243,一番隊隊員は錯覚する
どれだけ時間が経ったか分からないが、いつの間にか木箱を全て開け終わっていた。開け終わったといえど、大した収穫はなかったのだが。羊皮紙の確認がてら仕分けると、同じ事を何度も書き直した紙が多いだけでなく欠落部分が多数見つかった。人形の土に関しては『特別な土』と記載されただけで、詳細部分にはインクを溢したようで黒塗りされて読む事すらできない。また、精霊石の見分け方、使い方に関するものは何1つとして出てこない。欲しかった心臓の作り方についての紙は、とりあえず1枚だけ記載があった。そこには世界樹の蕾に石を添える事とその蕾を開く事が書かれていたが、リガはその木の存在を知らなかった。リガは手に入った戦利品を眺めながらため息を吐く。そしてリコに視線を向けると、疲れのせいか、彼女の顔色が優れないように見えたので、
「祖母様、部屋でゆっくり確認しましょう。」
木箱に不要部分を戻しながら声をかけると、
「…帰れないと思うの。扉が閉まって開くわ。」
「どういう意味ですか?」
謎めいた事を言うリコ。リガは首を傾げたが手を止める事なく、片付けていると棺に足先をぶつけた。ガタガタと勝手に立ち上がる棺達に、リガの口がポカンと開く。
「っ!?勝手に動いた!」
「日が沈んだのよ。棺が扉になって『あちら側』が開くの。」
痛めた足を擦ると、リコの人差し指から白い精霊が飛び出してリガの負傷を治癒した。棺が起き上がる事で落ちそうになったカノンを、リコが優しい風を起こして手元に引き寄せて抱き上げる。
「よ、よくご存知で。」
「本来ならリザンさんが管理する『あちら側』の権限が、私に回ってきたの。リダクトが昔から、喉から手が出る程に欲していたものよ。」
ゆっくりと立ち上がったリコを支えるように手を差し伸べれば、カノンを手渡されて左腕に眠る彼女を座らせた。こんな話を自分が聞いて良いのか、不安になったリガは咄嗟に空いている片手で口を押さえ、
「!?父が欲しい情報を俺に話しては駄目なんです!」
「子ども達は知っている事だから大丈夫。この権限はいずれリルドちゃんか、リティアちゃんに譲るつもりだから、手を出せないはずよ。」
リガの焦りを落ち着かせるような優しい表情で微笑むリコが、立ち上がった棺のうち真ん中の棺の蓋を1つだけ外すと、どこかへ続く白い階段が現れた。そちらへとリコが手招きして、リガも後ろを振り返りながらついて行く。リコの言っていたように書庫から降りてきた階段の上部が暗闇と化している。あの重そうな扉が音を立てずに閉まったと言うことだろうか。リガがキョロキョロと見渡しながらリコの後ろに続くと、
「リガちゃん、私が天寿を全うしたら、この心臓をリルドちゃんに渡してね。」
いつになるか分からない口約束をリガに取り付けるリコと、
「はい、その時は必ず。」
リガは心の動揺に気が付かれないように、声を抑えて約束した。
階段を降りた先には、青い炎の蝋燭の灯りが壁に幾つもかけられている部屋が青に染まっていた。床に踏み出せば、床全体に刻まれた魔術陣が目に映り、上を見上げれば、土に埋もれて空を映し出すことのないステンドガラスの大きな窓がある。そして部屋の中心には、先程とは比べ物にならない程に装飾された豪華な棺が1つ、安置されていた。
「失礼のないようにね。」
「は、はい。」
リコの小声に合わせて、声を潜めるリガ。ご先祖様が眠られているであろう棺を前に、胸が高鳴る。聖者リセだろうか、それとも更に昔の誰かなのか。骨しか残っていないだろうが、なかなかお目にかかれるものではない。リガの肩に頭を傾けて眠るカノンを落とさないように細心の注意を払いながら、リコの隣に並んで棺へと近づき…
「ど、どういう事…?」
棺の中で大ぶりの白い花の蕾に囲まれた、胸の上で綺麗なスミレの花束を優しく両手で握る、大精霊ルーナ教の正装を身に纏った存在にリガの瞳は釘付けになる。サラサラとした艶のある銀髪、瞼が閉じられて長さが強調された整った睫毛、ほんのり赤くぷっくりとした唇、正装と同じくらい白くて玉のような肌。ミイラでも白骨でもない、ただ眠っているように錯覚してしまう。それを青い灯りが全て青く見せるのだろうが、リガは手元に自ら出現させた光体がある為、あるべき姿を目にする事ができた。
「ここにいらっしゃるのよ。さあ、世界樹の蕾を頂きましょうか。」
リコが、その御遺体の周りに添えられている白い蕾を手折ると、
《カノンちゃんをどうか宜しくお願い致します。その花が咲き誇る頃には、覚醒めるはずです。》
リーの声がリガの脳内に届き、聞こえていたのであろうリコが静かに頷いた。
「あとは、咲かせるだけですね。」
リガが、カノンに持たせていた魔石と精霊石を蕾の先端の隙間から押し込むと、蕾の中にボワッと茶色の光が灯る。
「それが大変との事よ。だから、ルナ様以降に精霊人形を完成させた者は存在しないの。」
頑張りましょうね、とリコがカノンの頭を撫でると、揺れただけだと思うがこの子が頷いたようにリガには見えた気がした。リガが棺から埃を立てないように慎重に下がると、どこかでガチャリと錠が外れる音がする。リコがふわふわと宙に浮き始めたが、身体がぐらついて落下しそうになった。釣られるよう浮かび上がったリガは、カノンを抱えていない右腕をリコの腰に回してしっかりと固定させる。
「あら、逞しくなりましたね。」
「はい、リルド様のお陰です。どちらに向かえば良いでしょうか?」
至近距離になったリコが再び頭を撫でてきて、くすぐったい気持ちになるリガは目的地を聞く。
「あの窓に触れると出られるわ。出てからがかなり身体に負担がかかるのだけれど…」
「では朝になるまで待ちますか?」
目を伏せた彼女は若くない。負担が命取りになったらと思うと、床に足をつけるべきかと悩むが、
「いえ、家を我が物顔する者が帰宅しているでしょうから、すぐに帰ります。」
「無理なさらないで下さい。」
ステンドガラスを見据える彼女から強い意志を感じた。そんな、誰が、と思ったが今は口にせず、疲れが滲み出ている彼女を心配する。リガは慎重に風を動かして、カノンが落ちないように同じ体勢を保ってステンドガラスへと近づく。両手が塞がっているリガの代わりにリコが窓に触れると、ギギギ…とガラス全体が下がり始め、地上へと繋がる階段が現れた。
「このまま浮いて行きますから、祖母様は身体を預けて下さい。」
「ありがとうねぇ…」
リコの重心がリガの胴体にかかった事を確認してから、外に抜ける風と共にまだ暗闇に包まれた離れの庭から地上へ出た。ここから先程まで居た邸宅まで邸宅の敷地含めた5軒分以上の距離があるだろうか…歩いて帰るには遠そうだ。
「これは祖母様には厳しい距離ですね…」
「そうね~、頑張りましょう。」
階段を昇ってきた地面には、何事もなかったかのように植物の息吹が皆無な花壇がある。一方通行の仕掛けなのだろう。腕に座らせていたカノンを腕の中で滑らせて脇に固定しているところで、リコがリガから降りようとする。バランスが崩れたリコを抱え直し、
「いえ、くっついていて下さい。あそこまで飛びます。」
砂埃が巻き上がる程の風を起こして、タン!っと地面を蹴り上げるといとも簡単に邸宅へと辿り着いた。それと同時に何処からか帰宅した馬車も門の前で停止し、従者にエスコートされるように女性が降りてくる。その瞬間から真横のリコからピリピリとした緊張感が伝わり、すぐさま彼女を地面に下ろして、後ろに控える形になったリガはカノンをまた優しく腕に座らせた。背筋がピンと伸びたリコから世界樹の蕾を預かってから、馬車から降りてきた女性に目を向けて理解する。彼女は、リルドとリティアの母親リリィだ。兄から引き継いだ自分の慈善活動が、どう貶されても負けるつもりはない。小さく息を吐いたリガは、心強い仲間のリコと共にその女性との戦いに向かった。