケルベロス様、切り裂いてよろしいですか?」
「フィーさん、それはやめてください!!?」
静かな声で笑みを浮かべてナイフを取り出して振り上げると、リティアが大慌てで両手を広げて止めに入る。その光景を静かに見ていたテルが、
「こわっ…。目の色が変わったよ。」
「リティアさんを少しでも傷つけるような事があったら、誰であっても命はありませんね。」
ソラに駆け寄りながらボソッと呟き、後ろからついてきたディオンが苦笑した。ソラは口にさえ出さなかったが、リティアの保護者は狂犬か猛獣なのか、と呆れていた。
テル曰く、夜も食べに来いと店主達に誘われたようだが、翌朝早くから用事があるから、とリーフィが断ったそうだ。昼食も不要なくらい胃袋に食べ物が詰められている中、リーフィとリティアは、仲良く市場に買い物に行った。ソファに座ってアクセサリーを作るテルに明日の予定を聞くと、
「いや、俺もよく知らないんだけど。どこかに連れて行ってくれるらしい。」
「ラーフル聖堂の内部だ。リティが行きたいと言ったらしい。」
テルが首を傾げ、代わりにセイリンがため息混じりに答えた。ラーフル聖堂は、先程までリティアと結界について話していたあの建物だ。あれだけ試行しても無理だったというのに。
「俺は入れなかったけど、リーフィさんは入れるのか。」
「…ん?」
ボソッと呟けば、セイリンの顔が引き攣る。何故入れなかったかを理解できなかったのかと考え、
「気になったから、入ろうとしたら結界に阻まれたんだ。」
「手ぶらで!?ソラは武器とか持ってないよね!?」
説明をしたら、テルが目が飛び出る程に驚き、セイリンは何も発さずに頭を抱えた。ディオンが彼女の背中を優しく擦ると、彼女に身を翻して避けられていた。
「ああ。そうだ。俺も戦う武器が欲しい。」
「ナイフならあるよ。明日貸そうか。」
テルが4本はあるよ、と笑顔を向けてきたが、ソラは首を横に振った。明日の事ではなくこれからの事だ。ソラは改めて3人を見渡し、
「俺にはそれは難しい。スティックを作りたい。ハルド先生が到着する前に魔獣から魔石を取りたいんだが、手伝ってくれないか?」
「話が急だな。」
そう頼むと、セイリンから盛大なため息が漏れた。ディオンは苦笑いを浮かべて、ただ瞬きをしているテル。彼らの目の前で、テーブルの上に地図を広げて、
「テル達が飯食っている間に、リティアさんと話し合ったんだ。古い物だが、とりあえず近郊の地図はある。海の中は難しいが、海岸に上がる魔獣なら倒せるかもしれない。リーフィさんにも付いてきてもらえれば更に可能性が上がる。」
地図を覗く彼らを巻き込む。主に戦う人間はどうしても固定となってしまう為、早めに自分にできる事を探さねばいけない。先程までこちらに呆れていたセイリンの目が輝いたように見える。
「なるほど。あれだけ戦える『保護者』同伴の下、私達は対魔獣戦となるわけだ。ハルド先生みたいなお膳立てなしに。なかなか良い経験になるかもな。」
「えー。セイリンさん、やる気なのー?」
不敵な笑みを浮かべるセイリンに、テルは若干引き気味になった。彼女はその笑みのまま、テルにグッと顔を近づけて指でテルの額を弾く。
「いだっ!?」
「それはそうだ。町で生活していると、実戦はなかなかできない。」
だろ?と彼女がディオンを同意を求めると、
「リティアさんが賛同しているのであれば、リーフィさんはついてきてくれるでしょうね。」
苦笑いのまま固定されるディオンの表情。彼が乗り気ではなくても、セイリンがやるなら彼もついてくる。テルは置いて行かれる事を嫌がるだろう。であればあの盾も当てにできる。セイリンが準備運動を始めると、家の扉が開いて2人が山盛りの食材を手に帰ってきてリビングへと入ってきた。リティアの左肩には見た事のない麻のトートバッグがかかっている。やる気満々のセイリンと目を合わせたリーフィは、肩を竦める。
「皆さん、本当に元気ですね。まずはクッキーとお茶でも飲んでからにしましょうか。ティアちゃんもそれで良いよね?」
「はい!お手伝いします!」
既に笑顔を咲かせているリティアによって、リーフィは言い包められた後だったようだ。ソラは静かに考える。どう戦えば確実に手に入るのかを。
夕焼け空を飛び回る蝙蝠の軍勢が、不気味さを引き立てていた。数人の隊長の声が轟き、住民の避難が終了した村を囲うように魔術士と騎士の合同部隊が持ち場で己の武器を構えて警戒する。その中に騎士でありながら、複数の騎士に守られている青年が家の壁に寄りかかっていた。ヘルムを乱暴に外すと、控えている従者に放り投げる。ライム色の髪をかき上げてわざとらしくため息を吐いた。どす黒い瞳で、自分達より後方でスティックを振り上げる魔術士団見習いを睨みつける。
「ダイロ様、せめてヘルムをお付けくださいませ。」
「ガルフ、俺に命令するなよ?くそ…低能とはいえ王女であるあの女との婚姻が、あの優男のせいで水の泡になったんだ。胸糞悪いな、おい。」
ヘルムを受け取った騎士が跪いてヘルムを差し出すと、舌打ちするダイロはヘルムを拳で飛ばした。ダイロを取り巻く他の騎士が拾い上げて、差し出しに行き、低い声で、
「あの者は魔術士団団長の甥です。あまり、中傷なさらない方がよろしいかと。グッ…」
「黙れ。そのくらい知っている。『社交界の青薔薇』。久々に帰ってきたと思えば、以前のような近寄り難い雰囲気が消えやがった。本当に花が咲くように笑みを浮かべて、女どもの心を掻っ攫う輩だ。」
深々と頭を垂れるその騎士を蹴り飛ばし、転がった騎士を見下すダイロ。
「この戦いに乗じて始末さえできちまえば…」
ブツブツと呟けば、周囲の騎士達は戦の前から震え上がっていた。