239,教師は殴りかかる
リグレスが帰ってくるまで指揮を取っていたハルドは、ひたすら旧校舎の魔獣退治に勤しんでいた。普段の2人またはリファラル含めた3人、ケルベロスの援護有りよりも遥かに人数が多い為、1体の魔獣にかける時間が短縮できて、これを好機と見ていただけでなく、こうしていた方が気が紛れたのも事実。元々、この調査隊が組まれたきっかけは、学校敷地内の結界の破損による旧校舎からの魔獣出現を危惧したものであったが、リデッキの指示によりリティアが『経験』と『実績』を積む為の結界補強と修復を行い、その危機を逃れたのだ。調査隊が到着した2日目にリデッキが、リゾンドを引き連れて校内を見回りしたのは、リティアの力を自らの目で確認する事と、リゾンドに違和感を覚えさせる為だと考える。これで結界に違和感を覚えなければ、リゾンドは頭でっかちであるだけで実力が伴わない形だけの魔法士団員に成り下がるだろう。それならばそれで良い。この任務が終わり次第、ハルド自ら下剋上して力尽くで四番隊を乗っ取っても良い。空が白け始めた時間帯に、ハルドはいつも通りにラドと朝食を摂ったら、昨夜帰宅したヒメに声をかけて私服で学校へ向かう。住宅街から学校に向かう大通りに出ると、喫茶スインキーから私服姿のリグレスが出てきて、軽く手を振りあった。
「カノン嬢の件は、もうしばらくお待ち下さい。リルド様に考えがあるようで、リガをリルド様の生家へ向かわせております。」
「ありがとう。君達を信じて待つよ。それまでに学校の脅威をできる限り取り除かないとね。」
リグレスの言葉からも手に取るように、リルド達が真剣に取り組んでいると分かる。だから今は待つしかない。ハルドが軽く笑みを浮かべると、
「カノン嬢の事をクピア町にいるあの子に伝えて下さい。ですので、当初の予定通りにお二人は5日後にはここを出発して頂きます。」
「何故?王都に引っ越した、では難しいのかい?」
リグレスからの命令が下るが、突然の話にハルドは顔をしかめた。ふるふると小さく首を横に振るリグレスが、
「アリシアにカノン嬢の事が知られておりますので、どうつけ込んでくるかが読めないのです。」
「下手に事実を隠す事で、後々事実を知ったあの方がこちらをどう思うか考えれば、助けようと尽力している事まで伝えるべきでしょう。」
胸の内を明かすかのように呟けば、ラドからの補足が入る。大通りを行き交う人々の波に逆らうように学校へと向かいながら、その意見にハルドもなるほど、と頷けば、
「ラド、その通りです。彼女を安心させて下さい。それと、クピア町で彼女の取り巻きの力の底上げも頼みましたよ。」
「承知。」
校内に入ったところで、ようやくリグレスの表情が柔らかくなり、ハルドとラドは声を揃えた。
「折角だから海に投げ込んでみましょうか。」
「それ、セイリンにやったらあの子に怒られるから却下だ。」
ラドが階段を昇りながら1人笑うものだから、ハルドがその背中を引っ叩くと、良い音を発した背中を痛そうに擦りながらラドが睨んできた。ここは冷ややかな眼差しを向けるだけで良い。海の中で問題が起きたら、ラドは助けられないのだから大人しくしておくべきだ。そう思っていると、風を切るようにラドの拳が飛んできて、
「新学期からは『彼』が教師として着任するだけではなく、カノン嬢の魔石の存在をチラつかせるアリシアからのアプローチも増える可能性があります。」
「あいつが何かしでかしたら骨を折るつもりなんで。アリシアが今もカノンの魔石を所持していようが、その有無に関わらず既にちょっかいを出してきているからね。なぁ、ここから落として良いかい、ラド?」
リグレスからの忠告を聞きながら、ハルドがニコニコと笑顔を向けながら無言で反撃してくるラドの腕を捻り上げて窓へと押し付けていると、
「早く団服に着替えますよ。すぐ他の隊員も到着するでしょう。」
接続通路を先行するリグレスが、子どもの喧嘩をしている2人を見て盛大にため息を吐いた。
本日の目的は、別行動なしの調査隊総動員旧校舎の通路脇下にある鉄格子に閉じ込められている魔獣退治となる。戦闘が確実に行われる為、一番隊は全員が仮面を被って団長のすぐ後ろに控える。ジャックの言動が昨夜からおかしかったとケーフィスからの報告があったが、集合時に不審な点は見受けられなかった為、ハルドの右隣にラド、左隣にジャックを配置した。ハルド達の後ろには二番隊、三番隊と続き、殿はリゾンド率いる四番隊が務める。密かにハルドは、隊員集合時にリゾンドの斜め後ろに控える短い灰色の髪を三つ編みに結い上げて目尻に紅を差した青年が気になっていた。調査隊到着初日にいた覚えのない顔で、ハルドが新学期から警戒するあの男に似ているだけでなく、以前リルドの仕事部屋で顔を合わせた気の弱そうな青年にもよく似ている。ハルドが教師の任に就く前の一昨年に、魔法士団本部にいた記憶がない男だった。外見的にはリルド達と変わらない年齢に見える。リグレスに聞けば分かるだろうが、今は雑談する時間ではない。
「では、予定通り鳥と牡鹿のキメラの討伐を開始する。一番隊。」
「承知致しました。」
リデッキの号令で、ラドが彼より先に鉄格子を壊して牡鹿と対峙する。怪力でひん曲げた鉄格子をハルドが枠から外して檻の中へ入ると、その後ろをすぐにジャックが続き、一番隊、二番隊と侵入した。ヒメより少し大きいくらいの体格を持ち、肩が凝りそうな程の立派な角を生やした鹿の顔には、猛禽類の肉を引き千切る鋭い嘴がくっついている。その四肢は肉に食い込ませる巨大な爪を持ち、その外見からも草食動物には見えない。
「じゃあ、まずは四番隊が入り終わるまで…」
「それまでに終わらせる。」
ハルドがラドに指示をする前に、こいつは敵の前へと飛び出した。先程のハルドに負けた鬱憤を晴らしたいと見て、
「ジャック。」
「ギャハハ!楽しいねえ!!」
ハルドが確認を取るや否や、心の底から楽しそうに駆け出したジャックが、ラドと共に牡鹿を殴りかかる。ハルドとリグレスは互いにアイコンタクトを取り、2人でケーフィスに視線を送れば、ケーフィスの短弓から1本の矢が天井へ向けて放たれて、雨のように無数の光の矢が降り注いだ。まさかの事態で飛び退くようにフレイ家の2人が退避してくる。ジャックもラドも怪我はなさそうだが、ラドの歯切りがハルドの耳まで届いたが、2人の頭上スレスレに飛龍牙を飛ばして更に壁側へと後退させた。
ググググッ!
と威嚇の声を響かせる牡鹿の正面に、リグレスが立ちはだかる形で水龍拳の甲を牡鹿に向けて水属性の盾を発動して、四番隊が入ってくるまで待機する。ハルドが、低空飛行させている飛龍牙で牡鹿の足を掬い上げようと風を動かそうとした途端、牡鹿を中心に暴風が吹き荒れ始めて飛龍牙のコントロールを失った。牡鹿の力によって勝手に飛び回る飛龍牙が打って出ようとする一番隊の動きを封じる。ハルドが飛龍牙を目で追っている間にケーフィスは、リグレスの背中を支えて盾にぶつかってくる大風に耐えていた。ハルドはひたすら向かい風を適当に流しながら、牡鹿の頭上を飛龍牙が通過する瞬間を狙って飛龍牙と入れ替わった。牡鹿の中心に暴れていた風は、牡鹿の傍であれば無風。ハルドが落下しながら牡鹿の脳天を力任せに殴りかかると、ガン!と牡鹿のよく伸びた角が仮面にぶつかって弾かれた。咄嗟に空いていた左手で角を掴むと、
「この角をもぎ取ってあげようか?」
首を振って振り落とそうとする牡鹿の背中で体勢を整えてから根元へ手を滑らせ、足で頭を抑えながら頭蓋骨から引き剥がせば、仮面を緑に染める程の勢いで血が噴き出した。角を手に取った腕の遠心力を利用して、左足を軸にぐるんと一回転しながら角を牡鹿の右首に深く挿し込んだ。




