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252,少女の前で咲き誇る

 クラーケンは、こちらで遊んでいる。愉快そうに触手を動かしながら、誘いに乗ってきた。セイリンは、すぐさまリティアと練習したあの防御魔術陣を描き、クラーケンから発射された墨の刃を無効化する。最初は雨傘であった。どう発動するかはセイリンには選べないが、

「いくらでもやると良い!お前の攻撃など怖くはない!」

全てを集中させて、リーフィ達が動きやすくなれば、万々歳だ。攻撃が降り注ぐ中、防御魔術を互いに発動させながら無傷の魔術士2人が隣に寄ってきて、

「危ないから下がっていなさい!」

「いえ、下がりません!私が咲かせる白百合があれば、民を守れますので!」

魔術士に叱られても、強気で言い返す。その間もセイリンの魔術発動は雨傘ばかりだが、テルの小剣が触手のありとあらゆる所に刺さり、クラーケンの動きを鈍らせるだけの事はできていた為、何とか攻撃を凌げていた。魔術士達は、魔術陣を描いている最中に無理やり止めに入る事はしなかった。魔術陣が中途半端で終わる事を恐れたのだろう。下手すると、近くにいる者全てが、爆発に巻き込まれる。ケルベロスに乗るリーフィが、ヒレごと胴体を曲げたクラーケンの上へと飛び降りると、くるくると回りながら巨大な爪で肉を千切っていく。ディオンはというと、何度もこちらを確認する素振りを見せながら、テルが小剣を投げる方向と反対側で剣を構え、向かってくる触手を斬りつけ続けた。クラーケンの胴体が空へと真っ直ぐに上がり始めると、リーフィが壁を走るように奴の胴体を駆け上がり、顔があるであろう前面が砂浜と垂直になった時、爪をその胴体を食い込ませながら、リーフィの自重で顔まで滑り降りた。

「大丈夫…僕が守る!」

まるでセイリンのように自分に言い聞かせるリーフィの声が、セイリンの耳の中で木霊し、

「魔術士のお二方!これでも私は魔術士の卵である!私に構わず、民を守る事を優先するんだ!ここで全員やられたら、誰が戦うというのか!」

同じ思いを抱く者として、うまくできない自分を励ましているように感じる。貴族としての命令口調と共に、彼らを獣のような鋭い眼差しを向ければ、彼らの唇が引き締まる。

「分かった!絶対に死に急がないでくれ!ロディ、先の位置に戻るぞ!」

「ああ!お嬢さん、危なかったら逃げるんだぞ!」

「はい!大丈夫です!」

魔術士達に心配されながらも、セイリンは更に前へと歩み出る。大きな爪痕がついたクラーケンの胴体から緑色の血が大量に海へと流れ、大海原から背ビレが飛び出す魚が集まってくる。それが、海面から顔を出せば剣のように鋭い牙を剥き出しにしてクラーケンの背後から喰らいつく。こいつらは、ただの魚じゃない、魚型の魔獣だ。先程までゆっくりと前進してきたクラーケンが、その痛みから逃げる為か、目にも止まらぬ速さで砂浜に上がりきり、再び身体を直角に曲げてきた。セイリンも奴を見据えて魔術陣を描き始めれば、

「お姉ちゃん、頑張って!」

「頑張って下さい!」

民が観戦していた背後から、小さな子どもの声と若い女性の声が耳に届く。それは一斉に開花する花畑のように、セイリンへと様々な人の声援が向けられ、

「セイリン君、大丈夫。君ならできる。」

倒れた魔術士に手を当てて治癒しているリーズからの声が、セイリンの中で1番大きな花を開かせた。セイリンの瞳の先にいるクラーケンは、テルによってこれ以上の進攻を封じられ、ディオンによって触手を切り落とされ、リーフィによって胴体の肉を抉られている。ここで私がやらねば!と、自然と指に力が入る。

「わ!た、し、が!守る!んだ!!」

スティックにいつも以上に風の抵抗を感じながら力強く描いていくと、クラーケンから無数の墨の刃が発射された。突然の無音。時が止まったのか、と錯覚する程に静かだった。セイリンの前に黒い刃は見る事すらできず、目の前では、視界を埋め尽くす程の数の純白な百合の大輪がクラーケンに花柱を見せる形で咲き誇っていた。無音を引き裂く程の歓声が後ろの民から上がるとすぐに、


ピィィィィィィ!!


聞き覚えのある高音の笛の音が響き、その音と重なるように翼が風に掠れる音が耳に届く。誰もが違和感を覚えて空を見上げると、鳥型魔獣の群れが町に押し寄せてきていた。民のざわめきと悲鳴が交差するが、

「皆の者!!魔獣の群れが通れるように砂浜への道を開けよ!!」

セイリンの怒号とも言える大声が、民を有無を言わさずに動かす。日々、命令する事に慣れている声にはそれだけの強制力があった。セイリンはあの音でリティアの笛を思い出し、そして走り去ったソラの作戦と判断し、それは正しかったと確信した。サンダルを脱ぎ捨てたソラが笛を何度も吹き鳴らし、こちらへと走ってくる。到着まで百合が保てば良いが運に任せては勝てない。セイリンはまだ百合が咲き誇る中、もう一度魔術陣を描きながら、

「ソラ!そのまま突っ切るんだ!」

民に通る声を張り上げれば、笛の音が2回3回と途切れながら返事のように聞こえた。

「テル!下がって下さい!ケルベロス、お願い致します!」

見えない向こう側でディオンの声。その間だって、肉を切り裂く音と水が打ち付けられる音は続く。墨の刃も飛び交っているのであろう。それ程時間も経たずにケルベロスに乗せられたテルがセイリンの隣で降りて、慌てながら手の平くらいのメモ帳と魔石を構えた。魔術士達は背後から迫ってくる魔獣を警戒し、スティックを構えた。先程負傷していた魔術士がゆっくりと立ち上がる姿が、ソラの動きを確認しているセイリンの目に映った。


ピィィイッ!!?


笛を吹きながら走ってきたソラが、砂浜に足を取られて転び、笛が空中に飛ぶ。鳥型魔獣は、目標としていたソラへと急降下してきて、

「ソラ!!」

彼へと駆け寄るテルの手から土の防御壁魔術が発動し、空中で回転している笛を、

「ロディ!俺に笛が来るように風を吹かせてくれ!」

「ああ!」

負傷をしていた魔術士が仲間に声をかけて、笛を受け取って、


ピィィィィィ!


安定した音を鳴らしながら、ソラの代わりに走る。今や観客達は、声を出す事なく息を呑んでこの戦いの行方を見守り、中には両手を握り込んで祈る者、涙を流す者、勇ましくも魔獣に襲われそうになったソラを助けに走り出した者もいた。

「君は左へ!魔獣がクラーケンに喰らいついた瞬間を狙う!」

「承知致しました!!」

徐々に薄れていく百合の幻の中、追い風でも受けているかのように速く走るリーフィと、ケルベロスに乗るディオンがまるで長らく共に戦っている間柄のように、互いにうまく立ち回っていて、少し羨ましく思えるセイリンがいる。しかし、今はそれどころではない。クラーケンがディオン達に翻弄されている間に、セイリン自体が民の近くへと走る。素早く傘を二段発動したり、ハルドに習った盾魔術を使って敵をバッシュしたりと、クラーケンではなく人間を喰おうとする鳥型魔獣を弾いていく。


ピィィィッ、ピ!


魔術士の笛の音が不規則に鳴ると、人間から魔獣の興味が逸れて、また笛の音を追いかける。その音に喜ぶ魚が更に陸に乗り上げようとし、鳥型魔獣の機敏さに磨きがかかった。獲物を見つけたのだ。それを言われずとも理解した魔術士は笛を口から離し、ロディが風の魔術を彼の足にかける。クラーケンに背を向けて走り出す彼を守るように、ケルベロスとディオンがクラーケンとの間に入った。肉食鳥達が歓喜の悲鳴を上げながら、目の前の大物に襲いかかると、あっという間にクラーケンが劣勢になり後退りを始めたが、背後にも口を大きく開けた魚が喰らいつく。四面楚歌になったクラーケンを鳥が啄み始めたところで、ケルベロスに奴の頭上まで運ばれたディオンが、空中に飛び上がって金剛剣を振り落とすと、クラーケンの身体は緑色の血を噴き出した。

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