241,教師は温める
ラドが音に釣られて振り返ると、業火の中に先程まで存在しなかった銀色の卵が転がっていた。その周りで焼け落ちている巨鳥の死骸から飛び出した剥き出しの魔石が、独りで卵に吸い寄せられて吸収されていく。
「隊長補佐殿、あの魔獣の卵を回収します。先に避難して下さい。」
ラドは水の盾をすり抜けて檻の中心へと飛び出した。水の盾によって一瞬濡れたがこの炎の海の中では感嘆に蒸発する。ラドは、暴れる炎の精霊を捕まえられるだけ自分の体内に放り込んでいきながら、両腕で抱える程の大きさの銀の卵を持ち上げた。そして即座に理解する、これはラドの心臓も差し出せと命じてきている。心臓半分だけの純度の高い赤い魔石をこの魔獣にくれてやるつもりはない。であれば、戦うまで。これだけの炎の精霊が飛び回る檻は、ラドの絶対的な味方になった。この空間の炎をラドが吸収して、卵を抱き上げている両手から赤かった炎を高温へ跳ね上げた青色にし、卵に手の平から出現させた青い炎の槍を突き刺す。ブルルッと卵が震える感触があったが、表面の殻に傷一つついていなかった。効果がなかったのかと考えたが、そうでもなかったらしく、卵がラドの身体の魔石に手を伸ばす事を諦めたようで、頭へと働きかけてきた自殺衝動がパタリと消えた。業火が消えた檻はどこにも焦げはなく、綺麗な壁紙が健在だ。崩れ落ちるシャンデリアもなく、ここで戦闘があったかを確認するには、床に転がっている魔獣の残骸を見る以外なかった。
「戦闘終了ですね。その卵はどうしますか?」
「あの炎に負けなかったこれから、何が生まれてくるのかが気になります。」
リグレスが退避せずに待っていたらしく、パチパチと小さく拍手をしていた。彼に一礼してから、ラドは卵を小さな出入り口から通路へ押し出してリグレスより先に退出し、最後にリグレスが通路へ姿を現す形になった。ラドは、ハルドが介抱しているジャックに近づき、先程集めた精霊を体内にゆっくり流し込んでいく。急激に精霊を詰めると、魔石中毒症状が現れる危険性がある。あくまで彼の中の精霊の循環に合わせる形で目覚める為に必要な分を取り込ませた。リデッキが怪訝そうな表情を浮かべ、リゾンドとリゴンと共に触れないくらいの距離感で観察し始め、
「この卵はどこから出てきたのだ?」
「突然、シャンデリアの真下に出現してあの炎の中に落ちてきました。かなり頑丈で、魔獣達の魔石を食い物にしましたよ。」
リグレスへと視線を向けたので、まずはリグレスが答える。
「自分も心臓を奪われそうになりました。自殺衝動に駆られる感覚に襲われました。」
「なるほど。下手に触らなそうが良さそうだが、力尽くで壊す事も難しそうだな。」
彼の口が閉まってすぐにラドも補足を入れると、リデッキは顎に拳を当てて眉をひそめていると、ジャックに膝を貸しているハルドが上体だけを動かして卵に手を伸ばす。
「飛龍が『龍』の卵と断定した。折角だからラド、子育てしてみたらどうだい?」
「…お前の頭でかち割ってやろうか?」
クスッと笑みを浮かべるハルドに、ラドがぶつけてやろうと卵を両手で持ち上げると、
「喧嘩をするほど仲が良いって言うよね~。」
「あ、おはよう、ジャック。この後も戦えそうかい?」
ジャックがやっと目を覚まして、ハルドが優しく頭を撫でた。何処からともなく静かに近づいてきた無言のケーフィスが、下から掬い上げる形でラドから卵を奪っていった。
「無理でーす!焔龍号に喰われると思わなかったね!」
上体を起こしてブンブンと顔を横に振るジャックに、淀めく団員達。ハルドの飛龍牙と、ラドの焔龍号に彼らの視線が注がれていて、
「お、結構知らない団員が多いんだね。魔獣素材を使用した物には注意した方が良いよ。」
ハルドは、注意事項を述べているとは思えない笑顔を団員達に振り撒いた。
「魔獣素材の武器を扱える者は少ないからな。では、魔力消耗が激しいジャック、リグレス、リゾンドはここに残れ。後は残った者達で退治しよう。残りの一番隊は動けるか?」
ハルドに相づちを打ったリデッキが口を開けば団員が注目し、笑顔を向けていたハルドの表情も引き締まる。
「団長!自分はまだ戦えます!」
名前を呼ばれて慌てて声を張り上げるリゾンドに、リデッキは顔を縦には振らなかった為、リゾンドの歯切りが通路内で反響する。
「ジャックとリグレスが残るのでしたら、ラドと卵を残します。ラドはお腹いっぱい元気いっぱいでしょうからゲリラ戦になっても戦えるはずです。」
パンパンと服の皺を伸ばしながら立ち上がるハルドにラドが殴りかかるが、その拳は硬い卵にぶつかった。最早気配すら察知させない無表情のケーフィスが、再び邪魔をしてきたのだ。
「ラド、落ち着け。何で今日はこんなに突っかかるんだ。」
ため息すら吐かないケーフィスがラドの頭に卵を乗せて離れると、人間1人以上の重さにラドの首が悲鳴を上げた。ゴロンと首から背中へと転がった卵は、床に落ちても割れる事はなく、
「仕事に私情を持ち込むな。では、お前達行くぞ。」
何故かリデッキに叱られ、待機組として転床に落ちた卵を光の入らない窓側へと転がす。隣の教室の鉄格子を壊して侵入する団員達を見送ったジャックは身体が怠いのか、再び寝転がった。勝手にロビーへと歩き始めるリゾンドの後ろをリグレスは音を立てずに尾行し始め、ラドもついて行こうと彼らに視線を向けると、リグレスの手で制止を受けてその場に座り込む。
「は、吐きそう…」
ぐったりとするジャックを横目に、ラドはこの『龍』の卵を抱きかかえるように温めると、ドクンドクンと心臓の音が耳まで届いた。
何度かは足を運んだ事がある白い煉瓦を維持している邸宅の中へと踏み入れる。繊細な刺繍が施されている白色のドレスを身に纏ったカノンを落ち着いた色調でまとめられている客室のソファに座らせたリガは、リルドからの頼まれ物をこなす為に通路ですれ違う従者達に頭を下げられながら1階書庫の中にある地下階段へと向かった。最近になって祖母リコがこの屋敷で過ごしていると聞いたので、都合が合えば見舞いに行きたい。しかし自分もリコも、リルドの母リリィとの折り合いが悪く、彼女がお茶会から帰宅する時間には帰りたいとも考えてしまう。そうぐるぐると考えながら書庫へ入り、自らで作り出す光体をランプ代わりに使って軽く本のタイトルを目で確認していくが、どれもこれも比較的新しい物ばかりだ。やはり、リルドの読み通りルナや精霊人形関連の物は、本棚を退けた床と同じ材質の扉の下にある階段を降りなくてはいけなさそうだ。
「あまり見聞きすると、あの父に漏れるかもしれないのが嫌だな…祖父様が御健在であれば助けて頂けただろうに。」
ぽつりと呟いたリガは、本棚を両手で押しながら大きなため息を吐く。大勢に囲まれた『彼女』を守って命を落とした祖父リザンは、『彼女』にとっても、リガにとっても心の拠り所だった。そして彼の生き方を誇りに思う。小さくて弱い存在に大の大人が寄って集って恥ずかしくないのかと、今のリガなら抗議できるし、兄リーキーがあの場にいたら斬り落とされていたのは…いや殴り殺されていたのは、父親の方だ。そして今、彼らの手が届きにくい場所で生きている『彼女』は、既に父親にとって脅威だろう。どんな風に成長して帰ってくるのか、密かに楽しみにしている。動かした本棚の下にある床そっくりな隠し扉に、リルドから事前に習った順番通りに各色の精霊を流すと、
ガガガガ
重量感のある扉が独りでに開き、白い石で作られた階段が姿を現した。




